創価学会が衰退している理由
超危険な香り・・・のタイトル
まあ批判に耐えうるものじゃなければ、どの道消えゆくことになるので。
真金はなんとかとも言うし。
一般の方はご存じないだろうが、創価学会の関東各所では活動者がここ5,6年で激減している。
とくに男女青年部が激減している。
私はその理由を知っているし、当然みんな知ってると思ってたんだが、どうやら多くの幹部は知らないらしいということを数年前に知って辟易した。
かつて戸田城聖第2代会長が死去した折、創価学会は空中分解すると言われた。
しかし、池田大作という優れた後継者がいたおかげで、創価学会は飛躍的発展を遂げた。
そして現在、あとを継げるだけの後継者は今のところいない。
結局組織と言うのはトップ次第な所があるので、トップの能力に応じて組織の運命はほぼ決まる。
さて本題に入ろうか。
なぜ活動家が激減しているのか。
当たり前すぎて大した話ではないのだが。
結局魅力が無いのだと思う。
組織、人、会合、活動に。
本当は他にもいろいろあるだろうが。
人は面白いところ、楽しいところ、明るいところ、活気があるところ、価値があるところに集まる。
逆の所には人は集まらない。
そりゃ当然ですな。
少子化を言い訳にしてるようじゃ、お話にならない。
時代が変わり、人の価値観、環境が変わる。
趣味趣向の多様化、ネットの普及、目まぐるしい経済状況の変化etc
一方組織は変わらず、やり方も考え方も同じ。
そうすると、組織がだんだん腐っていく。
まあ賞味期限切れのような状態になる。
こうしたことはどこにでもあって、どんな強大な組織でも大体50年で綻び始める。
そもそも何十年も前の古くさい学会歌ばかり歌っている時点で停滞しているのが分かる。
あくまで独り言なのだが。
次のようにすればよいと思う。(炎上しなければよいがw)
1.公明党を支持するかしないかは当然個人の自由。自分の頭でちゃんと考えるということ。
1.聖教新聞が本当に魅力ある新聞なら学会員が頑張らなくとももっと売れている。
1.折伏をするもしないも個人の自由。したくなければしなくてよい。したいと思わせるだけの力が無い。
1.会合に出るも出ないも個人の自由。出たくなければ出なくてよい。出たくなるような会合を作る。
1.家庭訪問は事前に電話やメールで許可を取ってから訪問。社会人として当然のルール。
1.創価班、牙城会に無理に人を入れることをやめる。人が来ないということは魅力がないということ。真の人材育成ができる土壌があるかいなかが大事。
1.無駄な役職は全廃。役職多すぎ。
1.意味不明な組織分割や人事の執行者と責任の所在を明らかにする。
1.組織合併。人数が少なくなりすぎた組織は合併して一定の人数以上になるよう調整。
1.幹部の派遣制度の廃止。数合わせの派遣では弱体化が隅々まで蔓延するだけ。
1.各会館の一般開放。
1.全地域情報の可視化、共有化。情報の透明性が不十分。
1.一般の人が中で何やってるのか分からないような団体が発展していくとは思えない。
※心こそ大切なりとはどのような心で活動するかが大切であり、また相手の心も最大限、配慮尊重すべきものである。ここを外すと正しい仏法はない。
人はああしろ、こうしろと言われれば反発するものだし、そもそも本当に有意義で魅力のあるものなら、情報化社会では人は勝手に集まる。
そうならないのは、そうならないだけの理由がある。
ただ一度大きくなった組織が急激に変化する事はほとんどない。
それだけ難しいことなのだ。
人が最も力を発揮するのは、自ら進んで動いた時。
そうした人達が集まって強力な生きた組織ができる。
日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成ず。
親がやってるから仕方なく入ったみたいな2世3世の若者が大多数ではちょっと厳しいものがある。
本物は難を受けたときにはっきり分かるとは師匠の言。
私たちは法輪功学習者のように殺されたり、強制収容、強制労働、生きたまま強制臓器摘出、薬物による精神破壊、拷問など身の毛もよだつ迫害を受けてもなお意志を貫くことができるのだろうか。
そろそろみんなで真剣に話しあって、考えて、もう一度新しい創価学会を作るような気持ちで知恵を出し合いたい。
超危険な香り・・・のタイトル
まあ批判に耐えうるものじゃなければ、どの道消えゆくことになるので。
真金はなんとかとも言うし。
一般の方はご存じないだろうが、創価学会の関東各所では活動者がここ5,6年で激減している。
とくに男女青年部が激減している。
私はその理由を知っているし、当然みんな知ってると思ってたんだが、どうやら多くの幹部は知らないらしいということを数年前に知って辟易した。
かつて戸田城聖第2代会長が死去した折、創価学会は空中分解すると言われた。
しかし、池田大作という優れた後継者がいたおかげで、創価学会は飛躍的発展を遂げた。
そして現在、あとを継げるだけの後継者は今のところいない。
結局組織と言うのはトップ次第な所があるので、トップの能力に応じて組織の運命はほぼ決まる。
さて本題に入ろうか。
なぜ活動家が激減しているのか。
当たり前すぎて大した話ではないのだが。
結局魅力が無いのだと思う。
組織、人、会合、活動に。
本当は他にもいろいろあるだろうが。
人は面白いところ、楽しいところ、明るいところ、活気があるところ、価値があるところに集まる。
逆の所には人は集まらない。
そりゃ当然ですな。
少子化を言い訳にしてるようじゃ、お話にならない。
時代が変わり、人の価値観、環境が変わる。
趣味趣向の多様化、ネットの普及、目まぐるしい経済状況の変化etc
一方組織は変わらず、やり方も考え方も同じ。
そうすると、組織がだんだん腐っていく。
まあ賞味期限切れのような状態になる。
こうしたことはどこにでもあって、どんな強大な組織でも大体50年で綻び始める。
そもそも何十年も前の古くさい学会歌ばかり歌っている時点で停滞しているのが分かる。
あくまで独り言なのだが。
次のようにすればよいと思う。(炎上しなければよいがw)
1.公明党を支持するかしないかは当然個人の自由。自分の頭でちゃんと考えるということ。
1.聖教新聞が本当に魅力ある新聞なら学会員が頑張らなくとももっと売れている。
1.折伏をするもしないも個人の自由。したくなければしなくてよい。したいと思わせるだけの力が無い。
1.会合に出るも出ないも個人の自由。出たくなければ出なくてよい。出たくなるような会合を作る。
1.家庭訪問は事前に電話やメールで許可を取ってから訪問。社会人として当然のルール。
1.創価班、牙城会に無理に人を入れることをやめる。人が来ないということは魅力がないということ。真の人材育成ができる土壌があるかいなかが大事。
1.無駄な役職は全廃。役職多すぎ。
1.意味不明な組織分割や人事の執行者と責任の所在を明らかにする。
1.組織合併。人数が少なくなりすぎた組織は合併して一定の人数以上になるよう調整。
1.幹部の派遣制度の廃止。数合わせの派遣では弱体化が隅々まで蔓延するだけ。
1.各会館の一般開放。
1.全地域情報の可視化、共有化。情報の透明性が不十分。
1.一般の人が中で何やってるのか分からないような団体が発展していくとは思えない。
※心こそ大切なりとはどのような心で活動するかが大切であり、また相手の心も最大限、配慮尊重すべきものである。ここを外すと正しい仏法はない。
人はああしろ、こうしろと言われれば反発するものだし、そもそも本当に有意義で魅力のあるものなら、情報化社会では人は勝手に集まる。
そうならないのは、そうならないだけの理由がある。
ただ一度大きくなった組織が急激に変化する事はほとんどない。
それだけ難しいことなのだ。
人が最も力を発揮するのは、自ら進んで動いた時。
そうした人達が集まって強力な生きた組織ができる。
日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成ず。
親がやってるから仕方なく入ったみたいな2世3世の若者が大多数ではちょっと厳しいものがある。
本物は難を受けたときにはっきり分かるとは師匠の言。
私たちは法輪功学習者のように殺されたり、強制収容、強制労働、生きたまま強制臓器摘出、薬物による精神破壊、拷問など身の毛もよだつ迫害を受けてもなお意志を貫くことができるのだろうか。
そろそろみんなで真剣に話しあって、考えて、もう一度新しい創価学会を作るような気持ちで知恵を出し合いたい。
2年前まで男子部本部長やってました。あまりに独善的な組織のありかたにうんざりして、圏男に直訴しましたが、とりあってもらえず活動休止宣言。
表「会員のための家庭訪問!」→裏「選挙近いし活動家増やせ」
表「マイ聖教で対話運動」→裏「部数増えないと職員干される」
表「我々は選挙屋(活動メイン)ではない!信仰者だ!」→裏「会館で選挙活動してるのがばれるとマズイ」
いろいろ言わせてもらったんですが・・・
特に会館での選挙活動は、ばれないように神経質になってましたね。
おそらく地方税法の解釈次第で、会館に固定資産税がかかるからです。
その後も、方面幹部にも話しましたが、所詮は宗教官僚。「師匠のため」を呪文のごとく唱えるだけ。(日蓮さんはどこいった?)
僕はシンプルに生きようと決め、2013年1月に退会しました。
あったこともない爺さんなんか「師匠」とは思えません。
でも日蓮さんの精神には近づきたいです。(某宗門はお断りします。あと○正会も)
一人の人間として一日一日を大切に生きるだけです。