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勇者の帰還
36 嵐再び
朝の諸々が済んで、さあ仕事に、と思った時にはたと気づいた事があります。
 昨日の騒ぎのせいで工房にも店の周囲にも、ここに勇者がいると知れてしまいました。この先どうすればいいんでしょうね?
 昨日は店の周囲に人垣が出来る程でした。今朝の掃除の時にはみかけませんでしたけど、店が開く時間帯になったら、また店の周囲に人が集まるんでしょうか。お客ならいいんですけどね。ただの野次馬なら困りますよね……。
 さすがに勇者に会いに店や工房にまで突撃かましてくる、別の意味の勇者は今の所いないようです。下は至って静かですよ。
「じゃあ私、仕事だから」
 身支度も終えて後は工房に降りるだけにし、扉のところでグレアムを振り返りました。
 そういえば私が仕事してる間、グレアムどうしましょうね? 外に出す訳にもいかないし。
 そうしたら予想外の返答が返ってきましたよ。
「俺も行く」
「は!? なんで?」
 あんたが工房に来て何するの? 下手な事してこの店に勇者がいるってバレたら面倒だって、わかってないのかしら? 工房は裏側とはいえ、窓が多いから外から結構のぞき込めるんですよね。
「それこそなんで?」
「そこで小首を傾げるな!」
 十九の男が! あ、もう二十歳になったのか……誕生日は過ぎてましたね。下手にイケメンだから、そんな可愛らしい仕草も妙に似合うのが嫌だわ。
「……来てどうするの?」
 一応正攻法で聞いてみますよ。実際工房来られても役に立たないと思うんだけど。
 仕立ての仕事なんてしたことないはずだし、針と糸だって持った事ないはず。まさか討伐の旅の間に覚えた、なんて事はないよな?
「側にいるだけだよ。邪魔はしない」
 いや、いるだけで邪魔なんですが。工房という場所は、あれで部外者がいると激しく邪魔に感じる場所なんですよ。結構細かい作業も多いし、素材なんかも細かいものがあったりするし。
 言ったところで聞く相手じゃないしなあ。その辺りはさすがに付き合いが長いので知ってます。
 これが故郷だったらまだ違ったんだけど、王都での職場はそれなり気は遣ってる場所なのですよ。いい仲間に恵まれてはいるんだけど、だからこそしなきゃならない気遣いってのは、ありますよね?
 それに、昨日の今日でバレバレではあるんだけど、なるべくグレアムとの仲を隠しておきたいというか、なんというか。
 工房のみんなは無茶な事言わないし聞かないのはわかってますけど、どこから話が漏れるか、わかりませんからね。
 王都で、しかもグレアムには勇者という肩書きが付いてますから、故郷にいた時以上に同性からの攻撃があると思った方が無難ですよね……。
 さてどうしたものか。うーんと唸っていると、グレアムから妥協案が出ました。珍しい。
「ルイザの職場の人がダメだって言ったら、やめるよ」
 自分から言い出したのなら、大丈夫でしょう。みんなも部外者入れるのは反対してくれるだろうし。
 それなら、と言う事で一緒に工房へ降りていきました。

 甘かった。返す返すも甘かった。私は側にいすぎて感覚が麻痺していたのかも知れません……。
「なんだ、そんなこと? みんな! 誰か勇者様が工房にいる事に反対する人、いる?」
 エセルの声かけに、誰も何もいいませんよ。どころかみんな目をきらきらさせてこちらを、私の後ろに立つグレアムを見ています。
 ああ……そうですよね。普通勇者とお近づきになんて、なれませんからね。いい機会ですよね……。もの凄い敗北感です。
「ありがとう。邪魔しない事は約束します」
「お願いします」
 さわやかな微笑みでそう言ったグレアムに、工房内はまたまた黄色い歓声に包まれました。
 諦めて道具箱を取り出していると、いつも座っている定位置の椅子を囲むように何人かが待ち構えています。……何でしょうか?
「さあ! ルイザ。今日はしっかり聞かせてもらうわよ!!」
 そう言ってエミーは私を椅子に座らせました。グレアムは私の背後に立ったままです。椅子、一つ出してくればいいのに。あ、誰かが動いて持ってきました。でもまだ立ったままですよ。
 すごい圧迫感です。すっかり失念していましたよ……。昨日はどさくさに紛れて逃げる事が出来ましたが、今日に持ち越されただけだったんですね。そうですよね、エミーが逃がしてくれるわけありませんよね……。
 周囲には工房の面々。後ろにはグレアム。何だろう、この前門の虎後門の狼的配置は。女神様、私何か悪いことしましたか?
 虎の筆頭は好奇心にもはや目をぎらつかせているエミーです。よく見たらエセルまで興味津々な顔でこちらを窺っています。ああ、あなたもですか……。
 グレアムがいてもいいって風に持っていったのは、色々聞きたかったからなんですね。……てかその場合話すのは私じゃなくてグレアムじゃないの!?
「えと……何から話せばいいのか……」
 何を聞きたいかはなんとなくわかりますが、本当に何をどう話せばいいのやら。特に王都に出てきた辺りを。
 しどろもどろ私が口を開けば、待ってましたといわんばかりにみんなからの質問が飛んで来ました。
「勇者様と幼なじみで恋人って本当!?」
「どうして今まで黙ってたのよ!!」
「王都に来たのは本当は勇者様を追ってだったの!?」
「王女殿下と勇者様の噂もあったじゃない!? あれはどうなの?」
「それ言ったらレイン公爵のお嬢様は!? あっちはどうなの?」
「あら、ちびっ子神官じゃなかったの?」
「勇者様と恋人同士なら、コーニッシュさんは?」
「彼は既に敗退してるでしょ。どっちかといったらパトリックじゃない?」
 みなさん、言いたい放題ですよね……。しかも何かとんでもない方向に誤解してる内容も聞こえてきましたよ? いやいやいや、追って来たんじゃなくて逆なんですが。でも本人の前では言えない!
 にしてもなんだろう。背後から尋常じゃない冷気を感じますよ? 寒い! 寒いよ!! そして雰囲気が怖くて振り返れません!
「ええと」
 思わず答えを誤魔化すし目も泳ぐってなもんです。どんな罰ゲームだこれ。挙動不審になっている私の背後からは、奴からの重低音の声が聞こえる……。
「ルイザ、コーニッシュって何? パトリックって誰?」
 ……今聞くな。つか私は前と後ろとどっちに応えればいいのよ。前からはエミー達、後ろからはグレアム。
「ねえってば、ルイザ」
「ルイザ」
「あーもー!! 勘弁して!!」
 そして私は切れました。

 その後結局全てを話す結果となりました。王都へ来た本当の理由、グレアムと別れる気だった、というのは都合上割愛しましたよ。
 グレアムとは家が隣同士な事や、物心つく前からの付き合いだとかまで話す羽目になりました。
 王都に出てきた理由の方は、自活のために仕事を探したら、地方都市で求人中だったオーガストさんに出会って、そのままこの店への就職が決まった、と表向きの事を話しました。嘘ではないですからね。全てでもないですけど。
 考えてみたら、王都へ来た直接の理由って、今までみんなに話した事なかったかも。ついでのように両親が既に他界している事も話ておきました。
「そっかー……じゃあ勇者様を追って王都まで来たのねー」
「いや、そうじゃないから。てか私そんな事一言も言ってないよね?」
 今の話のどこをどうこねくり回せばそんな結論に達するの!? そりゃ王都に出てくる本当の理由はぼかしたけど! でも追って来たなんて一言も言ってません!
 なのにグレアムったら、人の耳元で今にもとろけそうな声を出しましたよ。その声結構凶器なんだから、耳元でしゃべるなって言ったのに!
「ありがとう、ルイザ。パレードの時、沿道でルイザの姿を見つけた時のあの感動、俺一生忘れない」
 いや、遠慮せず忘れてください。つか、そうじゃないって否定したよね? 私。自分の都合のいいように解釈したな。……の前に今なんて言った?
「パレード? 見えたの?」
 思わず振り返ってしまいましたよ。そこには嬉しそうな笑顔のグレアムがいました。無駄に美形だと、こういう表情してても崩れないんですよね。
 そしてそろーっと目線を周囲に戻すと、みなさん頬を赤らめていますよ。ああ、天然人たらしめ。ここで女たらしにならないのは、実は男性もこの笑顔で落とす事があるからです。変な意味ではありませんけどね。
 故郷では滅多に見せなかった笑顔を大安売りかね? 本当にどうしたんだ? 外では滅多な事じゃ笑わなかったくせに。その分家では笑ってたけど。
 にしても、あの人混みの中で私がわかったと? じゃあやっぱりあの時の微笑みは、私に向けて?
「もちろん見えたよ。ルイザならどこにいてもわかるから」
 にっこりと微笑むその容貌は完璧なんだけど、言ってる内容は怖いよ。いや、そこまで思ってくれるなんて、って感動する所なのかも知れないけど、普通あり得ないでしょ!?
 あんな人数の中から、しかも後ろの方で目立たなかった人間を見分けるなんて。どんな目してんだ。それも勇者の力というやつなのか?
 だとしたらそんなくだらない事に使うんじゃありません。もっと有益な事に活用しなさい。
「だからつい笑いかけたんだ。後で怒られたけど」
 は? 怒られた? 勇者のグレアムを怒る人間なんているのか? てかやっぱりあの時のあれは私に向けてなんですねそうなんですね……。
 あの時は周囲で盛り上がってる人達がどこかうらやましかったけど、いざ本当にそうだと言われると、どんな視力なんだと思ってしまうとは。
「ちなみに怒られたってのは、誰に?」
「リンジーに。勇者がへらへら笑うもんじゃないって」
 いや……いくら勇者だからって、人間なんだから笑いもすれば泣きもするだろう。それをへらへら笑うもんじゃないって……何か勇者をはき違えてないですか?
 まあ確かに事が事だから、あまりへらへらするものではないとは思うけれど。でもグレアムはへらへらするような性格じゃないですよ。
 どちらかと言えば普段は冷たい感じに取られる事の方が多いんです。愛想よくないから。
 グレアムの口から出た名前に納得出来たのか、周囲のみんなは頷きながら言い合ってます。
「あー、あのリンジーなら言いそう」
「ちっちゃいけど、一応信仰心には篤いもんね。あの年で祭司でしょ?」
「勇者は威厳ある存在であるべきって思ってそう。ちっちゃいから」
 ああそういや勇者一行にいましたね、神官の女の子。確かちびっ子とか言われてた。どうでもいいけど信仰心だの考え方だのに身長は関係ないと思います。
「そんなのあの子の偏見みたいなもんだから、勇者様は気にしない方がいいですよ」
「ありがとう」
 工房のみんなが口々に言うのに、にっこり愛想笑いをして礼を言うグレアム。本当にいつの間にそんな芸当覚えたんだ? この人。
 以前は周囲を取り囲む女達が、どれだけグレアムに取り入ろうとしても、愛想のかけらも振りまかなかったのに。だからついたあだ名が『氷の貴公子』。
 あまりのあだ名に顎が外れるかと思ったけど、私以外は誰も疑問に思わず裏ではその名で通ってたんだとか。その感性は今でも理解出来ません。
 しかも『あの冷たいところがたまらない』んだそうで、私といる時にうっかり外で笑ったりした日には、女子連中から何故か私が恨まれるという理不尽な目にもあいました。恨まれるだけで直接被害がないのはいつもの事でしたけど。
 多分あの女子達はグレアムが冷徹な人だとでも思ってたんでしょうね。本性はただのものぐさでしかないんですけど。
 本当、素のグレアムをあの子達にも見せてやりたい。伊達にデリアおばさんがしかり飛ばしてた訳じゃないんだよね。
 勇者の世直し討伐の旅で、その辺りを少しは学んだのかしら? 何をどう学んだかは知らないけど。
「そういえば勇者様、ここにいるって事は、他の仲間の人達は? ここにいるって知ってるんですか?」
「多分彼らは王宮の方に報告に行ってると思う」
 それは今朝方聞きましたねえ。いいのかそれで。討伐の中心の勇者が報告欠席とかってそれこそ怒られないのかしら?
 でも一応王都まで一緒に戻ってきたみたいだから、そこだけは評価しておきましょうか。
 下手したらこの人の事だから、魔王城に仲間置き去り、なんて事になりかねなかったし。大魔王を倒した後の魔王城に、強い魔物が残っているかどうかは知りませんが。
 それでも置き去りはあり得ませんからね。どんな冷血勇者だっての。実際はものぐさだけど。とりあえずそんな事にはならずに済んで良かったと思っておきます。
 ていうか微妙に答え、はぐらかしましたね? てことはお仲間は彼がここにいるって知らないって事か……神殿に置いてきたな。
 お仲間が今頃探してる、なんて事になってないといいんですけど。
「いいんですか? 勇者様は報告に行かなくて」
「最初からそういう約束だったから。報告の方は任せてくれって、ダイアンが」
 グレアムのその一言で、工房のみんなはこちらに背を向けて何やらひそひそと言い合ってますよ。でも漏れてきてますから、ばっちり中身は聞こえるんですけど。
「お嬢様が? ……それってさあ」
「王女殿下に会わせたくなかっただけじゃないの?」
「ああ、なるほどね……」
 お嬢様がグレアムを王女殿下に会わせたくない訳ですか。それってもしかしなくてもあの話ですかね? 令嬢もグレアムに惚れ込んでるっていう。
 つか確かお嬢様って、王子殿下の婚約者だって言ってたよね、王女殿下が。
 あれ? ……王女殿下?
「ああ!?」
 私は座っていた椅子から立ち上がりました。こんな大事な事忘れていたなんて!
「どうした? ルイザ」
 王女殿下のあの話!! 噂まで広めてた、王女殿下と勇者の結婚! 私は立ち上がったままグレアムを見下ろしました。
「ルイザ?」
 ああ、でもそんな事、今言うべき事なのか? つかどう言えと!? あれから王宮に呼びだされるような事はなかったから、もう王女殿下に会う事なんてないだろうけど。
 てか立場上王女殿下も勇者が帰ってきてるって知ってるんだよね? 勇者がこの店にいるっていうのも、下手したら既に知ってる可能性、あるよね? もしかしなくても、私、あの王女殿下になにかされる……とか?
 私が一人あわあわしてる最中、またもや店の周囲が騒がしくなっていました。今度は表の方みたいです。
「いやねえ、また騒がしいわよ。今度は店側なの?」
「何が来たのかしらね?」
「大方勇者様見たさに押しかけてきた連中じゃない?」
 などと好き勝手に言っている間にも、騒がしさは工房の方へと近づいてきています。本当に何なんでしょう?
 そう思いつつ店側と工房とを繋ぐ扉を注視していると、いきなりバタン! と勢いよくドアが開け放たれました。そこに立っていたのは……。
「勇者様! お探ししましたわ!!」
 金色のたなびく髪をきらめかせた、満面の笑みの巨乳美女が立っていました。


 ……どちら様で?


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