大手芸能プロダクション「サンミュージックプロダクション」の相沢秀禎(あいざわ・ひでよし、本名・相沢与四郎)会長が23日午後10時27分、すい臓がんのため都内の病院で亡くなった。83歳だった。1968年、森田健作・千葉県知事(63)を第1号タレントに同プロダクションを設立。桜田淳子(55)や松田聖子(51)、酒井法子(42)ら多くのスターを育てた。相沢会長は社員に向けた“遺書”を残しており、所属タレントらは悲しみに暮れた。
初めてサンミュージックの所属タレントとなった森田健作知事は24日、首相官邸で相沢会長について「あれほど情があり、心の温かい人はいない。本当に残念です」と声を詰まらせた。
数日前に見舞いに行った。「『会長、頑張ってくださいよ』と言ったら、ちょっと笑って『頑張るぞ』と。それが最後でした」。病床では、思い出話に花が咲いた。18歳で初めて相沢会長と対面した際は学生服にゲタ姿だった。「君は太陽のようだね」。実直な森田氏を見て相沢会長はこう評した。事務所の名前は「サンミュージック」に決まった。
「前向きに元気に笑顔で頑張れ」。いつも優しく励ましてくれたが、厳しい言葉も。1972年、ヒット曲「友達よ泣くんじゃない」のコンサートで歌う森田氏を見ていた相沢会長はこう言った。「ワーワー、キャーキャー言っているのは(座席の)4列目ぐらいまでだ。後ろの人はしっかりとお前の歌を聴いている。それを忘れるな」。プロとしての心構えを教えられた気がした。
国会議員や知事に転身した際も、自分のことのように喜んでくれ、当選すれば、真っ先に報告した。「相沢会長がいなかったら、今の僕はいません」。森田氏は目に涙を浮かべていた。
[2013/5/25-06:02 スポーツ報知]