社説[元「慰安婦」証言]「私の存在が証拠です」

2013年5月20日 09時24分

 尊厳が傷つけられた過酷な体験を当事者自らが証言する言葉の意味は重い。

 旧日本軍「慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。

 金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。

 橋下氏が強制連行の証拠はない、と繰り返していることに「血の涙がにじむ経験をした本人がいるのに、どうして証拠がないと言えるのか。私がここに生きている。それ以上の証拠がいったいどこにあるのか」と批判した。

 日本政府は1993年の河野洋平官房長官談話で「お詫(わ)びと反省」を表明。「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと旧日本軍の関与と強制性を認めている。

 だが、第1次安倍内閣は2007年、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定している。橋下氏の強制連行はなかったとの発言はこれに基づくものだ。

 そもそも強制かどうかに関係なく、公党の代表が現在の時点に立って「当時は必要だった」と公言すること自体許されないことだ。

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 当事者の証言は証拠である。史資料と比べ価値が低いわけではない。オーラル・ヒストリー(口述史資料)を重要視する学会の動向を見れば明らかだ。

 沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」訴訟で、司法側が住民のオーラル・ヒストリーを証拠として採用したことともつながる。

 慰安婦問題が沈黙から告発へと大転換したのは1991年だった。故金学順(キムハクスン)さんら韓国人元「慰安婦」3人が初めて、日本政府を相手に謝罪と個人補償を求める裁判を東京地裁に起こしてからである。戦時の性暴力が問われることになった。

 橋下氏のような発言は、国際社会から見れば、日本は、正面から慰安婦問題に取り組んでこなかった、と受け止められるに違いない。

 維新の会の西村真悟衆院議員は17日の党代議士会で「日本には韓国人の売春婦がうようよいる」と発言した。有権者から選ばれた政治家がこのような低劣な発言をしたことに驚きを禁じ得ない。除名処分にするのは当然である。

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 慰安婦問題の真実を伝えようと、韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会は来月初めまで各地で証言集会を開く。金さんはその一環として来沖した。同じく韓国人元「慰安婦」の吉元玉(キルウォンオク)さん(84)も来日しており、2人は24日に橋下氏と面会する。

 慰安婦問題は決して過去の話ではない。私たちが向き合い、克服しなければならない現在の問題である。

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