生きているなら、また何処かで。

形あるものは、いつか壊れる。

なればこそ、尊厳と愛情を以って繋がりたい。

という、ブログ。

私は昔からあまりテレビを見ません。
弱い誰かをいじっては笑いを取るという番組内容に辟易してるというのもありますし、同じ時間というコストを費やしても得られる情報の必や量が読書と比べて圧倒的に少ないのが、その理由だと思います。

もう一つ。
画面の向こうにいる美しい女優か何かにうっかり強い好意を抱いてしまうのが怖いというのもある、のかもしれません。

女優やアイドルにその時青春のすべてを懸けてしまう熱意は、男としてわからないでもない。
わからないでもないけれど、私はそういった事態には陥らないように感情のコントロールを修練したいと思う。
当然のこと言うのだが、あなたがどれだけスクリーンの向こうの女優に対して好意を抱こうとも、愛情を抱くとも、スクリーン向こうの笑顔は冷たい。
あなたに対して笑いかけるかに見えるその笑顔は、カメラの向こうにいる数百万人への微笑だからだ。誤解をしてはならない。
優先順位が違うのだ。
あなたにとって彼女が何よりも優先されるかけがえのない1番だったとしても、彼女にとっては数百万番目以下ですらない事を、知らなければならない。

同じルールは、自分を取り巻くこの現実世界にも適用される。
自分にとって優先順位の1番が、相手にとっての1番だとは限らない場合。
お互いをパートナーだと認めるには、少なくとも人間の中で1番の優先順位でなければならない。
2番ではダメなのだ。

それなら相手にとっての自分が「1番ではないと」悟ったら、その時どうするか。

簡単だ。

スクリーン向こうの女優と同じように、自分の優先順位を下げるだけなんだ。

簡単なことだ。

。。。それなのに時々、思い出したように感情の瓶から水が溢れてしまう。
気化をして、 うまく水分を蒸発させれば良いのだが、そうとばかりは限らない。
「どうしてこんな簡単なことが」と、濡れた瓶を拭き取っては、何事もなかったように日常に帰る。

そんな姿に、

なりたい。
PR
同じテーマの記事
命を懸けてもいいと思える仕事と、

何処にでも連れて行ってくれる愛車、

まるで相棒のようなipad、

少しのお金。

上質なハウスミュージック。


それだけあれば、生きていけるから、

なんだ、

俺は

自由だ。



テーマ:
前回は
「愛情を金銭で代替していくほど、無償の愛を信じる感性が鈍っていく」
という内容でした。

ただしこの話で難しいのは「そもそも生存戦略は競争だ」ということ。
より優れた遺伝子を確実に後世に残していくため、自分をおしゃれに魅力的にと最大限アピールしつつ、恋愛のステージで1番を目指す。。。
。。。ってこれ、まさにマーケティングの原則であって、交換条件の基本です。
よって恋愛のステージに参加する場合「無償の愛」からスタートできる人は極めて稀で、世の中99%の人は「条件付きの愛」から始めるしかないのが現世(うつよ)の大きな矛盾なのです。

99%の人が条件付きの愛を「本当の愛」として認識している世界で、無償の愛について論じるなんて非常識。
いや、非常識呼ばわりどころか偽善者呼ばわりさえ、されるかもしれません。
「あなたは偽善者だ」なんて言われたら、どんなに強い人でさえやっぱりダメージを負う。
信念が揺らぎ、世界が揺らぎそうになる。

されど、真実は一つだ。

無償の愛を信じているとね、無償の愛を信じている別の人と必ず出逢える、というギフトが待っている。
仮にそんな人との別れがあっても、思い出がやわらかい結晶のように自分の中に永遠に残る。
うれしい事に、ね。

あるいは、あなた自身が他の誰かに愛を信じてもらえる根拠になる。
「無償の愛なんて」と頭から否定していた人が、あなたのお蔭でキラキラと輝くように生まれ変わっていく。

だから、
輝いて生きることが
楽しい、

のです。

テーマ:
※ちょっと改定しました。

売春でもレンタル彼女でも何でもいいんですが、
1度でも愛情を金銭で代替してしまうと「愛情を得るためには、交換条件が必要だ」という刷り込みがなされ「あなたが○○をするから、私は愛情を提供する」という条件付きの愛情に洗脳されてしまう。そして女性は膨大なお金と引き換えに、色々なものを失う。
失うもので代表的なものは「無償の愛についての感受性」でしょうか。

本当の意味で豊かな関係とは「無償の愛」で繋がっている関係に他なりません。
条件付きの愛情もほどよく楽しくて気持ちいいんですが、無償の愛のそれとは比較できないくらいの幸せや気持ちよさを感じられます。
セックスの結びつきも10,000倍くらい素晴らしいと感じられるようになるし、毎日がキラキラと輝いて見える。
無償の愛にはそれほどの、いや、それ以上のパワーがあります。

。。。あなたは、

「無償の愛など、あり得ない」と思いますか?
存在そのものを否定しますか?
あるいは
「無償の愛など、偽善だ」と
存在はしても偽物だと?

もし否定的な反応をするのであれば、残念ですがその人は無償の愛を信じる事ができない状態にあります。
しかも、その状態にあることに自分で気づいています。
気づいていながら、知らんぷりをしています。
もし無償の愛を信じられる人はムキになって否定をしませんし、自分が該当しないならクールに無視することができるはずです。
「たけ_けんは、なんか変わったこと言っているなあ。。」とね。
図星だからこそ、ムキにならざるを得ないのです。
良心では、わかっているのです。

(。’・ω・`。) ソレカラドシタ?

私の大切な友人で、風俗産業から抜け出そうとがんばっている女性がいます。
勉強をするために、思い立って専門学校に入りなおしたとか。
最初のうちは苦しむでしょう。
「戻った方が、楽にお金を稼げるかもしれない」
と思い悩むこともあるかもしれません。

でもその大きな一歩を応援してあげたい、と思う。

「がんばってください」

じゃ、ないかもね。
ちょっと冷たい。

「応援してるよ」

も、距離が近い。
あんたは何様だ、って話で(笑)

「倒れたら、拾ってあげっからさ」

と冗談のように言うだけで、十分かな。

遠くから、
心の中で応援してます。

気になるキーワード