SSSR大会 in Portland
テーマ:学会・研究会さて、次の学会に行く前に、
ポートランドで参加したSSSR(Society for Scientific Study of Religion、「宗教の科学的研究」
のための国際学会)について、簡単な報告をしておこう。
(右の写真は、会場のホテルマリオット・ダウンタウンの入り口にいる私。
さて、この写真は発表前のものでしょうか?・・・それとも発表後のものでしょうか?・・・
それは読者のご想像におまかせします)
今回の大会テーマは、
プログラム表紙(左)にあるように、
Religion V Spirituality 宗教 対 スピリチュアリティ(霊性)
である。
このテーマは、言ってみれば、現在、世界中で流行りのもの。
(「世界中」と言っても、もちろん自国内で「宗教」を科学的に研究するというようなことが
可能な諸国に限られるが・・・)
日本でも、
たとえば、最新号の『宗教研究』349号(日本宗教学会の学術誌)は
特集テーマが「生命・死・医療」だが、そこに載っている論文の中で
少なくとも5つの論文(私のものを含め)が
「スピリチュアリティ」あるいは人間の生死における「スピリチュアル」な次元について
それぞれの角度から論じている、と言ってよい。
しかし、今回のSSSR大会に参加して、
「宗教とスピリチュアリティ」に関連するさまざまな発表を聞いた後での
私の感想は、
「やはり、spiritualityというのは西洋の概念だ」
ということに尽きる。
もちろん、そのことは初めから知っていた、というか、
ある意味ではこの概念が日本の状況にはしっくりこない、という前提に
私は今回の発表("Sprituality" in contexts : Its different meanings in Japan
日本における「スピリチュアリティ」という語の異なった用法とその文脈について)
をしたのではあるが、
改めて、その前提を浮き彫りにする形になった、ということだ。
簡単に言うと、
「スピリチュアリティ」という、従来の「宗教」という枠にはまらないものを含んだ概念を
持ち出してきて「宗教」と対比させるということ、そのこと自体が、
キリスト教というガッチリ制度化された既成宗教が最近まで社会的に相当な力を
持ち続けてきた(そしてそれが今、揺らいでいる)西洋社会の産物だという、
当たり前のような話。
なので、「宗教 対 スピリチュアリティ」ということになると、
西洋の学者の発表は基本的にパターンが決まっていて、つまらない。
ほとんどが、「あなたは神を信じますか?」、「何かの宗教団体、教団に所属して
いますか?」、「教会の礼拝にどの程度参加しますか?」、「スピリチュアルなもの
は大切だと思いますか?」、「自分はスピリチュアルな人間だと思いますか?」
といったアンケートの統計データとと国別の比較などに基づいた研究。
こんなのは初めから結論が決まっていて、国によって主となる既成のキリスト教
の教派やその影響力に差はあるものの、基本線は、「制度化され、集団的な「宗教」
から、非制度的、個人的な「スピリチュアリティ」へ」ということにしかならない。
あるいは逆に、人々の「宗教的」行動のもっとミクロな面に着目すれば、既成宗教の
教派の中に所属する人たちも、もとの教義や教団の伝統的活動からははずれた
「スピリチュアル」な行動をとったり、そういうグループを作ったりすることもあるわけ
で、それからすれば、「宗教からスピリチュアリティへ」というのは単純な二分法は
実りがなく、もっとそれぞれの教団や個人のミクロな研究を進めるべし、ということ
になる。
こういう図式に、そもそも日本は当てはまらない。
1)「スピリチュアリティ」というものを「宗教」と対比する際の土台になる「既成宗教」
自体がとうの昔に空洞化してしまっている。
2)ある意味で、日本人が「宗教的」とは意識しない(今でもけっして完全にはすたれて
いない)日本の文化伝統そのものの中に、「スピリチュアル」なものがふんだんにある。
(「無宗教的宗教性」とか「日本教」とか呼ばれてきたもの)
3)「スピリチュアル」や「スピリチュアリティ」は外来語で、(一部の人々を除いては)
日本人が自他の人間性や行動を認知、形容する際の一般的な言葉には入らない。
からだ。
なのになぜ日本でも「スピリチュアリティ」なんて言葉が語られ、流行っている(?)
のか、ということが(ある意味)私の発表の出発点なのだが、
その「出発点までのところ」を語るだけでけっこう大変だ。。。
というわけもあって、私の発表はかなり時間不足。。。
原稿の3分の2ほどいったところで、「あと1分!」のカードを出され、かなりうろたえた
が、持ち前の(?)ずうずうしさで時間を可能な限り引き延ばし、後半部をだいぶカット
して、なんとか「途中で難破」は免れた、というところ。
もちろん原稿の量に問題があったのは確かだが、言いたいことを言おうとすると、
あれ以上どこを削るんだ(?)、というのも本音。。。
まあ、次はもっと「傾向と対策」を練ってから発表準備をしようと思う。
ちなみに、
会場で出会った日本人は(私以外に)3人。
日本から来ていたのは、四国遍路についてポスター発表したKさんのみ。
あとの二人は、オランダ・アムステルダムから来たNさん(韓国のペンテコスタリズム
について研究中)、オハイオ州立大学教授でアメリカ在住23年という経済学者の
Oさん(宗教のような利他的行動と経済との関係が研究テーマの一つらしい)。
アメリカ大陸横断してきた私も含め、ポートランドへの距離、ということだけ
からすると、日本が特に遠いというわけでもない。
(付記)
SSSRでの私の発表原稿をお読みになりたいという方は、
メールでその旨ご一報ください。添付ファイルでお送りします。
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1 ■無題
だから「使う人々」の研究も必要なんですよね。