「母語が違うと英語の情報処理時の負荷が異なるか」
という記事が「言語教育」の1月号に出ていた。
結論だけ言うと、非印欧語話者(俺たち)の方が印欧語話者(ポルトガルとか)に比べ、英語をリスニングしているときに血流が増加するそうだ。
ここからいえるのは、同じものを聴解するときに、使う脳のエネルギー量が異なるということだ。英語の場合、俺たちは余計エネルギーがかかるそうだ。
これは人工言語的に面白い。エスは印欧語話者には省エネで、われわれにはそうでないことになる。
そしてノシロやアルカは万人にとって燃費が悪いことになる。面白い、面白い。
こう考えると、特に不自由のないレベルの日常会話であっても、なぜ俺がさちえやリディアに対しアルカで喋りたがらない(なかった)のかが分かる。
要するにエネルギーがかかって疲れるからである。
今回はここでやめてしまうが、続投要請があれば書きまっする。
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コメント
>続投要請があれば書きまっする。
lol tin.
今は外国語として臨む場合は日本語よりも英語に近い方が読みやすく感じるのだけど、気のせいかな?
投稿 uox | 2007年12月17日 (月) 17時45分
kuim, tuo an axt-a kof fi kon arka.
len an na-i dib al parmeld van arka.
aal, tot sev fon.
投稿 Kakis Erl Sax | 2007年12月17日 (月) 23時34分
確かに、外国語の場合、SOV語順の言語であるモンゴル語や韓国語よりSVOのマレーシア語の方が楽に感じるのは不思議な現象ですね。
やはり、英語と漢文で慣れているからかなぁ・・・・・・・。
投稿 Kakis Erl Sax | 2007年12月17日 (月) 23時36分
投稿: Kakis Erl Sax | 2007年12月18日 (火) 17時22分