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できごと
【関西の議論】娘は泣いた「40年以上待った母への謝罪がわずか20分か」…死後“水俣病認定”の不条理、冷たい行政
35年間待ちわびた決定は、亡くなったわずか2カ月後にもたらされたものだった。「もう少し早ければ母に聞かせられたのに」。長女は遺影に手を合わせ、涙を流した。大阪府豊中市の女性が水俣病の患者認定を求めた訴訟は、熊本県が控訴を取り下げることで5月、終結。しかし、女性は今年3月、87歳で亡くなっていた。女性の前に立ちはだかったのは「52年基準」といわれる国の水俣病判断基準だった。特定の症状の組み合わせに適合しなければ水俣病と認められない、というものだ。最高裁は、この基準を「個別の事情を総合的に検討すべき」と妥当性に疑問符を付けた。関係者は、女性のような悲劇を繰り返さないためにも「国は認定基準を見直すべきだ」と指摘する。
35年越しの認定書
「長期にわたり心労をかけ、申し訳ありませんでした」
5月13日、大阪市内の弁護士事務所。熊本県の蒲島郁夫知事は、3月に亡くなった女性の長女(68)と約20分にわたって面会し、直接謝罪した。
女性が昭和53年、公害健康被害補償法に基づき県に水俣病患者の認定を申請してから35年が経過していた。
長女は「母は40年以上にわたって入退院を繰り返し、長く裁判を闘ってきた。それが数十分の面会で終わり、あっけなさすぎる。これなら、もっと早く認めてくれていれば…」と漏らした。
最高裁は4月16日、水俣病認定について「個々の事情と証拠を総合的に検討し、申請者ごとに個別具体的に判断すべきだ」と弾力的な運用を示し、女性の訴訟を2審の大阪高裁に差し戻す判決を出した。
蒲島知事の来訪は、これに基づくものだった。
最高裁判決を受け、蒲島知事は5月2日、訴訟の終結と女性の患者認定の意向を表明した。同7日には控訴を取り下げるとともに、女性を水俣病と認定。同9日、同県の担当部長が、女性の代理人弁護士の事務所で長女に認定書を手渡した。
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