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できごと
【関西の議論】娘は泣いた「40年以上待った母への謝罪がわずか20分か」…死後“水俣病認定”の不条理、冷たい行政
病床で待ち続けた結果
女性は大正14年、熊本県水俣市に生まれた。昭和45年ごろまでは地元の海でとれたボラやアジ、タコなどの魚介類を日頃から食べていた。46年に兵庫県尼崎市に転居して以降、両手足がしびれたり、物を持ったときに震えが出たりして、同年ごろから入退院を繰り返すようになった。
53年、熊本県に水俣病の患者認定を申請。しかし、県は水俣病患者とは認めなかった。女性の症状は手足がしびれる感覚障害のみ。これに対し県は、感覚障害だけでは水俣病とは認定できないと判断した。
このため、平成19年5月、認定を求めて大阪地裁に提訴。22年の1審判決は、県の認定手法を「医学的正当性を裏付ける根拠はない」と批判し、水俣病と判断した。当時入院していた女性はベッドで朗報を聞き、涙を流して喜んだという。
だが、24年4月の2審大阪高裁判決は「行政の判断に不合理な点はない」と1審判決を覆す。
長女から結果を聞くとショックを隠せず、「あんた、嘘ついているんや」となじった。上告後には病院のベッドで「いつ認められるのか」と口癖のように話していた。
女性は今年1月、食べ物をのどに詰まらせて意識不明の状態になった。長女は「心臓さえ動いていれば、いい結果を聞かせてあげられるかもしれない」と、毎日、眠る母の頭をなでて話しかけた。
「もう少しだからね。頑張ってね」
だが女性は3月3日に帰らぬ人となった。
「52年基準」の厚い壁
女性が長らく水俣病と認定されなかったのは、「52年基準」といわれる国の認定基準の存在による。
環境省によると、この基準は、手足の感覚障害のほか、運動失調や視野狭窄(きょうさく)といった神経系の症状の組み合わせが一定のパターンに適合するかどうか、というもの。それぞれ単独の症状であれば、水俣病以外の可能性もあるので患者認定は困難で、手足がしびれる感覚障害のみだった豊中市の女性の場合も、患者認定がされなかった。
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