◇レベルを落として“60点合格主義”はいかがですか?
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前回は、→
ここをクリック!この書籍を読みましたが、私はやっぱりうつ病のことは確信がもてません。
理屈では分からない。
「ハチに刺されると痛いよ」と言われても、それは刺されてみなければ分からない。
ですから、経験のない私は、やっぱり、うつ病の人にアドバイスはできません。
きっと、見守ることしか、励ますことしかできないのです。
と、いうことで、今回は明確な主張ができませんので、「私がうつ病にならない理由」について思うことだけをお話しいたします。
過去、私は、うつ病になってもオカシクないような事態に陥ったことがありました。まるで、心の中の火が全部消えたような状態が半年、1年と続きました。
その経験を話したとき、友人が「それがうつの状態だよ」と教えてくれたのですが、私は「死にたい」とは思わなかったし、仕事も続けられたので、うつとはやっぱり違うと感じています。
では、何故、私はうつ病にならないのでしょうか?
1つ思い当たることは、私が“60点合格主義”だということです。
もし、私が、「100点満点でなければダメ!」と深刻に考えたら、あるいは誰かに「100点満点でなければオカシイ!」と言われ続けたとするなら‥。
窒息してしまうような毎日に、それは、うつ病になったことでしょう。
しかし、私はある意味劣等生だったし、「人生、やることを最低限やれば、それでいいじゃないか」と寛容に思って生きてきました。そして、そのことを容認くださる人たちと歩んできました。また、幾多の失敗も許していただきました。
だから、うつ病にならなかったのではないかと思うのです。
よく、重箱の隅をつついて騒ぎ立てる人がいるでしょう?
「オカシイ!」って、いつも批判する人がいますよね。
けれど私、思うんです。パーフェクトな人間がどこにいるのかと。
第一、人は間違うこともあるし、失敗もする。
大事なことは、マイナスをしないことではなくて、プラスをすることに挑戦していくことではないでしょうか。もし、マイナスをしても、もっと大きなプラスをすればいいのではないでしょうか。
では、大きな失敗を穴埋めできる「プラス」ってあるのでしょうか。
ありますよね。信心です。創価の信・行・学です。
おかしな性格だって、おっちょこちょいだって、少々出来が悪かったっていいじゃありませんか。
広宣流布の行動を始めれば、全部使命に変えられるのですから。
ただし、書籍にあったように、物凄く真面目な人は不真面目になる努力も必要だと思います。点数の低い方へ変化するという人間革命もあっていい。
ヘンな話ですが、能力を落すことも、私は過去、本気で挑戦しました。
随分努力して60点合格主義者になったんですよ、私。
また、機会があれば、そのことはお話したいと思います。
追伸:うつに関する記事は、なんとも輪郭のはっきりしない文章になりました。
やはり、体験者に道を切り開いていただくしかないようですね。
参考になるかどうか分かりませんが、2つの記事を添付します。
60点合格主義の記事は、→
ここをクリック!「海になる」の記事は、→
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