ある女子から「私は、これから何をしていけばいいかわからない、つまらない人なんです。。」というメッセージを受けて、今回のブログを書いてみました。
*メッセが誰から来たのかは、もちろんトップシークレットです。
大人になると痛感するのは、「自分の評価は、他人が決める」ということ。
あなたがどれだけ一生懸命に何かをやろうとも、それを評価するのは他人です。それは時にお客様であったり、上司であったりしますよね。
たとえば一週間くらい徹夜に近い状態で、ある作品を仕上げたとする。自分はその完成度に満足していても、お客様に受け入れられなければ評価にはつながりません。
反対に言えば、全く手を抜いていてもお客様がそれを絶賛してくれることだってあるかもしれません。
しかし「評価」は他人が決めるのだとしても、「価値」は自分自身で決めればよろしい。
自分の事を「つまらない人だ」と思うのも「価値がない人間だ」と思うのも自由。
「私なんか、生きていても意味がない」
「どうして生きている価値があるのか」
という人さえも、価値定義の意味でそれはその人の自由なのです。
ただし思い出して欲しいのは、あなたは過去に連綿と繋がってきた生命の集大成であるということ。
あなたのお父さんとお母さんがいて、そのまたお父さんとお母さんがいて、そのまたまたお父さんと・・・という、過去数万人以上の集大成なんです。
もちろん、その中には望まれない妊娠によって生まれてきた生命というのもあるでしょう。全ての人が十分に愛されて育ってきた、とは必ずしも言えませんから。
ただそうだとしても過去数万人以上の中で、たった一人欠けていただけでも、あなたはこの世に生まれなかったかもしれない。
「私なんて生きている価値がない」なんて、そもそも考えることすらできなかったかもしれない。
あなたは、それだけ必然と尊厳に満ち溢れている存在だ、という事を忘れてはなりません。
だとしたら、やっぱり明るく・楽しく生きていく方がいいに決まってる。
「私はこれからもどんどんと成長していける人なんだ」
「私の愛情で世の中を明るくしていけるはずだ」
そうやって自分の価値を明るく・強く定義できる人の方が、いいに決まってます。
言葉を交わしてしまえば、もう「見ず知らずの他人」ではない。
あなたに出会って言葉を交わすことで、私の中にある感情が芽生えた。
その時点で少なくとも私にとっては「価値のある人」になってしまっています。
そんな風に、世の中の誰かにあなたの影響を与え・与えられながら世界が回っている。
だから言葉は、素晴らしいのです