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2007年9月19日 (水)

自己愛性人格障害の治療記①

8月から、2週間に一回の治療を始めて、昨日で3回目。
治療段階が一区切りしたので、まとめることにする。

第一段階の治療は、話をして、
育った過程のどの時点で
問題が発生したかを突き止めるという事から始まった。

一回一時間、とにかく生い立ちからの事を話す。
心の地雷原の対人地雷を虱潰しに掘り起こされるような、
埋めた方としてはとても苦しい時間。
でも、取り除いてもらおうと思っているから、
なるべく隠さずに地雷の場所を示す。

それでも、無意識に隠してしまうこともある。
隠し事をしている時は、話のつじつまが合わなくなるので、
医師はそこに揺さぶりをかけて、本音を聞きだす。
最終的に必要では無い話もたくさんした。

結果、今まで親にも言えなかった
中学時代の一部の生徒からのいじめや、
迷惑を掛けたり、誇りを傷つけない為に
外に出さずに我慢してきた気持ちを話した。

両親が仕事で帰宅が遅い為、
自分の悩みを打ち明ける時間が足りなかった。
子供心に、もっと優秀な存在になれば、
もっと自分の話を聞いてくれるかも
という思いが芽生えたのかもしれない。
また、以前よりも優秀な存在になる事は、
何よりも優先しないとならない事であり、
家族の目に見える形で結果を残す事こそが
基本になっていったのだろう。
幼少期の救いは、祖父が居た為、
両親の代わりに私の話を聞いてくれた。
もちろん、結果を見て欲しい私に対し、
どんなに熱心に取り組んだかという過程を評価してくれた。
しかし、祖父は中学に上がる前に他界し、
中学生時代には目に見えない部分を評価してくれる
ゆとりを持った大人が居なくなった。
結果を評価される事が多くなり、
結果が全てであるという気持ちはどんどん大きくなった。
さらにそのころ、数人の女子生徒から
「○○くんキモチワルイから、近寄らないで」という態度で
人間性を拒否され、見える所でコソコソ陰口を言われた。
あの時以来、見知らぬ人を信用しなくなったと言っても
過言ではない。
そして、その出来事は、今までの想いに拍車がかかり、
誰よりも優秀な部分を持ち、
世間に認められたいという気持ちに膨れ上がり、
そのままの自分は無価値であるという事を
強く心に刻んでしまったのではないか。

3回かけて医師に語った、上記の話を整理すると、
私の中には、大きな地雷が数個ある事が分かった。
1、「良い結果を残さなければ、
その為に行った過程は無いものと同じになる」という思い。
2、理想的な自分像に期待するが為に、
今の自分を認められない。
3、本音を自分からは漏らさない。
他人に本音を指摘されると、無意識に緊急回避をして
他人に知られる事も良しとしない。

きっとどれか一つだけなら、
上手く調節して前に進めたかもしれない。
しかし、3つが3つとも、
つまずいたら相互作用によって、
負の方向へ二乗三乗の勢いで転がってしまう。
ただ、3の条件を乗り越えようとし始めた結果、
親や医師に相談し、治療が開始されたという考え方が出来る。
自分でも、今の状態のままでは潰れていくと感じていた。

私の中の地雷は、私をこう動かしていたのではないだろうか。
0の段階の自分を認められず、+1へ持っていこうとする。
+1になれば良いが、良い結果ではない場合、
どんなに数値に表れない経験という成長があっても
自分では0に感じる。
0の自分には価値が無い。
自分に対して悩みを抱えるが、家族にさえ伝えられない。
悩みや不安を抱えたまま、また+1にしようとする。
不安がある為に、十分に力を発揮できず+1にならない。
また自分を認められないので、不安が倍化し、
解決できぬまま、同じ事を繰り返す・・・
そのサイクルが続く。

等身大の自分の価値を認める事と、
行動を行った事で得られた経験を認められるようにする事を
目標として、まだまだ治療と生活の日々は続く。

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