【2012.9.23の講演会にて】
私は時代を間違えて生まれてしまいました。国の力が弱かったために日本に国を奪われて、たくさんの人々が銃剣のもとに倒れていきました。若者たちは徴用、徴兵などの名で引っ張られていき、学生たちまで学徒兵という名で根こそぎ奪われていきました。
それでも足りなくて、女性に対しても、各郡や市町ごとに何十人と募集が行われました。娘を持つ親たちは、娘たちを守るために結婚させたかったのですが、
徴用や徴兵で相手がいませんでした。
14歳のある日、日本人の警察官と、村の班長と、軍服を着た男性が二人がやって来ました。「軍服をたくさん作らなくてはいけない。人手が足りないから、工場に行きなさい」と言われました。「なぜ、こんなに幼い子を連れていくのか。こんなに幼いのに工場で働けるのか?」と母が言ったら「行って学べばいい。行かなかれば、財産を没収して外国に追放する」と脅迫されました。
まさか連れて行かれても死ぬことはないだろうと思い、私は家を出ました。しかし、連れて行かれた場所は、工場どころか、陸軍の軍人の性の相手をさせられる場所だったのです。幼い少女が、日本軍の性奴隷として8年間、そこに囚われていたのです。
この胸の痛みを分かって頂けるでしょうか。みなさんにもお子さんがいるのではないでしょうか。もし自分の幼い子どもが遠くの戦場に連れて行かれて、こんな目にあったとしたら、どんなふうに思われますか?
そして私は、陸軍第15師団の本部について、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール、バンコクと連れ回されました。私たちは陸軍本部についていました。本部から40Km前線で部隊が上陸し戦闘を行います。そこに後から本部が乗り込んでいくのです。
私たちは、人間としてではなく、まるで機械、あるいは獣のような扱いを受けました。土曜日は12時から夕方の5時まで、日曜日は朝の8時から夕方の5時まで日本兵の性の相手をさせらたのです。軍人たちが列をなして立っています。一人を相手にするだけで、もう血が流れて痛くてたまらないのに、3分ほどで次の男が入ってきます。数十人の相手をそんなふうにすると、その後はもう立つこともできませんでした。
このようなことをしておいて日本政府は、何故謝らないのでしょうか。私は、何も今の日本政府が悪いと言っているのではないのです。過去に天皇制のもとで、過ちを犯したその事実に対して現政府にきちんと謝罪をして法的な賠償をしてもらいたいと思っています。
民間人がやったことだとか、お金儲けのために行ったんだとか言われていますが、しかし、戦場にたくさんの幼い少女たちを民間人が連れていくことは可能だったのでしょうか。軍の許可がなければ、出来なかったことだと思います。また、いくらお金儲けが出来たとしても、あんな戦場に行きたいと思う人がいるはずがありません。
根拠がないとか、証拠がないとか言っているようです。証拠はあるはずです。根拠がないと言いますが、ここに証人が生きています。本人が生きているのに、根拠がないなんて、あまりにもひどいと思います。それがあまりにも悔しくて、「根拠がない、証拠がない」と言う人に私は直接会いたいと思って日本にやって来ました。私たち被害者はもうほとんど死んでしまって何人も残っていません。生きている人がいる間に解決して欲しいと思います。
何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいくのが人間です。生きている間にお互いに理解しあい、慰めあって仲良く生きていくことが大事だと思います。在日の人たちに関しても、大事にして欲しいと思います。私が言いたいことを全部話そうと思ったら、一晩かかっても話しはできません。今日はこのようにたくさんの方が来て下さって、本当にありがとうございました。