一般公開見聞録(前編:J-PARC)   

2008年8月31日



☆挫折本、多数発掘される。   
さて、夏休みもそろそろ終わり。 中高生は宿題に追われている時期だろう。 当サイトも引っ越し時の段ボールの山をようやく片付け終わった。

この段ボールの山だが、その多くが。 新居は2階建ての2階なので本棚を三つも四つも置くわけにはいかず 多くの本を処分した。(床が抜ける恐れあり。) が、それでも通常の本の詰め方で本棚3つ分も残っていたのだった。

本の取捨選択は大いに迷ったけど、やっぱPC雑誌・マンガ系は優先的に捨てて、 出来る限り真面目な教科書本を残すことにしたつもりである。 もっとも、「捨てるんなら、俺にくれ。」とか「捨てる前に読ませろ。」なんて 周囲が勝手なことを言っていて捨てられなかった奴もあるけど。(懐かしの横山光輝著三国志全60巻とか...)

で、段ボールから真面目な本を取り出して本棚に分別して並べていくのだけど、 ノータリンの宿命とも言おうか、トラウマ的な挫折本が多数発掘されてへこむ。 旧居では本棚の奥側(棚一つに前後2冊押し込んであった。)にあって目立たなかったけど、 今回は普通に1棚1列で本棚に並べているんで、どうしても目立ってしまうのだ。

挫折本というのは、その昔真面目に勉強しようと買ったけど、 最初の20〜30ページで挫折した本の類である。 これが場の量子論とか強相関電子系物理クラスのレベルが高い本ならまだわかるんだけど、 結構入門書的な本もあったりして本の名前はちょっとここには書けない。1) (趣味のパソコン話ならば計算機科学の専門教育を受けたことが無いという言い訳が最悪でも効くんだけど、 こちらは自分の専門分野なんだから理解してなきゃ勉強サボっていただけのことだから。)

と言うわけで、今回はJ-PARCの一般公開見聞録である。

えっ、挫折本の話と何の関係があるかって? それは、挫折本に再チャレンジするにはかなりの根性が必要だから。

J-PARCとは茨城県東海村で建設中の大強度陽子加速器施設のことである。 その研究内容を完全に理解できたかというと正直アレだけど、 この手の大規模研究施設というのは男のロマンを強く刺激してくれるなんだか凄そうな施設な訳である。

当サイトも場末の三流企業で重箱の隅をつつき回すようなレベルの低い研究開発をやっているわけだけど、 仕事が行き詰まったりダレたりすると、どこかでエネルギーを充填しなきゃならない。 こういう施設で研究している人はとても頭がいい人たちなわけで、こういう最先端の研究成果を見ていると 「こういう優秀な人でさえこれだけ研究しているのに、トリ頭がこれ以上勉強サボってどうするよ。」という気分になれるから。 つまり、見学することによって出来の悪いノータリン頭脳にも「やっぱ、ちょっとは勉強せんとなぁ〜。」という やる気エネルギーが充填される効果を狙っているわけだね。

まぁ、J-PARC見学ってのは当サイトにとっては「ロッキーのテーマ」みたいなもんだ。

☆J-PARC(加速システム)   
と言うわけで早速見学。 一般公開会場は加速器関連施設だけに規模が大きく、徒歩で全部見学するのはちょっときつい。 このため、会場では循環バスが用意されていた。 ...のだが、主催者側はこんなマニアックな施設に一般人が殺到するとは考えていなかったのだろう。 見学者が想定以上に多くて、バスは恒常的に満車。 マニアックな施設だからと侮っていたら結構人気施設なんだね、これが。

J-PARCは基本的に陽子を加速するシステムがベースになっている。 ただし、最終的に利用するのは加速された陽子そのものではなく、 それをベースに作られるミュオン、ニュートリノ、中性子などである。 まずは、陽子の発生から順を追って見てみよう。

下の写真の左図は陽子を発生させて取り出すシステム。 写真では写っていないが、このオレンジ色の筐体は強烈な碍子の上に搭載されていて、 稼働時には内部に超高電圧がかかる。

右図は取り出した陽子をある程度の速度まで加速するリニアックと呼ばれる加速器である。 名前の通りリニアな構造だ。

リニアック施設
左図の装置で陽子を発生させ、右図のリニアックで加速。

低速度での加速が終わると、陽子は3GeVシンクロトロンへと送られる。 名前の通り、陽子を3GeVまで加速する装置だ。(この装置は一般公開されていなかったので写真無し。)

そして、3GeVまで加速された陽子は、いよいよ50GeVシンクロトロンに送られる。ここで一挙に50GeVまで加速されいろいろな素粒子物理学的研究が行われるわけだ。

シンクロトロンというのは、リニアックの端と端を結びつけて円形にしたものと考えればよいそうである。 つまり、リニアックは直線構造なので1回加速したら終わり。 超高エネルギーまで加速しようと思ったらとてつもない長さのシステムが必要で、構造的にも予算的にも破綻してしまう。 そこで、少し加速したら電磁石で進行方向を曲げて、また少し加速したら進行方向を曲げて、というサイクルを繰り返し、 最初の部分に戻すことで同じ加速器で何周も加速できるというわけだ。

もちろん、加速されればされるほど曲がりにくくなるのは自動車と同じで、 それに合わせてさらに強力な磁場をかけないと同じ円周上を回れなくなる。 このため、加速にあわせて電磁石の電流もアップしなければならない。 その制御精度は±0.005%以下というとてつもない精度である。

50GeVシンクロトロン
円形の真空チャンバーの中を陽子が加速されながらグルグルと回っていく。

おもしろかったのは、シンクロトロンの各種電磁石が色分けされていたこと。 まず、青色の電磁石は直進する陽子を真空ラインに従って円周上に曲げていくためのもの。 システムの中では一番大きい。これは磁極が上下2極の我々シロウトにも一番わかりやすい構造。

お次が写真の中では黄色い電磁石で、これは陽子同士の静電反発力などで 上下左右に広がってしまう陽子の塊(この塊をバンチと言うそうだ。)を、中心部分にまとめ直す作用があるそうな。 こいつは磁極が4極のちょっと複雑な構造。

最後が緑色の電磁石で、こいつは陽子の運動量の広がりを抑制するのだそうだ。 (運動量というからには、おそらくは前後のばらつきをまとめ直すのかな?) これは磁極が6極でメイン3種類の中では一番複雑な構造。

この円周の中で、陽子は加速され、軌道を曲げられ、広がっていくのをまとめ直され... という道程を何周も辿って50GeVというとてつもないエネルギーまで加速されるわけだ。

ちなみに、写真の通りとてつもないサイズのシステムだが、 このシンクロトロンの組み立て精度はわずか±0.1mmなんだそうだ。 建築業界にとってもチャレンジングなシステムなんだそうで、 この手の大規模施設の建築は建築業者にとっても腕の見せ所なんだそうである。

☆J-PARC(ハドロン系システム)   
さて、この加速された陽子であるが、各所に分配される。 まずは、ハドロン系システムから。

加速した陽子をターゲットとなる原子核にぶつけると、反陽子、K中間子、π中間子、中性子といった各種の2次粒子が飛び出してくる。 この中から目的の粒子を取り出して利用するわけだ。

たとえば、π中間子を取り出し、これがさらに崩壊するとミュオンとニュートリノになる。 ミュオンとはなんぞや...と聞かれてもここまで来るともはや当サイトの理解の範疇を超えていて困るけど、 おもしろかったのはこれが核融合に使えないかということで研究されていたことだ。

地球温暖化問題もあって核融合は人類期待の新エネルギー技術である。 だが、課題はそのハードルの異常なまでの高さだ。 核融合は次世代の発電技術として当サイトが小学生の頃から話があるのは知っていたが、 こう書いては当該部門の研究者に失礼かもしれないが、今のところは永遠の次世代技術状態となっている。

当サイトは核融合の手法に磁場閉じ込め型とレーザー慣性型があるのは知っていたが、 ミュオン核融合という方法があるとは初めて知った。 ミュオン核融合は現状の突破口となるのであろか?

このミュオン核融合、意外にも定性的ならば我々シロウトにも動作原理は簡単に理解できるものであった。 そのメカニズムとはこんなものらしい。

  1. 水素が常温では核融合しないのは陽子の静電反発力によって接近できないからである。
  2. しかし、電子の負電荷があるので、水素原子は遠距離からみれば中性である。
  3. つまり、軌道半径を電子より小さくできる粒子があれば、他の陽子はもっと接近できる。
  4. ミュオンは電荷が負の物があり質量は電子の約200倍もあるので、電子をミュオンで置き換えたミュオン水素分子を作れば軌道半径は約1/200になる。
  5. そうすると陽子同士の反発力を超えて、自発的に核融合が発生する。(その後、ミュオンは新たな水素を求めて旅立っていく。)
つまり、ミュオンは陽子同士の反発力を抑制する糊みたいな役目をしてるわけ。 (実際は水素(陽子)ではなく、重水素、三重水素を使うそうだ。)

で、そのとき説明を聞きながら思ったんだけど、この説明だと重要なのは負電荷を持っていて質量が大きいこと。 だったら、ミュオンではなくて反陽子ならば質量がもっと大きくてより効果的なのでは?と一瞬思ったのだが... あっ、俺はバカか? 反陽子と陽子じゃ対消滅して1回で終わりじゃないか...これじゃ触媒にはならない。

と言うわけで、負電荷で質量大という条件の他に、自身は触媒として核融合反応に参加しないという特性が重要なわけでした。

事が上手く運べば、液体重水素、三重水素混合物にミュオンを打ち込むだけで核融合が起こり、 また、ミュオンは半減期が2.2μsなので、打ち込むのを止めれば核融合反応も自発的に終わる。 つまり、原子炉と違って暴走の可能性も原理上無い。 もしミュオン核融合炉を完成できれば、チェルノブイリのような事故はあり得ないわけだ。

ハドロン系実験施設(建設中)
完成すればミュオンに代表される最新鋭のハドロン実験施設となる。

あとは、ミュオンは物性研究にも使えるらしい。

質量が大きいこと以外は電子に似ているため、ミュオンは磁気モーメントを持つ。 この性質を利用して、サンプルにミュオンを送り込んで、その歳差運動をESRやNMRといった磁気共鳴測定と同じ原理で測定する。 すると、ミュオンが感じていたサンプル中の局所磁場がわかるというわけだ。

この手法、固体物性の研究手法の一つであるサンプルの一部の元素を鉄イオンなどの磁性イオンで置き換えてESR測定をする方法に似ているなと思った。 ミュオンは磁場に対する感度が高いので、小さな磁気モーメントでも容易に検出できるのが強みだそうだ。

また、電荷がプラスのミュオンを物質中に送り込めば、水素原子のプローブとなる。 たとえば、今新たな半導体材料として注目を浴びているZnOはなぜ絶縁体ではなく半導体なのか... という疑問に対し、ZnO中に拡散した水素がドーパントの役割を果たしているからという説があるそうだが、 ミュオンを利用した新測定法によればその説を支持する結果が得られているそうである。

☆J-PARC(物質・生命科学系システム)   
お次は物質・生命科学系システム。 こちらは、陽子のパワーよりもビームの品質が重要なんだそうで、 取り出しは3GeVシンクロトロンから。

下図は中性子実験施設で、加速した陽子を水銀ターゲットに衝突させて中性子を作り出す仕組みとのこと。 特徴は中性子ビーム強度が大きいことだけではなく、中性子エネルギーの分布が揃っていて 各種分光測定などでのエネルギー分解能が高い事。これも、実験上で強力な武器となる。

中性子実験施設(一部工事中)
原子炉から中性子を取り出す方式に比べて、ビーム強度も品質も格段に優れている。

従来は中性子を使った分析というと原子炉から中性子を取り出して利用する場合が多かったそうだ。 だが、この新システムでは中性子ビームのエネルギーばらつきが小さく、従来の約10倍のエネルギー分解能があるという。 加速器を利用した中性子利用研究施設というのは、原子炉を使った研究施設に置き換わる新たなトレンドとなっているそうだ。 ちなみに、その意味ではJ-PARCは世界最高性能の研究設備なんだそうで。

中性子利用の分析装置は各種あって、写真の通り何種類ものビームラインが走っている。 中性子利用研究は化学の分野でも使われているので、全然専門外の素粒子の話と違ってこちらは説明員の方々のお話もちゃんと理解できた。

中性子利用の分析装置がX線や電子ビーム利用の分析装置と違うところはいくつかある。 ターゲットの電子ではなく原子核と相互作用する関係で、X線では見えにくい水素がよく見えること。 中性子は磁気モーメントを持っている2)関係で、磁性体に対してはスピン構造も見えること。

前者は、地球温暖化対策として期待されている水素社会実現に向けて強力な武器となり、 また、創薬の研究ではタンパク質との水和水が果たす役割が重要だが、 水は水素をたくさん含んでいるので中性子を使った分析は強力な武器となる。 後者は、未だに動作メカニズムが解明されていない強相関電子系(高温超伝導体がその代表格) の研究にたいして強力な武器となる事が期待されている。

余談だが、強相関電子系の例として掲げられていた物質、どこかで見たことあるな... と思っていたら、十倉先生が発見したコロサル磁気抵抗効果で有名なペロブスカイト系マンガン酸化物でした。

と言うわけで、J-PARC編はおしまい。次回は近いうちにKEK編を掲載予定。 本当はまとめて掲載予定だったんだけど、さすがに見てきた当日に全部書くのは時間的に無理なんで... (素粒子論は全然専門外なんで、もし間違いがあればごめんなさいという点でも。)

それにしても、さすがに最新鋭の研究施設はレベルが高い。 当サイトもやる気エネルギー充填120%状態になって、挫折本が読了本になるように精進してみようと思うのであった。 (三日坊主にならなきゃいいけど。)



1)
あまり恥ずかしくない例として一例を挙げるなら、ラプラス変換かな?

このラプラス変換というのは、微分方程式を解くのによく使われる数学的手法である。 これは非常におもしろい解法で、微分方程式にラプラス変換を施すと、 難しい微分方程式が中高生レベルの代数方程式になってしまう。 これを逆変換しやすい形式に式変形して逆変換すれば、あら不思議。 難しい微分方程式が解けてしまうというものだ。

しかし、このラプラス変換、証明まで含めた数学的な内容はメチャメチャ難しいのだ。 と言うわけで、当サイトはラプラス変換を使って微分方程式を解く事は出来るけど、 なぜそれで解けるのかは未だに全然わからない。 (中身わかっていなくても微分方程式が解ければ大学の定期試験は通るんで、なんとか卒業はできたけど。) 要するに当サイトにとってのラプラス変換とは情けないことにサイエンスではなく、 不思議な呪文を唱えていると魔法がかかってしまう、いわば魔女の呪文と同じなんだな。

もっとも、ラプラス変換の数学的証明はすごくレベルが高い内容なので、 理解できない事を正直に書いてもそんなに恥じゃないと思って書いているわけだけど、 実は正直に言うと、もっと入門書的な本でも挫折本を多数発見。我ながら情けないねぇ〜。_| ̄|◯

1)
中性子はその名の通り電荷を持たないが、なぜか磁気モーメントを持っている。 古典論では電荷を持たない物質が磁気モーメントを持つことは考えにくいわけで、 挫折本のお話じゃないけれど、素粒子論を全然知らない当サイトにとってこれも未だに理解不能な話である。 そういうもんだ...と思って大学の定期試験はクリアしたけど。 誰か脳みそを増量する薬でも作ってくれないかしらねぇ。

9/5 誤記訂正(サイクロトロン→シンクロトロン)