自己愛性人格障害治療記②
取り立てて書くべき変化が出ない治療であることは確か。
精神的変化を変化として捉えにくいから。
それでも残しておきたい事なので書くことにした。
診察時間は、自分で自分の事を考えて医師に説明し、
「そうそう、実はそうなんだよ」
と同感してもらえたり、
「そこは、極端に考えすぎじゃないかな」
とちょっと突っ走りすぎるのを止めてもらったりと
自分の内面の話を
一方的な結論を出さずに聞いてもらえる時間。
楽しくも有り、気恥ずかしくもある。
不愉快ではないけれど愉快でも無い様な時間。
もちろん、いままで心を殻で覆っていた部分を
医師だけではなく、親という身近な人間にも晒し始めた。
ただ、頭で考えて口で語る事と
身体が考えを実践できるかというのはまったく別で、
頭が動けば身体も動くというわけではない。
動く事を拒否した身体が、急に加速したい頭に着いて来ない。
考えて理解できる事が、
納得できるほど実行出来ないもどかしさ。
その事にちょっと抵抗できない事で、焦りと空回りが起こる。
少し空回りすると動く事が出来にくくなる状態なので、
また、全体的に緩慢になってきた。
納得できる度合いを「ちょっと」ではなく「極端に」下げなければ。
いくら自分に言い聞かせても、少したつとすぐに忘れてしまう。
こう考えた。
忘れたらまずい事を忘れて、後悔することが理解できた。
後悔を感じられるなら、
同じ事を繰り返す可能性も減っただろう。
今までなら、後悔する事だけしか考えられなかった。
動こうとしたけれど、最善の状態には出来なかった。
最善の状態にはならなかったけれど、動けた。
理解しなかった事と、理解出来なかった事は違う。
覚えなかった事と、覚える事が出来なかった事は違う。
動かなかった事と、動く事が出来なかった事は違う。
出来ないと言う事は、やってみた。
最低限得られる物はそれでいいんだ。
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