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勇者の帰還
42 彼の日常、彼女の日常
 たっぷり泣いた次の日の朝は、少し頭が重い感じがしました。額に手を当てて、寝返りを打とうとして……また、失敗しました。
「……またか」
 私を拘束する相手は、すやすやと眠っています。なのに何故この腕は外れないんでしょうね?
 何とか相手を刺激しないように抜け出そうとしますが、うまくいきません。大体寝ているくせにどうしてこちらの寝間着をがっしりと……うん? 寝間着?
 ……あれ? 私、昨日は着替えた記憶、ありませんよ? 確か部屋に戻ってきて、まだ早い時間だったけど目元を冷やして、そのまま、服着たままベッドに寝転んで……そこから先の記憶がありません。
 多分そのまま眠ってしまったんでしょう。それはいい。問題は、何故、着替えているのか、という事ですよ!
「はーなーせー!!」
 相手を起こすのも構わず、じたばた暴れ始めました。にしてもびくともしない。どんだけ力込めてるのよまったく! 寝てるはずなのに!
「ん……」
「起きてグレアム! 起きろー!!」
 店の周囲は当然店ばかりです。私のように店に住居部分があって、そこで寝起きしている人もいますが、ここで大声張り上げても、ぎりぎり迷惑と言われない時間帯にはなってます。なので遠慮せず声を出しました。
 私を抱えている相手には、迷惑この上ないでしょうけどね!
「ルイザ……もう少し声落として……」
 どこか苦しそうな声が聞こえてきます。知るか!
「いいから起きろ! そしてこの腕を外せ!!」
 抱え込まれてるので起き上がれないんですよ! 私が怒鳴りながら暴れるせいか、渋々といった風でグレアムはようやく私を解放しました。
 すかさず振り返ります。まだ眠そうな顔であくびをしている彼を見下ろして、引きつりそうな笑顔で聞いてみました。
「これ、なんで着替えてるのかなあ?」
「……服のまま寝たら皺になると思って」
 まだ半分寝ぼけているのか、どこか間の抜けた声で返してきます。どうやら親切心で着替えさせてくれたようです。……本当に?
 その『皺になったら困る服』は、見れば書き物机の上にごちゃっと置かれていました。ええ、当然皺になってるでしょうねえ。
「どうして『起こす』って選択肢がなかったのかな? ん?」
「……面倒?」
 こめかみの辺りがひくつくのを押さえながら、なんとか笑顔で問いただしました。彼はそれに対してへらっとした顔で返してきましたよ。
「寝てる人間着替えさせる方が面倒でしょうがー!!」
 そう吠えて手近にあった枕でばしばし叩きました。もうね、昨日の余韻も罪悪感も何もかも吹き飛ぶ感じですよ……。

 さて、そんなこっ恥ずかしい朝の一場面を終え、本日こそは通常業務とまいります。……のはずだったんですが。
「……何故いる?」
 作業中にも関わらず、私の隣にはグレアムがべったりと張り付いています。私の隣に椅子を置いて、にこやかにこちらを眺めています。
 いや、確かにずっと側にいるとは言ったけどね。言ったけどね! 何も仕事中まで張り付いてる事ないと思うのよ!?
 何をする訳でもありませんが、元々が大柄な男性です。女性ばかりの工房においてはその存在そのものが異質だっての!
「邪魔?」
 しれっとそう聞いてくる彼に、あまり強く言えないのはやはり昨日の一件があるからでしょうね。
 今朝一番に全部言おうと思っていたのに、あの騒ぎで言いそびれ、もう一度話す勇気をかき集めようと思っている矢先、工房までついてこられる始末です。
 どうしよう……本当にどうしよう。このままここに居続けるのは、工房にも迷惑がかかると思うんですけど。
 そう思っているのに、またしてもエセルからの許可が下りてしまいました。
「いいじゃない。別に邪魔になる訳じゃないんだから。いい男見ながら仕事出来るなんて、滅多にあるもんじゃないわよ? 窓なら外から覗けないように目隠ししてあるし」
 ああ、そうですね。グレアムって見た目だけなら普通にイケメンだからね。中身はかなり残念だけどね。そんなとこまでみんなは知らないもんね。
 てか目隠しですか。いつの間に……。とく見てみれば、低い位置にある窓には、全て中が見えないように厚手の布がかけられています。あれなら中は覗けませんね。
「そうよルイザ」
「勇者様独り占めなんてずるいわ!」
「私たちにもおこぼれくらいちょうだいよ!」
 てかおこぼれって何!? ここで観賞用になってろってやつですか? みんな結構ひでーな。
 ……確かに、世界を救った英雄なんて、そうそう見られるものではないから、みんながそう言いたくなるのもわからないではないんですけどね。いいのかなあ? 本当に。
「そういう訳だから、これは工房の総意と思って、側に張り付かれるくらいは我慢なさい」
 そう言ってからエセルはちょっと声を潜めて私の耳元に囁きました。
「一昨日昨日と結構な騒ぎでみんなの作業にも遅れが出てるんだから、この辺りで発奮してもらって遅れ取り戻さないとね」
 つまりグレアムは興奮剤代わりですか? さすがエセル。侮れません。てか騒ぎって、当然勇者関連ですよね……本当にごめんなさい。

 でもなるほど、勇者の前でいい所見せたいというのか、いい男に出来る女と思われたいのか、みんないつも以上に仕事に熱入ってるなあ。
 どっちか言ったらグレアムの方に意識が行っちゃって手がおろそかになるんじゃないかと思ったけど、逆ですね。
 これじゃますますグレアムをここに置いておかざるを得ないじゃないですか。……まあいっか。私に実害がなければ。
 グレアムは本当にそこにいるだけで、何も言わずおとなしく私たちの作業を眺めていました。決して退屈そうにはせず、逆に興味深そうにみんなの手元や作業風景を見ています。面白いの?
「面白いよ。普段見ることのない部分だしね」
 ああ、まあそりゃあ仕立屋の裏を見る事なんて、そうはないよね。でもここで作るのはほとんど女性物なんだけど、いいのかしら?
 うちで扱ってるのはドレスとそれに付随する小物類だからまだいいんでしょう。これが下着とかになったら、グレアムに変態疑惑が持ち上がる所ですね!
「そういえば勇者様、勇者様の旅ってどんなだったんですか?」
「あ、それ私も聞きたい!」
「ぜひ! 聞かせてください!!」
 うちの工房のみんなは相変わらず話し好きです。確かに討伐の旅って、どんなだったんだろう? ちょっと気になる。
「旅……ねえ。大して面白い話はないんだけど」
「覚えてる限り、初めから話してみれば?」
 その私の提案にのる形で、グレアムが話し始めました。

「王都を出るまでは特にこれといってなかったと思う。仲間が選び出されて、出立の日が神殿によって決められて、それからあのパレードがあったんだ」
 ああ、あの。まさか私に気づくとは思いもしなかったんだけどね。空恐ろしいやつめ。
「で、王都から出た後は、神殿からもらう情報を元に進んで行った形だな。基本的には今いる場所から一番近くて被害がもっとも深刻な場所から行ったんだ。最初は西の国境沿いの街で、もう壁が半分以上崩されてて人がほとんど残っていない場所だったな」
「ああ、それ新聞で読みました! でも壁の事までは出てなかったわ」
 そういえばそんな事書いた記事もありましたね。とにかく勇者の行く先行く先解放されて喜びが満ちる、なんてのばっかりで、具体的にどこがどうっていうのまでは覚えてないんですよ。
「知っての通り、強い魔物を倒せば、その周囲の魔物の気配も消えるから、なるべくそういうのがいる所を狙って行くようにしてたんだ」
「あれ? 行き先は神殿が決めるんじゃなかったの?」
 神殿が王侯貴族や神殿側の利益云々を考えて行き先を決めると聞いたんだけどなあ。
「そうだよ。神殿側から提示された行き先の中から選ぶ程度だけど、選んではいたんだ」
 なるほど。いくつかある行き先の中から、優先順位を決めるのは勇者一行という訳ですが。疑問が解消された私はまた聞き手に回ります。あ、その間もちゃんと手は動かしてますよ。
 縫ったり貼り合わせたりって作業は単純作業に入るので、おしゃべりしたりしながらでも手は動かせるんですね。
 これがもっと細かい事やってる最中だとそうは行かないんですが。良かった、面倒な作業が終わってて。
「国境を越えて少しいった辺りに、最初の大きめの魔物が巣くってる場所があったんだ。その国の中でも大きめの街だったようだけど、もう見る影もなかったな」
 魔物に襲われた街というのは、本当に悲惨だと聞いています。かろうじて生き残った人も、恐怖で心を病んでしまう人が多いのだそうです。幸いこの国ではまだ魔物に滅ぼされた街はないようですけど。余所の国にはあったんですね。
 その街が具体的にどうだったのかは、聞いてみたいような怖いような。みんなも同じなのか、誰一人口を開きませんよ。
「どうひどかったのかは伏せておくよ。現場も俺とゴードンしか見てないし。女性陣には見せない方がいいだろうから」
「え? お嬢様達は一緒じゃなかったんですか?」
 エミーの言葉に同意は多数ありました。そうですよね。あの二人は何やってたのさ。
「二人は被害が及ばない場所まで下がって待っててもらったんだ。基本強力な魔物の巣窟になっている場所の討伐は俺とゴードンの二人だけだから。敵の元までの経路がもう悲惨だし。さすがに死体がごろごろ転がってる中を、あの二人を連れていく訳にもいかないだろう?」
 ごろごろって……。話に聞くだけで嫌だー。見回してみれば、みんなも私とどっこいな反応ですよ。そりゃそうだよね。
「何もそこまで言わなくても……」
「これでも極力抑えて言ったつもりだけどな。死体の状況事細かには言ってないし。それ以上にやばい話もしてないし」
 うん、詳しく話さないでいいから。てかそれ以上にやばい話って……いかん、考えちゃだめだ。気を逸らすためにも、話題転換を試みました。
「でもそこに踏み込んだの二人だけだったの? 大変だったでしょ」
 いくら強いといっても多勢に無勢じゃ大変だよなあ。そういった強い魔物は大勢の魔物を側に置くというのも、神殿で習いましたからね。ええ、魔物の事には詳しいですが、何か?
「いや、かえって側に人がいない方が楽だから」
 んん? それってどういう……。
「でもそんな風にかばわれたんじゃあ、お嬢様もちびっ子も勇者様に惚れてもおかしくないわよねー」
「一応外見だけじゃないみたいね」
「でもまあ成就する確率は低いみたいだけどー?」
「あら、ルイザの方こそ気ぃ抜けないんじゃない?」
 ああ、もう既にみんなは他の方に気が行ってます。私は気になったのでこそっとグレアムに聞いてみました。
「さっきの一言、あれどういう意味よ」
「一言? ああ、人がいない方がいいって奴?」
「そう」
 ここまでもこそこそと小声で話してましたが、グレアムはちょっとみんなの方を窺い、こちらに気が向いていないのを確認してから、耳元で囁くように教えてくれました。
「あんまり大きな声じゃ言えないけど、破壊された街ならそれ以上破壊しても文句言われないだろうと思って、大技使って一撃で終わらせる事も多かったんだ」
 なんだその大技一発で終わらせるって! 大雑把にも程があるだろー!! 目を剥く私にお構いなしに、グレアムは続けます。
「範囲指定が難しいから、周囲には仲間がいない方がいいんだよ。巻き込む危険性が高いから。ゴードンはその辺り熟知してて、技繰り出す瞬間に回避するから。だからあいつだけは連れて行けたんだ。男だから多少きつい死体見たところで吐くって事もないだろうし」
 きついって……きついって……。ああ、だめだ、想像力が段々怖い物を頭の中に量産していく……。
「ルイザ? 大丈夫か? 顔色が悪いけど」
 大丈夫、と言いたい所だけど、なんだろう、想像だけで気持ち悪くなってます。
 グレアムはそんな私を見つめて微笑みました。
「大丈夫だよ、ルイザ」
「?」
「俺はルイザ以外欲しいと思わないから」
 違────う! 誰もそこ心配してないよ! 
 いや、そういう意味ではなくて。心配してない訳ではないというかあるというか。とにかく今は違う。
 私が青くなったのは気持ち悪い死体を想像してしまったからであって、グレアムに捨てられるのが怖くて青くなったんじゃないっての!
 それを伝えたいんだけど、あまりの衝撃に口が回らずぱくぱくさせるだけに留まってしまいました。
 そんな私を『わかってるよ』と言わんばかりの視線で見つめるグレアムは、ぽんぽんと優しく背中を叩いているのでした。誰か、この誤解解いてください……。
「でもそれじゃあちびっ子とお嬢様は何してたんですか? 役立たずもいいところだと思うんだけど」
 エミーの辛辣だけど真実を突く一言が耳に入りました。ああ、そうですね。あの偉そうな二人は一体何をしに行ったのやら。
「あの二人には道中の魔物退治をお願いしてたんだよ」
 何その露払い的扱い。てかあの二人本当にあんまり役に立ってなかったんじゃないの? 神殿では苦楽を共にしたとでも言わんばかりな感じでしたけど。
「道中って?」
「移動中にも当然魔物が出てくる訳だから、そういったものの駆除を頼んだんだ。移動は日中だからあんまり危ないのは出てこないし、その代わり数が多いからいちいち剣で切ってたんじゃ追いつかないし。だから彼女達の力を使って一挙に殲滅してもらってたんだ」
 ああ、魔導師の魔導と神官の神聖術ですね。どっちも似たような結果が得られる力ですが、魔導師の力が自然界の力に依っているのに対し、神聖術は女神様のお力を借りる術です。
 なので神聖術はそれを行使する人物の信仰心に依ると言われています。それ以外にも適正だったりなんだったり色々あるんだそうですが。
 魔導の方も適正が必要ですが、信仰心は必要ありません。どちらかといえば魔導の力に対する適正のみですかね。
「何、じゃああの二人って、雑魚掃除に使われていただけって事?」
「それ本人達自覚あるのかしら?」
「ないんじゃない? あったらお嬢様だってちびっ子だってあんな様子でここに駆け込んで来たりはしないでしょうよ」
 その一言にどっと工房内が沸き返りました。みなさん、この間の事、結構根に持ってるんですね……。
 まあいきなりやってきて『こんなとこ』呼ばわりされれば誰だってむっとしますよ。みんなにとっても大事な職場なんだから。
「そんな雑魚掃除、よくあの二人が引き受けたわね」
 てっきりグレアムにいい所見せようと、大物狙って二人で張り合うんじゃないかと思ってましたよ。言いませんけど。
 そんな私の疑問に、グレアムはああ、と軽い調子で言うと、にっこりと良い笑顔で答えてくれました。
「二人の力で俺たちを助けて欲しい、って言ったら喜んで引き受けてくれたよ」
 ……勇者、恐るべし。

 話を聞くと、なんだかあっさり片付けてきました、って風に聞こえますね。苦労したのかなあと思ってたのに、さすがは歴代最強勇者と認定されただけはあると言えばいいのか?
「そういえば、魔物退治自体は面倒はなかったんだけど、街とか国とか解放した後が面倒だったな。いつまでも足止めくらって」
 そりゃ国を救ってくれた英雄ともなれば、おもてなししないで送り出す事も出来ないでしょうよ。
 魔王城の近くになればなるほど魔物の脅威は大きいって聞きますから。なら何故そんな場所に国が作られたのか。
 魔王城の付近は土地が肥沃なんですって。なので作物が多く収穫出来るので、危険を承知で開墾する人や国が後を絶たないんだそうです。たくましいと言うべきなのか何なのか。
 つか退治自体は面倒なかったって……。まあ大技使って一発で仕留めたなんて言ってるくらいですからねえ。
 工房のみんなの方は、『足止め』という単語に食いついたようです。
「どんな足止め食らったんですか!?」
「やっぱり美女とか?」
「お金とか?」
「爵位とか?」
「土地とか?」
 ……どんどん俗物的な内容になってるの、みなさん気づいてますかー?
「全部かな」
 って全部かよ!? どこの国も俗物だらけなのか!! ……まあそれだけ必至に引き留めたかったって事ですかねえ。
「えー? それ全部断っちゃったんですか?」
「大魔王討伐が目的だったからね。先を急いでいたし。仲間がその辺りの対処はしっかりやってくれたな」
 ははは。いいお仲間持ったねえ。でもそのお仲間があの濃いメンツってのはどうなんだろうねえ。主に交渉ごとなんかはゴードンさんがやってたと見た。
 この間のあれこれ見てれば、誰だって巨乳ちゃんとちびっ子がその辺りで役に立たないのは想像できますよ。
 ゴードンさんはちょっと怖い所もあるけど、十分優秀ってわかりますからね。
「すごーい。さすが勇者様ですね! 使命大事なんですね」
 そういって工房の面々は尊敬のまなざしでグレアムを見ていました。
「早くルイザの所に帰って来たかったから」
 とろけるような笑顔でそう言い、またもや工房内は黄色い歓声に包まれました。


 何だろう? ここでも外堀埋められてる気がする……。


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