見るほどに聞くほどに:「その時」と向き合う=相原洋
毎日新聞 2013年05月29日 大阪夕刊
前回、実家から兄の自宅近くに墓を移したことを記した。誰も住まぬ実家を手放すと、いよいよ古里を失う。その怖さを書いた。便りを頂戴した。「今の私と同じ」「胸が痛む」−−。それぞれケースは異なれど、避けては通れぬ共通の悩みが横たわっていた。
関西の女性から。両親の死後も助け合いながら大分の実家を守ってくれていた兄夫婦。兄が脳梗塞(こうそく)で倒れ、ほどなく義姉はパーキンソン病に。ともにケアハウスに入居したのだと。
2年に1度の古里での同窓会出席を楽しみにしてきた。その都度、実家でのんびりし、両親の墓参も。今年の同窓会は9月。なのに突然、実家が空き家になるとは。心の準備がなかった分、動揺が収まらない。
実家はいずれなくなってしまうのか。両親が眠る先祖代々の墓は。これからのことは、おいたちが考えてくれるだろう。それにしても寂しい。大好きな古里が遠ざかるようで。
別の女性から。弟2人は東京。岡山の実家は既になく、古里に残るは墓だけ。2カ月に1度墓参に帰るものの、行く末は。
今後のことをまだ弟たちと話す機会をもっていない。墓をどうするにしろ、何かにつけてお金がかかる。亡くなった両親のために尽くしてくれた弟の妻たちに、負担をかけることもはばかられる。姉の胸の内は微妙だ。
せめて自分が元気なうちはせっせと墓参に帰り、生まれ育った街でくつろごう。父の通った居酒屋で、好きだった「とり酢」や「揚げ豆腐」をつつき、湯飲みからこぼれ落ちる地酒で、両親の面影、思い出にひたりたい。大好きな古里を失うその日まで、しっかり心の中にため込んでおきたいと。
墓、実家、古里。大切なものを守っていくのは難しい。後継ぎがいない。実家が遠い。子やきょうだいに面倒をかけたくない。だが、そうこうしている間に向き合わねばならない「その時」はやって来る。
翻って我が身。最近聞いた。我が家の墓所の跡地に見知らぬ家の墓が立ったと。原風景がまた一つ失われ。思い出がまた一つ薄くなり。(学芸部長)=次回は6月26日