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質問:No.990467
暇なときにでも
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「天才と狂気は紙一重」なのは何故?
「天才と狂気は紙一重」というひとつの事実は何でしょうか?
例えばバイロンの家系は代々精神病者で、その過程で生まれたバイロンは天才といわれています。なぜそのような家系に生まれる必然があったのでしょうか?
もちろんバイロンのみならず、有名な芸術家はほとんどそれを網羅しているといってもいいほど、精神を病んだり、自殺をしたり、型破りであったりします。芸術にとってその必要性とは何でしょうか?

医学的、心理学的、哲学的どの分野でもかまいません。よろしくおねがいします。
投稿日時 - 2004-09-06 08:32:14
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回答 (20)

回答:No.16
ちなみに:「天才と狂気は紙一重」は19世紀イタリアの犯罪学者ロンブローゾの言葉です。彼は「生来的犯罪人説」といい、犯罪を犯すものは先天的遺伝を持ち、それは身体特徴に表れると「犯罪者識別法」を考えました。この説は現在では否定されていますが、前述と「ハゲに悪人はいない」の2つの言葉は生き残りました。
 「天才と狂気は紙一重」は、天才とされる人物が「狂気」と思われる行動・言動を行った場合のみがセンセーショナル的に記録されて、それが「普遍的事実」だと誤認されているだけでしょう。なぜなら、天才とされる人が普通の生活を送り、専門分野以外では平凡に一生を終えたとしても、その事実はなかなか一般には伝わりませんから。
投稿日時 - 2004-09-14 15:14:50
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お礼
この説の名称から想像しているだけですが「生来的犯罪人説」とはとても危険な思想だと思います。

確かに、天才は狂人ばかりとはいえないですよね。
ひっそりと平凡な人生を送っていても、世紀の天才が今どこかに潜んでいるかもしれません。
また芸能界で活躍している有名人なども、確かにセンセーショナルな方もいらっしゃいますが、だいたいは一般市民として生活していても天才と称されている方が大多数です。
「天才に嫉妬心」、これにも同感です。

ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-09-15 00:41:43
回答:No.15
ちょっと観点がずれますが何かのSFで読みました。

「いわゆる「き○○○」と呼ばれる人々は現在の人類の進化した形態で、ある種の超能力者である可能性が高い。そこら辺を飛び交ってる電磁波や電波を直接受信する能力や、他人の微弱な脳波その物を読み取れる能力、時系列を無視した人間の想念を感じ取る能力等を獲得した人々である可能性がある。それらの取得情報が整理できずに混乱すると、「き○○○」になり、そうでなければ、超能力者、天才等と呼ばれる、、、。」
投稿日時 - 2004-09-10 16:22:22
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お礼
超能力といえば本来誰でも持っている潜在的な能力だそうですが、本来精神病は情報処理の混乱という説もありますが、読み取るのが普通の情報ではなく、狂気は電磁波も読み取る能力の突出というところが、SF世界でも「天才と狂気は紙一重」と裏づけてられているのですね。面白い発想だと思います。

ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-09-12 01:30:37
回答:No.14
何かの本で読んだのですが、「大脳生理学の最近の知見では、脳内にドパミンと言う物質が増えすぎると統合失調症を来たし、天才の家系にはこの疾患の方が有意に多い」と書いてありました。
投稿日時 - 2004-09-10 12:37:11
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お礼
大脳生理学などの進歩によって、心の病も脳と関係が深いということがわかってきました。たとえば鬱病はセロトニン不足など。
でも天才の秘密も医学で説明できるとは!つまり「もしかして天才なのに世間的には無名の」人々の日夜の研究や努力によって明かされていますよね(笑)。言い方としては悪いのですが「天才は凡人によって暴かれる」というのでしょうか。

私は「天才とは神の神秘を暴く者」として畏怖してきました。でもドーパミンなどは私たちの体の中にも存在しているわけです。それは天才と分け隔てなく平等にもっている。でも天才と同じ量のドーパミンが配分されても凡人は必ずしも天才とはならない。そこにも別の意味での神の神秘は存在している。脳内物質ではなく、天才という称号を与えられるのはなぜか?と思っています。この世で自身の神秘を解体し、再び統合させ、その実態を凡人に知らしめるための役割を「天才」と区別される者にその使命を与えた、本人それは神、のみぞ知る、ということでしょうか?

ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-09-10 15:27:21
回答:No.13
#12です。追加情報です。

地球上の生命体の中で、人類の持つ非凡さを考えたときに、今多数を占めている「計画を立てて几帳面に実行していく」という、「ちゃんとした普通の人間」の行動が際立って風変わりなものに見えてきます。

統合失調症に焦点を当てて、人類の進化を考察した本をご紹介します。

『天才と分裂病の進化論』デイヴィッド・ホロビン
投稿日時 - 2004-09-08 13:35:18
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お礼
後進国の原住民族は精神疾患はないと思っていました。でもそれは疑問視されていますよね。

また「制約」も天才を養うことになるというご意見にも納得しました。逆に「抑圧」が反動力となってその力を発揮させるのかもしれません。

ご紹介いただいたURLのぞいてみました。難しいけれど面白そうな本ですね。仮説の域をでていないそうですが、実現できないことは仮説=予測はたてられないという言葉もあります(それも仮説?)

ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-09-09 05:42:26
回答:No.11
私は西洋の芸術家のことは良く知りませんが、東洋の芸術家
の中には、天才的な才能の他に、人格的な素養をもつ
人物もけっこういるように思います。

東洋の芸術、例えば書画や詩などは、それ自体の作成を目的と
する他に、勉学の一環としても取り入れられています。
つまり、人格修養の一手段として、芸術が用いられていると
言うことです。

西洋では、芸術家の人格を抜きにして芸術を評価します。
それゆえに、芸術家は己の芸を極めることにのみ没頭し、
自分の人格の修養をないがしろにしています。
しかし芸術以外に、人格の素養を重んじる東洋では、
芸術家の才能が原因で、彼自身の人生を破綻に導く事例は
少ないようです。


次の言葉が、質問者の方が掲げる問題の本質を突いていると、
私は思います。

原文:
『徳は才の主にして、才は徳の奴なり。才ありて徳なきは、
 家に主なくして奴の事を用うるがごとし。
 幾許か魍魎にして猖狂せざらん』

意訳:
『徳(人格)が主人であり、才能は召使である。
 才能だけあって徳が無いのは、主人のいない家を
 召使が仕切っているようなものだ。
 これでは化け物にやりたい放題にされても仕方がない』

(菜根譚より抜粋)
投稿日時 - 2004-09-08 01:11:15
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お礼
確かに勤勉さ、真面目性、努力・・・。東洋人の素晴らしいところだと思います。また思想も西洋の哲学よりも東洋の哲学の方が私個人としては好きです。

でも「天才は99%の努力と1%の才能だ」と言った西洋人もいます。これは謙虚さとも思えます。

>才能だけあって徳が無いのは、主人のいない家を
>召使が仕切っているようなものだ。

確かに有り余る才能をコントロールする理性が伴っていないと、自らの中に巣食う魔物に滅ぼされてしまうでしょう。

ご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-09-09 00:58:40
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