中日スポーツ、東京中日スポーツのニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【芸能・社会】

サンミュージック相澤会長通夜 のりピー涙で感謝 1500人が参列

2013年5月29日 紙面から

弔問に訪れた酒井法子=東京都港区の青山葬儀所で(北村彰撮影)

写真

 膵臓(すいぞう)がんのため23日に83歳で亡くなった大手芸能プロダクション「サンミュージックグループ」創業者で会長を務めた相澤秀禎さんの通夜が28日、東京の青山葬儀所で営まれ、同事務所出身の松田聖子(51)、酒井法子(42)、芸能活動を休止中の桜田淳子(55)ら約1500人が弔問に訪れた。

 相澤さんの遺体を乗せた車は安置所を出発し、新本社前を通って会場に入った。菊やコチョウランなど白を基調とした約3万本の花で荘厳に飾られた祭壇中央には、2009年に旧本社の会長室で撮影された相澤さんの遺影。スーツ姿で穏やかにほほ笑む写真で、相澤さんが生前とても気に入っていたという。

 戒名は「幸響院讃譽秀偉浄楽清居士」(こうきょういんさんよしゅういじょうらくせいこじ)。人徳や音楽の才能に秀で、多くの尊敬を集めた意味などが込められた。

 会場では亡くなる1週間前に出身タレントや社員らに残したメッセージがあらためて読み上げられ、自ら育てた歌手らの歌う懐かしいヒット曲の数々と共に参列者の涙を誘った。届けられた供花は1050基に上った。

 人生の恩師を失った酒井は以前よりやせた様子で、白いハンカチを手に何度も涙をぬぐいながら「ありがとうございました。迷惑をかけて恩返しもできないで…。今度また会える日があったら『一生懸命生きました』と伝えられるようにしたい」と言葉を詰まらせた。亡くなる直前に便せん2枚ほどの手紙を書いたそうで「社長から『法子が手紙を書いてくれたら枕元で読むからな』と言われて。こんなに悪いと思わないで…」。

 薬物事件で世間を騒がせた酒井が相澤さんと最後に会った約3年前には「会長は本当に優しい方で『法子、頑張れよ。大丈夫だから』と温かく見守ってくれた」と回顧。

 「14歳のころから一つ屋根の下で一緒にご飯を食べて『おはよう』から『おやすみ』まで励ましてもらった。サンミュージックの名前のように太陽のような方でした。今も夢だったらいいのになと思います。長生きしてほしかった。本当に偉大な人と同じ時を過ごさせてもらってありがとうございました」としのんだ。

 聖子は娘の沙也加と一緒に参列した。

 葬儀・告別式は29日午前11時から同所で行われる。喪主は妻の相澤てるさん。息子の同グループの相澤正久社長が葬儀委員長を務める。ホリプロの堀威夫ファウンダー最高顧問と森田健作・千葉県知事(63)、俳優の西郷輝彦(66)の3人が弔辞を読む予定。

 <相澤正久社長の話> 手紙を酒井(法子)さんがくれて僕が読んで聞かせた。会長が「酒井には前を向いて胸を張っていくように」と言っていた。もう一回アイドルをやらせてほしいと「さんみゅ〜」を立ち上げた。遺志を継いで頑張っていきたい。成功させることが一番の弔い。

故相澤秀禎会長と対面し手を合わせる桜田淳子(代表撮影)

写真

◆桜田淳子17年ぶり公の場

 桜田は、1993年3月公開の映画「お引越し」出演を最後に芸能活動を事実上休止、公の場に登場したのは、96年の統一教会のパーティーに姿を見せて以来、17年ぶりだ。

 入信前よりもかなりふくよかになった桜田は、午後7時15分ごろタクシーで到着し、“育ての親”である相澤会長と無言の対面を果たした。関係者によると会長夫人のてるさんや相澤社長に弔問のあいさつをした後は、久々に再会した太川陽介(54)や香坂みゆきら懐かしい仲間と楽しそうにおしゃべりをしていたという。マスコミには一切応対せず、会場を後にした。

 森田健作の話 相澤会長がいなかったら森田健作は300%なかった。ここに来るのがつらかった。来世もぜひ会いたい。亡くなる3日前、会長に「頑張りましょう」と言った。にこっと笑って「おれは頑張るよ」と。それが最後の言葉だった。

 都はるみ(65)の話 2週間前に病院にお見舞いに行った。手を握って「ぼく頑張るから」って何度も。25歳からお世話になり育てていただきました。私のわがままを一度もダメと言わず通してくれた。だから天国に行ったときは会長の言うことは全部ききますと声をかけました。

 牧村三枝子(59)の話 信じられない。1週間前に、会長が好きな着物を着てお見舞いに行ったときはすごく元気で、ハグしたら喜んでくれたのに…。出会ったのは10代ですから、思い出はいっぱいありすぎて、ありがとうございますとしか言えません。

 早見優(46)の話 アイドルはみんなにかわいがられるようになってねと言われた。アイドルが顔を隠すのはよくないとサングラスをかけるのが禁止だった。3月に会った時はいつもの会長だった。「やせましたか」と聞くと「ダイエット」と言っていた。

 香坂みゆき(50)の話 遺影の写真はいつも見ていた写真だった。すてきなネクタイをしていた。(弔問に太川陽介らも来て)同窓会みたい。会長がいつも夕食に連れていってくれたメンバーが集まった。

 ダイアモンド☆ユカイ(51)の話 会長は自分が成り下がっていたとき、やさしく見守ってくれました。遺影にはありがとうございますと声をかけました。会長は自分の歌を好きでいてくれて、思いっきり歌えといつも言ってくれたのに…。

 ベッキー(29)の話 13歳の時にお会いした。一番偉い人なのに一番近い人。かわいらしい太陽のような方だった。見舞いに何度も行き「もっと病室にいたい」と言ったら「だめだめ、ベッキーは仕事でしょ」と言われた。「また来ていいですか」と聞くと、大きな声で笑っていました。

 ◆参列した主な芸能人 都はるみ、ベッキー、中村メイコ、野村将希、ケイン・コスギ、渡哲也、スギちゃん、多岐川裕美・華子母娘、高木ブー、五木ひろし、香坂みゆき、早見優、松田聖子・沙也加母娘、牧村三枝子、平尾昌晃、ダンディ坂野、森田健作、太川陽介、大石まどか、上杉香緒里、和田アキ子、ダイアモンド☆ユカイ、さんみゅ〜、川中美幸

 

この記事を印刷する

PR情報

おすすめサイト

ads by adingo




中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ