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勇者の帰還
41 謁見
 大広間の中はしんと静まりかえっていて、何だか余計に緊張します。ただでさえ王宮なんて場所は緊張するのに。
「面を上げよ」
 そう言われて、初めて顔を上げていいんだそうです。こういう作法って、面倒ですね。それにしても緊張します……。
 そっと視線を前にやれば、一段高い場所に一人の男性が座っています。何段か下がった周囲には、武装した兵士と他何人かの貴族らしい男性がいます。
 玉座に座る、あれが国王陛下なんでしょうか。見た事ないけどそれっぽいですね。
 きらびやかな衣装をまとうその人は、金色の髪と緑の瞳の三十代後半から四十代前半くらいの男性です。口元には薄い笑みを浮かべています。
 顔立ちはなかなかの美丈夫で、若い頃はさぞかしもてはやされた事でしょう。国王という立場上、今でもそうかも知れませんが。
「さて、ようやく戻ってきたようだな、勇者殿」
 開口一番、国王陛下はそう言いました。おお、声の方も低くて素敵な声ですよ。さすがです。何がさすがなのかはわかりませんけど。
 それにしても、気のせいですか? なんだか声の調子が皮肉っぽいですよ。そういえば故郷の先生が、国王は狸だって言ってましたね。
 対するグレアムは一言もなしです。……いいのか? その態度。仮にも一国の王様だよ? 相手。
 私の心配を余所に、グレアムはなんの感情も浮かべないまま、国王陛下の前に立ったままでした。
 対する国王陛下の方も、そんな彼には動じる様子もなく、淡々と話を進めていきます。
「詳しい経緯は王子やゴードンらから聞いている。それで? 余の頼みはやはり聞く気はないか?」
「ありません」
 頼み? 頼みって何? いつ言われたの? そう思っても口を挟む事は出来ないから、黙って見ている他ありません。私語は慎むように言われましたから。
「即答か……。そう悪い待遇ではないと思うがな。カレンもその気になっているようだし」
 それか! そういやグレアムが帰ってきてから、王女殿下にはお会い出来ていません。……この状況をどう説明するべきなのか。
 個人的には王女殿下には悪感情はありませんから、もし、もしも王女殿下がどうしてもグレアムとの結婚を望んでいる、となったら。
 そうなったら、私はどうするんでしょうか。
「俺はここにいるルイザと結婚します」
 って、考えていたらグレアムがさらっと答えてしまいましたよ。どうしよう……今日のこの様子って、王女殿下の耳にも入りますよ……ね?
 隣のグレアムを見上げれば、彼の視線は国王に向けられていています。見てるというよりは、なんだか挑むような感じに見えますよ。
「ほう……」
「出立の時も言いました。戻ったら好きにすると」
「そうだったな。だが余も言ったはずだ。戻ったらもう一度話をする故必ず顔を出すようにと」
 国王陛下の声が冷ややかに響きます。何だか、良くない雰囲気です。
「聞く気はありません」
「余に逆らうと? 不敬罪で極刑になっても良いという訳か?」
「構いません」
 グレアムはにやりと不敵に笑います。顔にはありありと『出来るものならやってみろ』と書いてありますよ。こんなところで国王陛下相手に挑発するなんて!
 でもそういうだけの自信がグレアムにはあるのでしょう。それはそうです。彼は『勇者』なんだから。それも新聞の話を鵜呑みにすれば、歴代最強の、と冠がつく勇者です。
 それは今回の大魔王討伐の旅でも実証された事でしょう。普通の、というとおかしいかも知れませんが、小規模の集団をまとめる魔物を倒す事さえ、軍の全てを使っても出来ないんだそうです。大魔王ともなれば、その強さは計り知れません。
 そんな、誰も倒せない大魔王を倒す力を持った勇者を、誰が捕まえたり処刑したり出来るでしょうか。いくら国王命令だとしても、誰もなしえることは出来ません。
 それにもし捕まえられたとして、不敬罪を適用させて処刑しようとしても、他の国と、なにより神殿がそれを許さないでしょう。
 唯一の神である女神様を奉じる神殿は、人々の心のより所です。そして神殿組織自体は国を超えて存在し、貴族や王でも不可侵の存在です。
 女神に直接力を開いてもらう勇者は、神殿にとって何よりも尊い存在です。言っては何ですが、一国の王よりその存在価値は高いんです。そんな勇者を一国の国王が処刑しようとするなど、言語道断という訳ですね。
 他国にしても、世界を救った英雄を一国の事情で処刑するなどとなれば、それに異を唱える形で我が国に干渉もしくは攻め入ってくるかも知れません。
 それこそ『不当な理由で虐げられる勇者を救う為に』という大義名分が出来てしまいますよ。
 それを期に『勇者』という存在を取り込めれば、この上ない『軍事力』になるのですから。
 どれだけ経っても、権力者の考える事なんて、変わらない……。
 今までは大魔王という共通の敵がいたから同盟もたやすく結べましたが、これからの百年ほどはその存在に怯えなくて済む訳ですからね。かといって魔王のいない百年に戦争を起こした国は今までありませんが。
 普段周囲に関心の低い彼ですが、自分の望みの為なら計算もするし結構手段は選ばないところがあります。裏工作もいつの間にやら出来るようになってましたしね。
 無言でにらみ合う二人のせいで、部屋の温度が急速に下がった気がしますよ。うう、早く帰りたい……。したたか勇者VS狸国王なんて、見ているだけでも肝が冷える気分です。
 その緊張感を切ったのは、国王陛下の言葉でした。
「ふん……惜しいな。その度胸も計算高さも国を治めるのに有効な力だというのに」
 ……あれ? 何だか一挙に雰囲気が変わりましたよ? 声の調子までまるっきり違います。先程までの威圧的な感じはみじんも感じられません。思わず陛下とグレアムの顔を交互に見てしまいました。
 あー!! もしかしなくてもさっきまでのって、芝居!? 芝居とまではいかなくても、見せかけではありますよね!? これが狸と言われるゆえんですか……。今更気づく私の方が鈍いんでしょうか。
 先程までの緊張感はどこへやら、一転して場の空気は緩和されました。ああ、重かった……。
 にやりと笑うその表情は、為政者というよりはどこかの悪戯小僧のように見えます。悪戯であんな重い空気を作られてはたまりませんよ。
「何とでも。国など興味はありません」
 対するグレアムもまた、しれっとしてそんな事を言ってますよ。国に興味がないっていうのは本当の事でしょうけど。
「その娘と一緒になるとして、故郷へ帰るのか?」
「まだ決めていません。一度は帰るつもりではありますが」
 ……何だか逆に自分に対する外堀が埋められていっている気がしてきました。国王陛下も承知してるんだしーとか、王女殿下からの求婚でさえ断ったのにーとかなんとか。え? ここ流されるとこ?
「ふむ……一時的な帰郷は良いとして、しばらくは王都にとどまってもらえぬか? その程度の頼みならば叶えてくれても良いのでは?」
「……構いませんよ。ただし余計な干渉はしないでください」
 一瞬考えてから返したグレアムの言葉に、国王陛下は一瞬苦笑しました。そりゃそうですよね。一国の王に対してこの言いよう……。あんた何様だよ。って勇者様でしたね、すいません。
「約束しよう。……ところでそちらの娘、名はなんと申す」
 げ! 話がこっちに来てしまいました。二人で話してたから私の事は放って置いてくれても良かったんですが……。聞かれた以上は答えないといけませんよね。ゴードンさんにもそう言われましたし。
 でも呼びつけておいて、名前も確認してなかったんですね。決して口には出せませんけど。
「ルイザ・アトキンソンと申します」
「ルイザ……そうか……勇者殿とは幼なじみと聞いているが、誠か?」
「はい……」
 ……なんでそんな事聞くんでしょうね? まあ嘘吐いても意味はないので正直に答えますが。情報の出所はゴードンさんですか。昨日の今日で既に報告はいってる訳ですね。
「そうか……二人とも、ご苦労であった。勇者殿、故郷へ戻る時には王宮にも報せるように。ゴードンに言付ければよい」
「わかりました」
 そう言い置くと、国王陛下は来た時同様に騎士や従者を引き連れて広間を出てきました。き……緊張した……。
「ご苦労様」
 胸をなで下ろしていると、隣から声がかかりました。緊張してくたくたの私とは正反対の涼しい声です。出立前には王宮に滞在してたりしたから、慣れたのかしら。
「……そっちこそ。聞いてる間はひやひやしたけどね」
 私の嫌みに気づいたのか、グレアムはにやっと笑いました。むー、強心臓だよなあもう。
「そういえば」
「何?」
「そのドレス、ゴードンが用意したんだよな?」
「え? うんそう。どこから持ってきたんだろうね?」
 そう言いつつ着てるドレスを見回してみます。正直あちこちつまんでますよ……。
 まあきちんと計って当人に合うように作っていないドレスは、着るときに手直しが必要になるのは知ってますから。伊達にドレス作る店で働いてませんよ。例え部門が違ったとしても。
「似合ってるよ、悔しいけど」
「……何故悔しい?」
「俺が選んだドレスじゃないから」
 ちょっと顔が熱くなったけど、気のせいですよね。

 そこからは再び案内されて、支度をした部屋まで連れてきてもらいました。着替えないといけませんからね。でもこのドレス、洗濯してから返した方がいいのかしら?
 脱いだドレスを前に考え込んでいたら、いつの間にか着替え終わったグレアムが後ろに立っていました。
「ルイザ」
「おわ! な、何?」
 急に後ろに立たれると、誰が相手でもびっくりしますよ。心臓に悪いなあもう。
「王女との話、驚かなかったんだな」
 王女殿下との話? ああもしかしなくてもあれですか。
「さっき国王陛下が言っていた、王女殿下との結婚、ってやつ?」
 グレアムが頷いて肯定します。そりゃあ驚きませんよ、知ってましたからね。
「知ってたから。本人に直接聞いたの」
「本人に? どうやって?」
「仕事で王女殿下の所に行ったのよ。ほら、うちの商会、王女殿下のドレスも作ってるから。私の作った飾りを気にいってくださったみたいで、会ってみたかったって言われたの」
 まさか一国の王女殿下がそんな理由で一介の職人を招くとは思いもしませんでしたけど。
 それ以外にも街で聞いた噂がありましたが、そちらは言わなくてもいいでしょう。そういえばあの噂、まだ広がってるのかしら。
「……それで? ルイザはその場で何て言ったんだ?」
「何……って? 別に何も言わなかったけど……」
「俺との事、どうして言わなかったんだ?」
 そこか! 一瞬怯みました。まさかあの時は別れたつもりでいました、なんて言えないし。
 ここはやはり保身に走るに限ります。こういう時の頭の回転っていうのは、結構早くなるものですよね。
「言えるわけないでしょ? 神殿から勇者の素性については話してはいけないって言われてるんだから。あなたが私の幼なじみです、なんて言ったら出身だの何だのがわかっちゃうじゃない」
 今回ほど神殿の箝口令を有り難いと思った事はありませんよ。
「……そうか」
 一応納得したようです。ああ、良かった。あんまり突っ込まれたら、回避出来ない所でしたよ。
 なんでしょうね、こういうその場しのぎの技術はそこそこ磨かれてる気がします。あまり褒められたものではないんですけど。ちょっと、いえ、かなり罪悪感を感じます。どうしよう……やっぱり言うべき?
「帰ろう、ルイザ」
 隣の勇者は穏やかな笑みを浮かべてそう言いました。そうね、帰ろう。この王宮という場所は、私には会わない場所だもの。ああ、疲れた。主に精神的に。

 帰りも馬車を用意してもらいました。王宮の敷地を出てしまえば乗り合い鉄馬車もあるんですけど、敷地から出るだけでも結構な距離ですからね。
 隣り合わせに座って揺られている間、先程の事が思い出されました。とっさには保身に走りましたけど、本当は、全てを話した方がいいんじゃないだろうか、と。
 王女殿下から話を聞いた時、何も言わなかったのはグレアムとは別れたつもりだった事。王都に来たのも、故郷と一緒に切り捨ててしまいたかった事。
 帰って来た彼を見て、嬉しさよりも戸惑いの方が大きかった事。そして今は、いい知れない不安が大きい事。
「どうした? ルイザ。ずっと俯いて。疲れたか?」
 そう言って覗き込んで来る彼は、心配そうな表情をしています。本当は、この人にこんなに心配してもらえるような人間じゃないのに。私は。
 でも口をついて出たのは、別の事でした。
「どうして」
「え?」
「どうして帰って来たの?」
 私の所へ。どうして今までの勇者のように、別の女性の所へ行かなかったの? 何故約束通り、私の元へ戻ってきたの? あなただけが。
 本当は嬉しくない訳じゃない。でも素直に喜べない自分がいるのも事実です。あれほど帰って来ない、と思い込んで、その考え自体に深く傷ついて、それでも忘れきれずにいた相手なのに。
 結婚の話も、嬉しいはずなのに、心のどこかがひどく冷静で、『本当にこのままこの人と添い遂げてもいいの?』と聞いてくるようで……。
「おかしな事を聞くな」
 グレアムは体をこちらへ向けて、まっすぐに私を見ています。その瞳には柔らかな光と、その奥にとても熱く猛々しい色が見えました。私はどこか途方に暮れたような思いで、その瞳を見つめ返しました。
 何故この人だけは帰ってきたんだろう。何故『彼ら』は帰ってきてくれなかったんだろう。何が違うの? あなたと、彼らと。同じ『勇者』なのに。
「俺がルイザの所以外、どこに帰るっていうんだ?」
 じっと見つめながら、ゆっくりと紡がれるその言葉に、心のどこかがゆっくりと満たされていくように感じます。
 ふと気づけば、グレアムがこちらに手を伸ばしていました。その指先が、私の頬を伝う涙をぬぐっています。あれ、いつの間に……。
「大丈夫だよ」
 そう言って、グレアムは優しく微笑みました。見慣れた、彼の表情。他の誰にも向けられなかったもの。
「俺はここに……ルイザの元に帰って来たよ。これからもずっと側にいる。だから」
 ぐいっと引き寄せられ、あっという間に抱きしめられていました。
「泣かなくて、いいんだ」
 何かを押し殺したようなグレアムの声。その声を聞いた途端、彼にすがりついて泣き出していました。
 帰らない人を待ち続けた日々。信じられない思いと、どこか冷静な思いが混ざり合った最初の結婚。旅立つ彼の背中を、絶望の思いで見送った朝。それらの記憶が一斉に押し寄せてきました。
 待っていてくれと言ったのは、いつでも彼らの方でした。それでも彼らは誰一人として、私に言った言葉を、私という存在を、思い出そうともしなかった。だからこそ何の便りも寄越さなかったのでしょう。
 他に思う相手が出来たのなら、それを教えて欲しかった。そしてもう待たないで欲しいと、伝えて欲しかった。そうすれば、あんなに苦しむ事はなかったかも知れない。
 私の元に帰ってこなくても、諦められたかも知れない。でも現実は、彼らは私の事など思い出しもしなかった。最初からなかったもののように。
 でも、グレアムは、彼だけは帰ってきてくれた。私の事を忘れずに、私に告げた言葉を忘れずに。約束を果たすために、帰って来てくれた。
 グレアムがくれた誠実。だから、私も彼に対して誠実でいたい。言わなくちゃ。本当の事を。
 でも泣き続ける私は、口を開いても不明瞭な声しか出せなくて、結局工房に戻るまで言い出すことすら出来ませんでした。

 工房の入り口から、グレアムが中に入ってエセルを呼んできてくれました。
「どうしたの!? ……何かあったの?」
 心配そうなエセルに、ふるふると頭を横に振って否定します。何だかまだ声がきちんと出ない感じです。
「色々と故郷の話をしていたら、懐かしくなったみたいだ」
 グレアム、いつの間にそんな気の利いた言い訳出来るようになったの? 本当に推定魔王に弟子入りしたんじゃないでしょうね? 勇者がしゃれにならないわよ。
 エセルの方はグレアムのその言葉に、納得がいったようです。
「そうよね……王都に来てからまだ一回も帰ってないものね。丁度犠牲祭が近いんだから、一度里帰りしてきなさいよ」
「ありがとう」
 グレアムがそう言って、まだ声が出せない私をいたわるように肩を抱いて中へと入りました。
 これで犠牲祭は故郷へ帰る事になったようです。グレアムも一緒に。でも今からで長距離鉄馬車の切符、買えるかしら?
 結局この日はこのまま部屋に戻りました。泣いて腫らした目では、きちんと仕事が出来ないから、とエセルに言われたんです。
 部屋に戻って目元を冷やしつつ、ベッドに寝転びました。少し感情が落ち着くのを待たなきゃ。


 全て話すから。もう少しだけ、時間をちょうだいね、グレアム。


+注意+
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