【プレスリリース】日本列島3人類集団の遺伝的近縁性
2012/11/01
国立大学法人 総合研究大学院大学
電話 046-858-1590 FAX 046-858-1542
プレスリリース概要
『日本列島3人類集団の遺伝的近縁性』
○記者会見出席者:
斎藤成也(さいとう・なるや)
(総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻 教授 兼任/
国立遺伝学研究所 集団遺伝研究部門 教授)
Timothy Jinam(ティモシー・ジナム)
(国立遺伝学研究所 人類遺伝研究部門 博士研究員/
総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻 2011年9月博士課程修了)
徳永 勝士(東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野 教授)
尾本 惠市(東京大学大学院理学系研究科・理学部 名誉教授)
【研究概要】
国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門(総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻教授兼任 )の斎藤成也教授、東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、東京大学大学院理学系研究科・理学部の尾本惠市名誉教授を中心とする研究グループは、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得た。
これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られていたが、決定的なものではなかった。今回、研究グループは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)(注1)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を含む日本列島人のDNA分析を行った。
その結果、アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。さらに、他の30人類集団のデータとの比較より日本列島人の特異性が示された。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する。また、アイヌ人はさらに別の第三の系統(ニブヒなどのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があり、本土人との混血と第三の系統との混血が共存するために個体間の多様性がきわめて大きいこともわかった。
日本列島における人類集団の遺伝的多様性を明確にすることは、人類学的観点のみならず、ゲノム医学にとっても大きな意義がある。将来は、これら集団間の表現型の違いとゲノムの違いを結びつけることが期待される。
【詳細研究内容】
日本列島は南北4000km以上にわたっており、3万年以上前から人間が居住してきた考古学的・人類学的証拠がある。現在は北から順にアイヌ人、本土人、琉球人という3人類集団が分布している。これらの人々の起源と成立については、以前からいろいろな説があったが、ベルツ(注3)のアイヌ・沖縄同系説に端を発し、鳥居龍蔵や金関丈夫らが提唱した混血説の流れをくむ二重構造モデルが現在の定説である。これによれば、日本列島に最初に移住し縄文人を形成したのは,東南アジアに住んでいた古いタイプのアジア人集団の子孫である。その後,縄文時代から弥生時代に変遷するころに,北東アジアに居住していた人々の一派が日本列島に渡来してきた。彼らは極端な寒冷地に住んでいたために,寒冷適応を経て,顔などの形態が縄文人とは異なっている。この新しいタイプの人々(弥生時代以降の渡来人)は,北部九州に始まって,本州の日本海沿岸,近畿地方に移住を重ね,先住民である縄文人の子孫と混血をくりかえした。ところが,北海道にいた縄文人の子孫集団は,この渡来人との混血をほとんど経ず,やがてアイヌ人集団につながっていった。沖縄を中心とする南西諸島の集団も,本土から多くの移住があったために,北海道ほど明瞭ではないが,それでも日本列島本土に比べると縄文人の特徴をより強く残した。
これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られていたが、決定的なものではなかった。そこで今回、徳永研究室で使用している、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人と琉球人のDNAをあらたに調べることにした。北海道日高地方の平取町に居住していたアイヌ系の人々から尾本らが1980年代に提供を受けた血液から抽出したDNAサンプルについて、これまでミトコンドリアDNA、Y染色体、HLAの研究が行なわれてきたが、それらのうち、36個体分を用いた。サンプル収集時期が30年近く前なので、今年に入って平取町を3回訪問し、町役場のアイヌ施策推進課の協力を得て、アイヌ協会平取支部の方々にお会いし、これまでの研究成果と今回の成果について説明した。琉球人のDNAについては、琉球大学医学部の要匡准教授らが数年前に提供を受けた35個体分を用いた。
今回の研究では、個人を単位にした解析と集団を単位にした解析を行なった。前者については、多変量解析の標準的な手法である主成分分析、祖先集団を仮定してそれらの遺伝子交流を個人ごとに推定する方法のふたつを用いて解析した結果、アイヌ人からみると、彼らから地理的に大きく離れている琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。また、アイヌ集団が本土人およびおそらく北海道よりももっと北方の人類集団と遺伝子交流をしてきたことにより、個体間の多様性がきわめて大きいことがわかった。他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)の特異性が示された。これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している。集団を単位とした解析では、アイヌ人と琉球人が統計的にきわめて高い精度でクラスターを形成し、それと本土人、韓国人がそれぞれつながってゆくパターンが同様の高い精度で支持されている。以上から、現代日本列島人は、旧石器時代から縄文時代を通じて居住してきた縄文人の系統と、弥生時代以降を中心に日本列島に渡来してきた弥生系渡来人の系統の混血であることがはっきりした。また、アイヌ人はこれらとはさらに別の第三の系統(ニブヒなどのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があったことがわかった。
今回決定した100万SNP座位のデータは、さらに詳細な研究を進める上での基盤情報として貴重なものであり、今後は日本列島に渡来して来た祖先集団の出自の問題の探求や、表現型の違いとゲノムの違いを結びつける研究にも貢献することが期待される。
【論文全著者】
Japanese Archipelago Human Population Genetics Consortium
(日本列島人類集団遺伝学コンソーシアム)
<コンソーシアムメンバー>
Timothy Jinam(ティモシー・ジナム)
(総合研究大学院大学 生命科学研究科 遺伝学専攻 博士課程{2011年9月修了})
(現所属:国立遺伝学研究所人類遺伝研究部門 博士研究員)
Nao Nishida(西田奈央)
(東京大学 大学院医学系研究科 人類遺伝学教室 講師)
Momoki Hirai(平井百樹)
(東京大学 大学院創成科学研究科先端生命科学専攻 名誉教授)
Shoji Kawamura(河村正二)
(東京大学 大学院創成科学研究科先端生命科学専攻 教授)
Hiroki Oota(太田博樹)
(北里大学医学部 准教授)
Kazuo Umetsu(梅津和夫)
(山形大学医学部 准教授)
Ryosuke Kimura(木村亮介)
(琉球大学亜熱帯島嶼科学超域研究推進機構 准教授)
Jun Ohashi(大橋順)
(筑波大学医学部 准教授)
Atsushi Tajima(田嶋敦)
(徳島大学大学院 准教授)
Toshimichi Yamamoto(山本敏充)
(名古屋大学医学部 准教授)
Hidyuki Tanabe(田辺秀之)
(総合研究大学院大学先導科学研究科 准教授)
Shuhei Mano(間野修平)
(総合研究大学院大学統計数理学専攻 准教授)
Yumiko Suto(数藤由美子)
(放射線医学総合研究所 緊急被ばく医療研究センター 室長)
Tadashi Kaname(要匡)
(琉球大学医学部 准教授)
Kenji Naritomi(成富研二)
(琉球大学医学部 教授)
Kumiko Yanagi(柳久美子)
(琉球大学医学部 助教)
Norio Niikawa(新川詔夫)
(北海道医療大学 学長)
Keiichi Omoto(尾本惠市)
(東京大学 大学院理学系研究科・理学部 名誉教授)
Katsushi Tokunaga(徳永勝士)
(東京大学大学院医学系研究科 教授)
Naruya Saitou(斎藤成也)
(総合研究大学院大学生命科学研究科 教授;東京大学大学院理学系研究科 教授;国立遺伝学研究所 教授)
【論文原題】The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations
(ゲノム規模のSNPデータから推論された、アイヌ人と琉球人に特に着目した日本列島人類集団の歴史)
【発表雑誌名】 Journal of Human Genetics、Nature Publishing Group、2012 年11月1日オンライン版
【用語解説】
(注1)SNP(Single Nucleotide Polymorphism):
一塩基多型。ゲノム全域に存在する遺伝的多型のひとつ。DNAには4種類の塩基
(A,C,G,T)があるが、塩基が置換するタイプの突然変異率はきわめて低いので、
大多数のSNPではこれらのうちの2塩基が集団中に共存するタイプである。
(注2)クラスター(cluster):
遺伝子や集団の系統樹で、複数の系統がひとつにまとまっている状態。
(注3)ベルツ(Erwin von Baelz):
1849−1913.ドイツ人.1876年から1905年まで日本に滞在し、東京帝国大学医学部の教官などをつとめる。日本人と結婚。1911年にアイヌ沖縄同系論をドイツの雑誌に発表。
【添付資料】
表1:今回の研究で用いた日本列島の3人類集団とHapMap計画で検査された4人類集団の基礎的な情報。Ref. 35は徳永研究室の研究成果である。
Average heterozygosityは「平均ヘテロ接合度」と訳し、個体の遺伝的多様性を示す指標のひとつである。アイヌ人がもっとも低い値を示し、アフリカのヨルバ人がもっとも高い値を示している。
図1A:多変量解析の代表的な手法のひとつである主成分分析の結果。横軸(PC1)は全体の分散をひとつの軸に沿って表現したときに分散の度合いが最大になるように、線形代数を用いて計算された結果であり、縦軸(PC2)は横軸で説明された分散以外の中で、分散の度合いが最大になるように計算した結果である。かっこの中の数字は、全分散の中でそれぞれの軸にそったばらつき(分散)が占める割合を示す。小さい値ではあるが、これらが全体の分散の中で最大の要素なので、全SNPが同じ影響を受ける集団の遺伝的分化あるいは混血の影響を示すものだと解釈できる。すると、横軸(PC1)は、左にゆくほどより縄文的要素を、右にゆくほどより弥生的要素を示していると解釈できる。縦軸(PC2)は、アイヌ人以外の集団をみると、北京の中国人、本土日本人、琉球人の順に上から下に並んでいるので、縄文と弥生の差以外の要因によるものだと考えられ、東アジアにおける南北の地理的勾配を表している可能性がある。
アイヌ人は、本土日本人よりも琉球人に近いが、大きな多様性を示している。これは、本土日本人の変異の中に3個体がある一方で、上の方に位置する赤の破線で囲った5個体は、本土日本人とは別の、おそらく北海道以北に居住する集団との混血集団であろうと推測される。
図2:祖先集団の数(k)を指定して各個人の混血パターンを推定したもの。細い縦軸1本1本が1個体に対応する。k=2の場合は、青色部分が縄文的要素、オレンジ色部分が弥生的要素といえる。k=3の場合は、青色部分は縄文的要素だが、k=2の時のオレンジ色部分がオレンジ色と赤色に分かれている。この場合、解釈がむずかしくなるが、赤色部分を弥生的要素と考えると、オレンジ色部分は縄文系と弥生系の長年の混血によって形成されたものと考えることができる。ただし、この解析手法はいろいろな仮定を必要とするので、以下の結果をそのまま鵜呑みにすることはできない。
図3:図3aはHuman Genome Diversity Project(ヒトゲノム多様性研究計画)によって収集され、SNPタイピングされた人類集団のデータと、表1で示した集団のデータを合わせて、主成分分析を行なった結果。図3bは、図3aで用いた集団に、さらにPanAsian SNP Consortium(汎アジアSNPコンソーシアム)が収集しSNPタイピングした人類集団のデータを合わせて、主成分分析を行なった結果。どちらの場合も、横軸(PC1)の右端にアイヌ人が、その隣に琉球人、本土日本人がこの順に並んでおり、日本列島の人類集団の特異性を示している。図3bでは、図3aには含まれていなかった韓国人が、日本列島人と他の東アジア集団との中間に位置している。
図4:これまでの個人を単位とした解析と異なり、集団を単位とした系統解析の結果である。図4aは、根井の標準遺伝距離を東アジアの29人類集団間で計算し、それらに対して近隣結合法により系統樹を作成した結果である。アイヌ人、琉球人、本土日本人がひとつの枝(クラスター)をなしている。図4bは、対立遺伝子頻度データから最尤法を用いて系統樹を作成し、枝の信頼性を測るためにブーツストラップ確率も計算した結果である。アイヌ人と琉球人が100%の確率でクラスターを形成し、このクラスターと本土日本人がやはり100%の確率でクラスターとなり、この日本列島人クラスターにさらに韓国人が加わって、他の東アジア集団につながっている。
図5:今回の結果および考古学的知見をもとにして、日本列島人の遺伝的な変遷を予想したもの。1万年以上前から、日本列島には縄文人が広く薄く居住してきたが、3000年ほど前に大陸からの渡来人(Yayoi ancestors)が稲作農耕をもたらして、弥生時代が始まった。その後、九州、四国、本州の本土日本人は旧石器時代、縄文時代以来の先住民と大陸からの渡来民との遺伝子交流がひんぱんに生じたが、北海道を中心に居住していた人々は農耕を受け入れず、独自の文化をその後も維持して、その後アイヌ文化を生み出していった。そのあいだに、北方から渡来したオホーツク人とも遺伝子交流があり、さらに近世以降は本土日本人との遺伝子交流が活発になり、現在にいたっている。この結果、アイヌ人は縄文的要素をもっとも色濃く伝えている。琉球人は、九州からもたらされた稲作農耕を受容するとともに、本土日本人との遺伝子交流が歴史時代を通じて存在したが、なお縄文時代以来の先住民のDNAを、本土日本人よりは高く保持している。このため、北のアイヌ人からみると、南の琉球人が遺伝的に本土日本人よりも近い状況になっている。