2007-01-03 10:57:42

異言語間の力学

テーマ:言葉・言語

日本語を勉強したことのあるアメリカ人が3人いたとする。


問題をわかりやすくするために、単純に次のような設定をしてみる。


Aさん・・・日本語がペラペラ


Bさん・・・日常的な日本語会話はある程度でき、

        単語もかなり知っている(話せる以上に読める)が

        会話はかなりぎこちない


Cさん・・・ほとんど片言の日本語しか話せず、

        文章を読むことも困難


この3人のそれぞれと、私が「二人だけで」会話した場合、どうなるか?

(なお、私の英語力はほぼBさんの日本語力と同じぐらいとする。

つまり、Aさんの日本語は私の英語より相当うまく、私の英語はCさんの

日本語よりは相当マシだという設定)

一応ここでは、私とそれぞれの人との間に話をしたい共通の話題があり、

お互いに楽しく、実りのある会話をしたい、という以外の要素が混入して

いない、と仮定する。


そうすると、


1)私とAさんとの会話は、ほとんどもっぱら日本語で


2)私とBさんとの会話は、日本語と英語をごちゃまぜにして


3)私とCさんとの会話は、ほとんどもっぱら英語で


なされるであろうことは、想像に難くない。


 # 実際、このブログに登場したアメリカ人の中にAさん、Bさん、Cさん

   のモデルケースに当たる人がそれぞれ一人ずついるので、上記の

   ことは私の実体験からも確認できる。


つまり、他の条件や制約が働かないとすると、

二人の会話は、当の二人の間でより濃密なコミュニケーションが

可能となる方向へ、コミュニケーションに当たって異言語を母国語と

する双方が感じるストレスの和がより少なくなる方向へ進んで

行くのが、理の当然であるからだ。


もちろん、Aさんとの会話が日本語でなされた場合、Aさんにかかる

ストレスは私よりもずいぶん大きいであろうが、そのストレスは、仮に

Aさんが英語をまったくしゃべれないか、あるいはほんの片言しか

しゃべれない日本人と日本語で会話するよりも、相当少ないはずで

ある。

(私は少なくとも、Aさんがいかに日本語がうまくても、外国語をしゃべ

っていることでどのくらいのストレスを感じているかを身をもって理解

することができるし、英語を母国語とする人が日本語をしゃべる場合に

どこで大きな困難があるかが想像でき、ある程度こちらがそのストレス

を軽減してあげるすべをもっているからだ)


逆に、Cさんとの会話が英語でなされても、そこで私にかかるストレス

は、私が日本語のことを全く知らないアメリカ人と英語で会話するより

もはるかに少なくて済む(理由は上に同じ)。



また、上記の法則は、たとえば

片言の日本語しか話せないが英語はそれよりも自由にしゃべることができる

ドイツ人と、ドイツ語は片言しか話せないが英語の方がまだマシだという日本人

が(双方にとって不自由な)英語で会話する、といったような事態にも当てはまる

だろう。



もちろんここに二人ではなく、

他の人が入り込んでくると、コミュニケーションは俄然難しくなる。

たとえば、私とCさんとの会話に、英語がほとんどまったくしゃべれない日本人の

Dさんが一緒に入ったとすると、私にかかるストレスはたいへん大きくなる。

私には理解できるCさんの英語が、どの程度Dさんに伝わっているか、私が

Cさんへ返す英語もどの程度Dさんがわかっているかを常にはかりながら

会話しなければならないばかりか、Dさんが伝えようとすることをCさんに通訳

しなければいけない場合もあるからだ。


純粋に理論的な対称関係だけで考えると、

逆に、私とAさん(日本語がペラペラのアメリカ人)の間に、日本語をほとんど

片言しかしゃべれないアメリカ人(たとえばCさん)が入った場合、Aさんに

多大な負担がかかることとなるが、実際にはそうはならない。

こうした場合、日本語ではなく、もっぱら英語で会話が進むのは

目に見えているからである。

(なので一番ストレスフルなのは私ということになる。AさんとCさんがやりとり

する英語は、AさんやCさんがそれぞれ私と二人でしゃべる場合の英語よりも

ずっと私には理解しにくいからだ)


上記のことは、仮に会話の場所がアメリカではなく日本であったとしても

おそらく同じであろう。


なぜか?


日本語と英語というのが、二つの同等な地位をもった異言語ではなく、

圧倒的に力関係の異なる二つの言語 だからだ。


この悲しい事実について目をふさぐことは、日本で暮らしている限りは

ある程度可能である。


しかし、アメリカで暮らしていると、

いくらこの事実を受け入れざるを得ないということを頭では理解していても、

それがいやおうなしに日々の意識に突き刺さってくる現実に、

時に「いいかげんにしてくれ・・・」と叫びたくなることもある。。。





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