第四章にかんする暴行事件の報告

 

以下に紹介する暴行事件例は、一月一日から十二日までの間、つまり第四章に収録した二通の手紙にかんする期間に、日本側に報告されたものである。

  

事件番号

 第一七一件 一九三八年一月一日午後三時、スパーリング氏が寧海路と広州路の角にさしかかると、一人の老婆が家の中から飛びだしてきた。スパーリング氏が中に入ると、一人の日本兵が逃げだしていった。しかし、寝室にはもう一人、素裸の日本兵と強姦されたばかりの半裸体の中国人の娘がいるのが見られた。スパーリング氏は兵隊に出て行けと命じたが、衣服を着る時間を与えた。〔スパーリング〕

 

 第一七二件 一月一日午後九時、日本兵がトラックで小桃源のラーべ氏の住宅前に乗りつけ、トラック一台分の娘を出せと要求した。ラーべ氏は門を閉めて入れなかったので、彼らは金陵大学付属中学の方へ行った。〔ラーべ〕

 

 第一七三件 一月一日午後、三名の日本兵が金陵女子文理学院に入ってきた。その中の一人は一人の娘を追い回し、庭の竹薮に入った。ヴォートリン女史(Miss Vautrin)が呼び出されて、強姦寸前の娘を救い出した。残り二名の日本兵は憲兵であることを自認した。〔ヴオートリン〕

 

 第一七四件 一月一日午後一時四十分、二人の日本兵が珞珈路一七号のフォースター師(Rev. Forster)の住宅内に侵入して、一人の娘を強姦し、抵抗して強姦を拒否したもう一人の娘を殴打した。フォースター師はフィッチ氏と食事をするため外出していた。フィッチ氏・マギー氏・フォースター氏は車で現場へ駆けつけ、二人の娘を鼓楼医院で手当てするために連れて行った。〔フィッチ〕

 

 第一七五件 一月一日午後四時、三名の日本兵が漢口路一一号金陵大学附属の住宅(アメリカ人所有の建物)で十四歳の少女を強姦した。その家の婦人が校門にやって来て憲兵を呼んだが、憲兵のくるのが遅すぎて間に合わなかった。〔ベイツ〕

 第一七六件 一人の日本兵が一九三八年一月二日午前十時から十一時の間に、陳家巷五号の劉盤坤(訳音)が妻と五人の子供とで住んでいる家へやって来た。兵隊は家を捜査しようとした。そこでその婦人、つまり劉の妻の姿を見て家の状態について尋ねた。婦人は質問にこたえ始めた。家の中にいた人びとはこれを見て、婦人に家を出るようにそれとなく合図をした。というのは、兵隊は婦人を部屋の中へ連れ込もうとしていたからである。それで婦人は家を出ようとした。その時、彼女の夫劉盤坤は兵隊に乱暴な言葉を浴びせ、また平手打ちをくらわせた。すると、日本兵は立ち去った。婦人は家に戻り炊事を始め、夫の方は五人の子供と一緒に食事をしようと食べ物を運んでいた。午後四時頃、同じ日本兵が銃を持ってやって来た。この日本兵は主人を出せと命じたが、近所の人たちは兵隊に生命は助けてくれるように嘆願し、一人の男などは日本兵の前にひざまずいた。劉は台所に隠れていた。日本兵は彼の姿を見つけるや、即座に肩を射ちぬいた。H医師が四時半頃よばれて行って見ると、男は死んでいた。ジョン・マギー師も少し遅れて行ったが、この現場に行きあわせた。〔徐、マギー〕

(訳注)徐氏の編書では、CY・徐(Hsu)医師となっている。

 

第一七七件 一月二日午後三時、スパーリング氏とフィッチ氏が呼ばれて寧海路三号にいってみると、四人の日本兵が略奪したり、強姦したりしているところだった。日本兵はスパーリング氏の黒いカギ十字の腕章を見ると、「ドイツ、ドイツ」と大声で叫んで逃げていった。〔スパーリング〕

 

 第一七八件 一月三日、日本軍将校の洗濯婦という名目で鐗銀巷六号から十二月三十日に連行ざれた婦人たち六人のうちの一人が鼓楼医院に来院した。彼女の言うところによれば、日本兵に市の中央部の西寄りにある家へ連れて行かれたが、彼女の考えでは日本軍の軍用病院に違いないということである。婦人たちは昼間は衣類を洗濯したが、あとは夜通し強姦された。年かさの婦人は一晩に一〇回から二〇回強姦され、若く美しい婦人は四〇回も強姦された。一月二日、二人の日本兵が来院した婦人を人気のない学校の校舎へつれて行き、一〇回も銃剣を突き立てた。そのうち四回はうなじに突き立てて、脊柱の方にゆく筋肉を切断し、手首へ一回、顔へ一回、背中へ四回、切りつけた。おそらくこの患者は回復するであろうが、首が自由にまわらなくなるであろう。兵隊たちは彼女が死んだものと思って置き去りにした。他の日本兵が彼女を見つけ、その様子を見たうえで知り合いの所へ連れてきたので、そこから病院へ担ぎこんだのであった。(現にこの患者は髄膜炎で死亡した。)〔ウィルソン〕

  

 第一七九件 一月三日、発育不全の十四歳の少女が強姦され、きわめて重傷を負ったので、かなりの手術をしなければならなかった。〔ウィルソン〕

 第一八二件 一月七日、二人の日本兵が一人の若い娘を強姦しょうとした。張福熙(訳音)は兵隊を阻止しようとして、慈悲社七号で刺殺された。

 第一八〇件 一月八日、五、六人の日本兵が沈拳人巷二二号で強姦をおこなった後、住人たちに発砲し、李(訳音)という名の三十二歳の婦人に負傷させた。

 

 第一八一件 一月八日、四名の日本兵が昨夜、高家酒館四九号の袁(訳音)氏の宅に押入り三人の婦人(二十一歳・二十五歳・二十九歳)を強姦した。婦人たちがぐずぐずして言うなりにならなかったので、日本兵はピストルで婦人たちを射ったのである。

 

 第一八三件 一月八日午後六時、三名の日本軍飛行士が華僑路四号の高(訳音)という姓の娘(十八歳)を強姦し、ピストルを乱射した。

 

 第一八四件 一月九日、一人の老人が安全区を出て泰沽山(訳音)にある自宅に戻り、帰ってきて住めるかどうか様子を見た。家に着いてみると、三名の日本兵が門の前におり、そのうちの一人が一言も言わずに彼の両脚を射ちぬいた。老人は現在、鼓楼医院に入院中である。〔ウィルソン〕

 

 第一八五件 一月九日朝、クレーガー氏(Kroeger)とハッツ氏は、安全区内の山西路にある中央庚款大廈(The Sino-British Boxer Indemnity Building)の真東にある池で、日本軍将校一名と日本兵一名が平服の一市民を虐殺するのを目撃した。クレーガー氏とハッツ氏が現場に着いた時には、男は割れた氷がゆれ動く池の水に腰までつかって立っていた。将校が命令を下すと、兵士は土嚢の後に伏せて、男に向けて発砲し、男の肩に弾丸があたった。再度発砲したが弾は外れ、第三弾で男は死亡した。〔クレーガー、ハッツ〕

(1)われわれは、日本軍による合法的な死刑執行にたいして何ら抗議する権利はないが、これがあまりにも非能率約で残虐なやり方でおこなわれていることは確かである。そのうえ、このようなやり方は、われわれが日本大使館員たちと個人的に話し合ったさいに何回も言ったような問題をひきおこすのである。つまり、安全区内の池で人を殺すことは池の水をだいなしにするし、そのため、地区内の人々にたいする給水量が大幅に減少するのである。このように乾燥が続いており、水道の復旧が遅れているさいに、これはきわめて重大なことである。市による水の配給は非常に手間どっている。(報告者注)

 

 第一八六件 一月九日午後三時頃、ミルズ師 (Rev. Mills)とスミス博士が、雙塘へ出かけた。その辺の様子を見て、市の西南部に住民が帰れる状態かどうか知りたいと思ったのである。そこへ着いたところ、赤ん坊を抱いた一人の婦人が、今しがた三人の日本兵に強姦されたところであった。〔スミス、ミルズ〕

 

 第一八七件 一月九日夜、一人の憲兵が漢口路二五号のスミス博士の家から一人の婦人を連行し、別の家からも一人を運行した。憲兵は、リッグズ氏が浜口路二三号の自宅へ帰るところに出会うと、銃剣で脅かした。

 

 第一八八件 一月十二日朝、二人の男(馬と英〔訳音〕)が登記を済ませて、漢西門にある馬の家に盲目の母親の様子を見に戻ったところ、近所の人が日本兵が母親を殺害したと話してくれた。彼らは馬の母親の死体をみつけた。帰る途中、二人が日本兵に会うと、兵隊は彼らに衣服をよこせといい、それから刺傷を負わせて防空壕の中へ投げこんだ。一人は意識を回復して壕からはい出した。人びとは彼の姿を見て衣服を与えた。そこで彼は養蚕所に歩いて戻った。二人の友達が担架に彼をのせて本部へかつぎこんできた。フィッチ氏は友達をつき添わせて彼を鼓楼医院へ送りとどけた。〔負傷した人から呉(訳音)氏に報告〕

 

 

 一九三八年一月十四日から一九三八年

二月九日にいたる暴行事件の報告

 

以下にかかげる日本側当局に報告された暴行事件例の抜粋は、一月十四日から二月九日にかけてのもので、これによって日本軍の南京占領後二カ月間に何が起こったかがあますところなくあきらかにされる。書かれたものは総計四四四件にのぼるが、初期の事件の多くは、多数の人びとを巻き込んだ、こみいったものだった。第一九〇件に始まる暴行事件は、中国人家族が安全地区外の自宅に戻ろうとしたさいにぶつかった様々な困難を示すものである。そうした帰宅命令は一月二十八日午後、日本軍によって出された。

 

事件番号

 第二一九件 ジョン・マギー氏のきくところでは、十二月十三日から十四日にかけて、城南に住む一家の家族一三人のうち一一人が日本兵に殺され、婦人たちは強姦され、手足を切断されたとのことである。生き残った二人の小さな子供が話してくれたのである。〔マギー〕

 

 第一九〇件 一月十四日、ある一家が金陵大学附属中学から帰宅した。彼らは途中で新しい登録証を入手したが、それを門にはっておけば兵隊に困らされることもないと言うことだった。そうしたところ、三時間とたたないうちに日本兵三名が来て男たちを追い出して、婦人たちを五度も強姦した。そんなわけで、彼らは一月十五日に中学へ戻って来て住んでいる。〔ベイツ〕

 

 第一九五件 一月十七日、金陵大学附属中学にいるある一家の婦人が同家の男と共に帰宅した。彼らの家は市の南の新開地にある。一人の日本兵がやって来て婦人に同衾せよとせまった。それを拒否すると、兵隊は銃剣で彼女を殺した。〔ベイツ〕

 

 第一九八件 一月十九日、現在フォースターや私と同居している尼僧の報告によれば、六十五歳になる彼女の叔父の朱(訳音)氏が日本側に指定された場所に米を買いに行ったところ、まず、路上で日本兵に強奪され、その後、刺殺されたと、昨日、知らせてきたそうである。この事件が起きたのは一週間ばかり前のことで、そのとき叔父が米を買いに出かけて戻ってこなかったのだが、叔父の身に何が起ったのか知らなかったのである。〔マギー〕

 

 第一九九件 一月二十日、マギー氏の報告では、外交部にある赤十字病院内の中国人傷兵は、一日に茶碗三杯の飯しか与えられていないそうである。一人のものが日本人将校(または医師?)に苦情をもらした。将校は彼に平手打ちをくらわせ、さらに彼が抗議したところ、連れ出されて銃剣で突き殺された。〔マギー〕

 

 第二一一件 一月二十五日午後、一中国婦人が鼓楼医院に来院した。彼女は夫とともに安全地区へ移ってきて、聖書師資訓練学校の近くのわらぶきの小屋に住んでいた。十二月十三日に日本兵にょって夫は運行され、妻すなわちこの婦人は城南へ連れてこられ、それ以来そこに住んでいる。以後、彼女は毎日七回から一〇回強姦されていたが、いつも夜には眠ることを許された。彼女は最も悪性の三種の性病-梅毒・淋病・軟性下疳-にかかっていた。彼女は病気のため五日前に釈放された。それで安全区へ戻ってきたのである。〔ウィルソン〕

 

 第二一五件 一月二十八日午後九時、日本兵が中山東路沿いの兜街口(訳音)(特務機関事務所の東にあって兵隊たちの駐屯所となっている地域)にある天明(訳音)浴場にはいってきて、労働者の身体検査をして金を所持しているかどうか調べ、その中の三人に発砲した。二名は負傷し、一名は死亡した。この浴場は日本側の要請により自治委員会によって開設され、日本側の特別の保護を受けていると考えられていた。〔スミス〕

 

 第二三〇件 一月二十九日、二十二歳になる婦人が自宅に戻った。彼女の夫は日本兵に銃剣で突かれ、数日前に死亡した。一月二十九日に三牌楼二号の自宅に帰った時、彼女の方は三度も日本兵によって強姦された。

 

 第二三二件 一月二十九日、陳王(訳音)氏、二十八歳が帰宅するところだった。その途中、三名の兵が彼女ともう一人の女性を呼び止め、ついて来いと命じた。ひざまずいて嘆願したにもかかわらず、彼女たちは一軒の店に引っ張り込まれた。陳夫人は三度強姦された。

 

 第三三七件一月二十九日、姚(訳音)氏は午後、張府園の自宅に戻った。その日、数名の日本兵がやって来て、マッチ箱を盗んでいった。三十日、数名の日本兵がやって来て、八十歳の老女をも含めた家族全員の服をぬがせて、金を所持しているかどうか調べた。しかし、彼らは金を持っていなかった。この時、隣家の迮(訳音)氏も三ドル五〇セントを盗まれた。二月一日、日本兵三名が同じ方法で捜索にやって来た。一家は収容所へ戻るつもりである。

 

 第三五三件 一月二十九日、蔡児巷(訳音)に住んでいる黄陳(訳音)氏、三十九歳は日本兵に一〇回以上も輪姦された。

 

 第二二二件 一月三十日、収容所を出るようにと命令されたので、ある一家は金陵大学養蚕所収容所を出て二条巷三〇号二五の家に戻った。その夜、日本兵三名が裏の垣根を壊して侵入し、玄関の戸をたたいた。誰も兵隊たちをなかに入れようとしなかったので、彼らはドアをたたきこわして侵入し、明かりをつけ、家人に起きよと命令した。そして、日本兵は「巡察隊」だと名乗った。一人の男は刀をもっており、一人は小銃をもち、三人目は丸腰であった。何も心配する必要はないし、危害を加えるつもりはないからまた床に入って寝るようにと、こまごまいうので、家人はそれに従った。彼らは家探しをして金のありかを捜し、それから刀を持った兵隊は十二歳の少女を強姦し、他の二人は老婦人一人を強姦した。兵隊は夜中に帰って行った。そういうわけで、一家は三十一日に収容所へ戻ってきた。〔リッグズ〕

     (訳注)この原文は detectiivesとなっているが、徐氏の編書ではhsunch’a tui(巡察隊)となっているので、これにしたがった。

 

 第二二四件 一月三十日午後五時頃、ソーン氏(MrSone)は数百名の婦人から二月四日に帰宅せずにすむようにしたいとの嘆願を受けた。彼女たちは、帰宅しても無益で、家で強姦され略奪され殺されるより、収容所にとどまって殺される方がましだと述べた。彼女たちは、「あなた方は私たちをこれまで助けて下さったのに、もし今私たちを家に帰すならば、私たちを最後まで助けて下さらないかぎり、今まで助けて頂いても何の役に立つのでしょうか」と言った。ある六十二歳になる老婦人が漢西門付近の自宅に戻ったところ、夜になって日本兵がやって来て彼女を強姦しょうとした。彼女は年をとりすぎているからと言った。そこで兵隊たちは彼女を棒で打ちのめした。しかし、彼女は生きのびて戻って来た。〔ソーン〕

 

 第二九〇件 一月三十日午前十一時、金陵女子文理学院収容所内の一少女は黄鸝巷朝天宮一九号の自宅に立ち寄った。突然、日本兵四名がやって来て、十歳をこえたばかりのこの少女を輪姦した。

 

 第三七八件 一月三十日、陳(訳音)夫人が帰宅して石山街(訳音)の通りを歩いていると、日本兵三名に会ったが、彼らは彼女を恒茂醤園(訳音)(商店)に引きずり込み輪姦した。強姦が終って、彼女は放免された。(夫人の右手の人差指にて捺印)

 

 第三三三件 一月三十一日午後八時、日本兵三名が、三牌楼地区の磨坊巷に住む七十一歳の老婦人の家根にやってきた。彼らは掘立小屋の屋にのぼって、屋内に娘がいるかどうかきき耳を立てていた様子である。老婦人が屋根の物音を聞きつけて外に出てみると彼らは降りてきた。彼らは屋内にはいってきて娘を出せと要求したが、彼女が一人もいないと答えたので、彼女をなぐった。彼らがズボンをはぎ取ろうとしたので、彼女は抵抗した。そこで彼らは家の中で拾った物で彼女の頭をなぐった。〔マギー〕

 

 第二二三件 二月一日。今朝六時半、ベイツ博士が大学を出る時、また一団の婦人が集ってきて博士にあいさつをした。彼女たちは帰宅することはできないと博士に述べた。ほかの数件の暴行事件の中に一婦人の件があるが、この婦人は収容所が封鎖されたら寝具類を失うのではないかと思って、二人の娘を連れて昨日、西華門の家に戻ったのである。昨晩日本兵がやって来て少女たちを強姦させよと要求した。二人の娘が拒絶すると、兵隊たちは銃剣で刺殺した。その婦人の言うところでは、家に帰ったところで仕方がないとのことである。もし自宅に行ってもそこで殺されるのであれば.彼女たちを収容所から追い出そうとするさいに兵隊に殺される方が、ずっとましだというのである。〔ベイツ〕

 

 第三二七件 二月一日午後一時、日本兵三名が鼓楼五条巷に来て十歳をこしたばかりの少女を連れ去った。一月二十八日にも同家に日本兵三名が立ち寄り'婦人二人を強姦していた。

 

第三八二件 二月一日呉長生(訳音)が光華門外の自宅に戻ったところ、日本兵七名が老婆を連れて来て、二人に性交をするよう強要した。日本兵は傍で笑っていた。

 

 第三七五件 二月三日馬(訳音)夫人が帰宅して同仁街のある家の前を歩いている時、日本兵三名に出会ったところ、彼らは彼女を空屋に引きずり込み輪姦した。(彼女の右手の人差指による捺印)

 

 第四四二件 二月二日、ある一家が城内に野菜を運搬中のところ、中華門付近で数名の日本兵に誰何された。兵隊は男を道路にひざまずかせ、「好姑娘(ハオクーニャン)」を出せといった。彼らは男に野菜を投げ捨てよと命じ、彼が抗議すると兵隊は小銃の台尻をつかんで男の下腿部にふりおろし両足の骨を折った。男は二日がかりで病院にたどりついた。〔ウィルソ

 

 第四二六件 曹岑(訳者)氏は漢西門五六号の住人である。二月五日午前中、一人の日本兵が彼女の家にはいって来て強姦しょうとした。しかし、家人が憲兵を呼んだ。その兵隊は午後五時にまたやって来て銃剣で彼女の顔に傷を負わせた。彼女は大学病院へ送られ傷の手当てを受けた。主治医ウィルソン博士は、顔の傷は非常に重傷といっており、婦人は半ば昏睡状態にあるので、頭蓋骨折を起しているおそれがあるとのことである。

 

 第四三〇件 二月五日一名の日本兵が西華門付近の大中橋にある陳(訳音)氏宅に来て娘を出せと要求した。娘がいなかったので、十七、八の青年を引っぱり出して獣姦した。当初の命令に従って、その一家は年上の男たちをすでに帰宅させていたのである。

 

 第四三六件 二月五日、三牌楼に住む六十過ぎの陳(訳音)という老女のところに日本兵三名が立ち寄った。二人が老女を輪姦している間、一人は外で見張りをしていた。兵隊の一人が彼女に口で彼のペニスをきれいにするよう要求した。彼女の孫息子は泣きやまなかったので、二度も刺された。

 

 第四四四件 二月六日。この事件の報告者は、日本兵に連行され、中山門外で一カ月間、日本兵のために働いた。彼らは一カ月の労賃として三元彼に与えた。分隊が移動するので彼は帰された。二、三日後、彼と数人の友人が寧海路から広州路を通って空の麻袋を持って歩いていた。丘の上にいた日本兵が彼らを止めて戻れと合図した。彼らが向きを変えて四〇歩ほど歩いた時、背後から射った弾が男の左腕のひじの下に命中して、傷がひどかったので、切断しなければならなかった。この人には三人の扶養家族がいたが、彼は六日に射殺された。〔ウィルソン〕

 

 第四二八件 二月七日、十二歳の少女が真夜中に強姦された。彼女の両親は彼女と前日、大方巷の自宅へ戻ったばかりであった。父親は少女を収容所へ送り返した。彼女は苦痛のあまりいまだに歩くことができず、彼女の父親の言によると、陰部がはれ上っているそうである。

  *(訳注) 本書の中国語訳本『外人目睹中之日軍暴行』は、この第四二八件の前に、第四二五件を加えている。徐氏の編書をみると、この第四二五件にかんしては二種の報告が収録されている(本巻、二〇四~二〇五・二〇六~二〇七頁参照)。中国語訳本はそのくわしい方の報告を採録したのである。

 



CONTENTS 目次

Chapter

Foreword (Timperley) 

序(ティンパレー)

(洞富雄教授の解説)

Chapter I Nanking's Ordeal (Bates & Magee) 

第一章 南京の試煉(ベイツ博士&マギー牧師)


Chapter II Robbery, Murder and Rape (Magee)  

第二章 略奪・殺人・強姦(マギー牧師)


Chapter III Promise and Performance (Bates)  

第三章 約束と現実(ベイツ博士)


Chapter IV The Nightmare Continues (Bates)  

第四章 悪夢は続く(ベイツ博士)


Chapter V Terror in North China

第五章 華北における暴虐


Chapter VI Cities of Dread  

第六章 恐怖の都市


Chapter VII Death From the Air  

第七章 空襲による死亡


Chapter VIII Organized Destruction   

第八章 組織的な破壊


Conclusion   

結論


Appendix

附 録


A Case Reports Covering Chapters II and III   

A 安全区国際委員会が日本大使館に送った第二・三章にかんする暴行事件の報告


B Case Reports Covering Chapter IV  

B 第四章にかんする暴行事件の報告


C Case Reports Covering Period January 14, 1938, to February 9, 1938 

C 一九三八年一月十四日から一九三八年二月九日にいたる暴行事件の報告


D Correspondence Between Safety Zone Committee and  Japanese Authorities, etc.  

D 安全区国際委員会が日本当局や英・米・独大使館に送った公信


E The Nanking "Murder Race" 

E 南京の殺人競争


F How the Japanese Reported Conditions in Nanking

F 南京の状況にかんする日本側報道