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【芸能・社会】

聖子、のりピー育ての親 サンミュージック相澤会長死去

2013年5月25日 紙面から

サンミュージック創立40周年と自身の喜寿を祝うパーティーで所属タレントたちと鏡割りをする相澤秀禎会長(前列右から3人目)。相澤会長の左は森田健作さん。中央はベッキー、その左が酒井法子=2007年11月27日、東京・紀尾井町のグランドプリンスホテル赤坂で

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 大手芸能プロダクション「サンミュージックグループ」の創業者の相澤秀禎(あいざわ・ひでよし、本名與四郎=よしろう)会長が23日午後10時27分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で亡くなった。83歳だった。神奈川県出身。松田聖子(51)や酒井法子(42)ら多くのトップアイドルを育てた。“育ての親”の突然の訃報に聖子は「あまりの悲しみに言葉になりません」などと悲痛なコメントを出した。

◆最期まで復帰意欲

 所属事務所によると、相澤さんは昨年11月、東京女子医大病院での定期検査で膵臓と肝内の数カ所に腫瘍があるのがわかった。そのまま入院して抗がん剤の投与治療を受けた。11月末に退院し、通院治療しながら仕事をしていた。

 今年の2月中旬には森田健作知事(63)の再選を祝って、千葉市の選挙事務所に駆けつけるなど元気にしていた。しかし、3月になって食欲の減退や体重の減少などがみられるようになり、同月25日に東京女子医大病院に再入院した。

 最期は家族や友人に見守られ、静かに息を引き取ったという。

 事務所のスタッフは「会長本人は最期まで、元気になって仕事に復帰したい、という意欲を見せていましたが、体力の方がどんどん落ちていったという感じでした」と話した。

 相澤さんは法政大学在学中にウエスタンバンドを結成。その後、芸能界入りしてマネジャーとして手腕を振るい、故山下敬二郎さんや佐川満男(73)、西郷輝彦(66)らをデビューさせた。

 1968年に「サンミュージックプロダクション」を設立。森田健作を所属タレントの第1号として売り出し、その後も桜田淳子(55)や松田聖子(51)、亡くなった岡田有希子さん、酒井法子(42)、安達祐実(31)、ベッキー(29)ら多くのトップアイドルやタレントを育てた。都はるみ(65)、牧村三枝子(59)、川中美幸(57)ら演歌歌手の育成にも力を入れた。

 「生涯マネジャー」を信条としていた相澤さんは晩年も新人発掘に余念がなかった。最後に手掛けたタレントは、今年1月にデビューした8人組のアイドルグループ、さんみゅ〜。今月26日には東京都内で初のワンマンコンサートを予定していて、相澤さんも楽しみにしていたという。

 ◆相澤秀禎(あいざわ・ひでよし) 本名相澤與四郎(よしろう)。1930年(昭和5年)1月20日生まれ。神奈川県横須賀市出身。金物商の四男として地元の小中学校を卒業、15歳で終戦を迎える。法政大学在学中にウエスタンバンドを結成し、ギターを弾きながら米軍キャンプで演奏活動。卒業後はプロのミュージシャンを目指しながら、歌手のマネジメント業にも携わる。

 61年に芸能事務所「龍美プロ」を設立し、西郷輝彦らをデビューさせた。その後68年に「サンミュージックプロダクション」を設立。第1号タレントとして森田健作をデビューさせ、桜田淳子、松田聖子、早見優、酒井法子ら数多くのスターを育てた。04年に社長を長男の正久氏に譲り、会長に就任した。

 ▼通夜 28日午後6時から。

 ▼葬儀・告別式 29日午前11時から。

 ▼会場 青山葬儀所(東京都港区南青山2の33の20)。

 ▼喪主 妻てるさん。葬儀委員長はサンミュージックグループの代表取締役社長相澤正久氏。

 

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