呆曰く、

南無妙法蓮華経の顕されたすべての御本尊が「末法流通の観心の本尊の実体」であり、

もしも「人法一箇」
と限定するならば、「南無妙法蓮華経日蓮」と顕された御本尊すべてが「末法流通の観心の本尊の実体」となるのが道理である。

なぜ、「戒壇本尊」なるもの以前の「南無妙法蓮華経日蓮」の御真筆本尊を否定し、「戒壇本尊」なるもの以降の「南無妙法蓮華経日蓮」の御真筆本尊を否定することが出来るのか、そして、「戒壇本尊」なるものが、どうして「南無妙法蓮華経日蓮」の御真筆本尊さえも支配する特権を持っているのか、文証、道理、現証の三証揃って証明して始めて、日蓮正宗は「正法」の教団と言えるのである。

それを未だかつて一度も証明していない日蓮正宗は、根拠無き戒壇本尊によって法華誹謗を続ける大邪宗なのである!

御本仏曰く
■証文無くんば何と云うとも法華誹謗の罪過を免れず此の事当家の肝心なり返す返す忘失する事勿れ■
■邪悪の師とは今の世の法華誹謗の法師なり■
■法華誹謗の者いたう呵責すべし■

証文無き戒壇本尊の特権によって"法華経の眼目、南無妙法蓮華経の御本尊を誹謗"する教義を説く師は、いかに貴き師であろうとも、大悪魔の師であることに早く目覚めなければならない!

【破折】

①まず、言っておくが「証文無き」と言っておられるが、ではその他の本尊の証文はあるのか否や、如何?
たとへば、蛇形御本尊、万年救護本尊、臨滅度時の御本尊、楊枝御本尊、日禅授与本尊、どれも御書に説明は無いではないか。 当方の文書を破折し、御書よりその説明文を明示せよ! 何回も言っているが、まだお分かりにならないようだ。御本尊の説明文は御本尊の脇書に書いてあるのです。

②次に、『「戒壇本尊」なるもの以前の「南無妙法蓮華経日蓮」の御真筆本尊を否定し』と言っておられるが、日蓮正宗の一体誰が大聖人様の御真筆本尊を否定した、というのであるのか、如何? 大聖人の真筆本尊は150体ほど現存するそうですが、これらの御本尊は一機一縁の御本尊である。お分かりか、一機一縁の意味を? 即ち「特定の檀信徒に下附された本尊」ということであり、一閻浮提総与の本尊ではなかろう、如何?

大聖人曰く、

 「本尊とは勝れたるを用ふべし」(新編 1275p)

例外として、保田妙本寺所蔵の万年救護の本尊があるが、その脇書にはこうある。

【大覺世尊御入滅後經歴二千二百二十余年雖尓月漢日三ケ国之間未有此大本尊或知不弘之或不知之我慈父以佛智隠留之爲末代殘之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之】


(大覚世尊御入滅後二千二百二十余年を経歴す。爾りと雖も月漢日三カ国之間未だ此の大本尊有さず、或いは知って之を弘めず、或いは之を知らず、我が慈父仏知を以て之を隠し留め末代の為に之を残す、後五百歳之時上行菩薩世に出現して始めて之を弘宣す)

平たく言えば、万年救護の本尊は「末法の広宣流布は上行菩薩が出現して、広宣流布するぞ!」という本尊であり、一閻浮提総与の本尊ではあるまい。即ち未究竟の本尊ということだ。また首題の「南無妙法蓮華経 日蓮」が少々ズレテ認められており、日蓮の文字は右に認められており、また主題と比較すれば相当小文字であることにお気づきであろうか? 南無妙法蓮華経 日蓮と直下に御図顕されてはいないことにお気づきか? これは即ち未だ御出世の本懐ではない、ということを暗に示されているのです。

では、戒壇様の脇書はどうであるか? このようにお書き遊ばれている。

「右現当二世の為に造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白 弘安二年十月十二日」

とあり、この大御本尊こそが一閻浮提、即ち、全衆生の為に御図顕遊ばられた、大聖人、御出世の本懐の大御本尊であるのです。 何故か? 「本門戒壇」とちゃんとあるではないか、如何?

参考資料:http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53456416.html

それでも否定するというのであれば、貴殿よ、いかなる本尊を以て一大秘法とするのかい? 言うてみぃ!
身延の土産本尊か? 創価のニセ本尊か?、それとも自前の究極のデタラメ本尊でも書くか、如何?

結要付嘱と一大秘法

 仏滅後二千二百余年に、月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に「天親・竜樹、内鑑冷然(れいねん)たり、外は時の宜しきに適(かな)ふ」云々。 天台・伝教は粗釈し給へども、之を弘め残せる一大事の秘法を、此の国に初めて之を弘む。日蓮豈(あに)其の人に非ずや。前相已(すで)に顕はれぬ。去ぬる正嘉の大地震は前代未聞の大瑞なり。   
                            『富木入道殿御返事』 (文8・11・23)

 此の四大菩薩は釈尊成道の始め、寂滅道場の砌にも来たらず、如来入滅の終はり抜提河(ばつだいが)の辺(ほとり)にも至らず。加之(しかのみならず)、霊山八年の間に、進んでは迹門の序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向(ほっきようごう)の諸(もろもろ)の聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経(はっせいぐきょう)の大士にも交わらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。 
                            『曽谷入道殿許御書』 (文12・3・10)

 教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所喉は誕生の処口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。
                               『南条殿御返事』 (弘4・9・11)

貴殿よ、あまり呆なことを言うではない。

以上、