小鳥の鳴き声が聞こえます。ああ、もう朝なんですね。遠く大通りを望める窓にかけたカーテン越しに、朝日が部屋に入ってきます。
春先の朝日は柔らかくて好きです。空気はまだ冷たくて冴え渡ってますけど、日中日が当たればそこそこ暖かくなるのも好きです。なんだか心がほぐされるような気分になるんですよね。
昨日は妙な夢を見ました。夢見が悪いって奴ですか。本当にどうしてあんな夢を見たんだか。『勇者』が私の元へ帰ってくる、だなんて。
まさかこれが自分の潜在意識だった、とかいうんでしょうか。そりゃあまあ吹っ切ったと思ってたら、意外と吹っ切れてなかった自分を知る羽目にはなったりもしましたけど。
でも! だからといってあんな夢みるなんて! そこまで私、弱っていたのかしら? 今度の休みはちょっとゆっくりしてみましょうか。
そんな悪夢を振り払うべく、私は起き上がろうとして……失敗しました。何かが体に巻き付いてきて起きるのを邪魔してきます。……あれ? これ何?
「ん……ルイザ、もう少し……」
……なんだか聞こえるべきでない声が聞こえた気がしましたが、無視です。私は起きて店の周囲の掃除をしなくてはならないんです。
私がもがくように動くと、邪魔するそれはさらに体に巻き付いてきました。つーか!
「いい加減にしなさい! グレアム!!」
「痛!」
私は体に巻き付けられた彼の腕を遠慮なくつねりました。ああ……夢であって欲しかった。
日課の掃除を終え、まとわりつくグレアムを撃退しつつシャワーを浴び、ただいま朝食の準備中です。
先程まで鬱陶しくつきまとっていたグレアムは、今はおとなしく椅子に座って、おそらく私の背中を見ているのでしょう。視線を感じます、痛いほど。
今朝はスープとパンと玉子だけで終わらせようと思ってたのに、グレアムがいるんじゃそういう訳にもいきませんね。
グレアムはがっしりした見た目通り、よく食べるんです。ええ、本当によく食べます。あれから一年程しか経っていないから、そんなに食欲が衰えたという事もないでしょう。
玉子とスープに加えてソーセージと、付け合わせのための温野菜を作る為にお湯を沸かしました。ついでに確認したら食材がそろそろなくなりそうです。パンも朝で食べきってしまいそうな感じです。
もうじき休みの日だから、その時に買い出しに行こうと思ってたんだけど、下手すると今夜の分で終わってしまうかも知れません。仕事終わったら買い物に行ってこようかしら?
ちらりと後ろを振り返ると、テーブルに頬杖ついて微笑むグレアムがいます。大仕事終えたばかりの彼に、ひもじい思いをさせる訳にもいきませんね。
私は深い溜息を吐きながら、昨日の悪夢と思いたい一幕を脳内回想していました。
あり得ない事に対する衝撃からようやっと立ち直り、何とか拘束する腕から逃れてグレアムを見上げます。
そこには見間違いようのない、彼の笑顔がありました。無駄に美形な人間ですから、ずっと見ているとついうっかり何でも許してしまいたくなるそうです。
私や母親のデリアおばさん辺りは慣れているので結構きつい対処も平気でしますが。あ、フェリシアもか。奴は大抵の人間に対して容赦ありませんから、比較にはならないと思いますけど。
とりあえずははっきりさせなくてはならない事がありますよね? 何故ここにいる? 大魔王討伐はどうした? ていうかなんで私がここにいること知ってるの!? しまった、これ一番大事!
「なんで……どうしてここにいるの……?」
ああ、まだ衝撃から完全に立ち直った訳ではなかったようです。声が震えてますよ。しかも要領を得ない言い方ですよねこれ。聞きたい事の半分も聞けてませんよ!
でも当然だと思うんですよ。これだけはあり得ないと思っていた事が起こったりしたら、人間誰でも混乱しますよね? 私は今まさに混乱の真っ最中なんですよ。……多分。
私の問いに、心底不思議そうな顔でグレアムは私を見下ろしています。身長差のせいで、どうしても向こうの目線の方が高いんですよね。
「帰ってきたからに決まってるじゃないか。ちゃんと使命は果たしたよ、約束通り」
「や……約束?」
……何かしたっけ? というか勇者となった男との約束なぞ、破られる事しかなかったから正直よく覚えてませんよ。
「約束したろう? 使命を果たして帰ってくるから、それまで待っててくれって。故郷出る時、見送りに来てくれたじゃないか」
ああ、あったねそんな事……。あれが最後だと思ったから張り切ってお見送りしたんでした。一年近く前の話でしたね。
でも私約束するとも待ってるとも言わなかったんだけど。その辺りはスルーですかそうですか。
「でもまさかルイザが王都まで俺を迎えに来てくれてるとは思わなかった」
そう言ってグレアムは抱きしめたままの私の頭に頬すりをしています。え? あれ? 今何か言った? この人。『王都まで迎えに来てくれた』?
いやいやいや、違うから。王都に来たのは真逆の理由だから。……って、それここで言っても大丈夫なのかしら。冷静になれ! 自分。
そこでようやく今の自分に気づきました。グレアムが工房に入ってから、ずっと抱きしめられたままですよ。気づけば周囲の視線がこちらに集中しています。ま、まずい!
「グ……グレアム、とりあえず離して、ね?」
そして場所を移動しよう。ここはまずい。本気でまずい。なんとか逃げ出さないと、餌食にされる!
「ルイザ、ちょーっといいかしら?」
ああ、エミーです。ちらりと見たその表情には、困惑と共に隠しきれない好奇心がありありと浮かんでいます。そうだよね……そうでなきゃエミーじゃないよね……。でも今ここであなたらしさを発揮して欲しくはなかった!
「と、とりあえず詳しい事はまた後で」
「いいえ、今よ! このままお預け食らったんじゃ、今日は仕事にならないわ!!」
そうですよねー。これで逃してくれたらエミーじゃないですよねー。就業時間終了まではまだ大分ありますからねー。って、じゃあ私しばらく逃げられないって事!?
無駄かも知れないけど、誤魔化しておいた方がいいでしょうか?
「ええと……」
「ルイザ、これ誰?」
人がいい誤魔化し方法がないかどうか、考えてる横でこれとか言うな。相変わらずだなこいつは。もう少し周囲に気を遣うようにデリアおばさんにも散々言われてるのに。学習してなかったな、まったく。
きっとグレアムを睨み上げるも、本人はまったく気づいた様子がありません。ええ、そういう人間ですよねあんたって。私には優しいんだけどなあ。
「ルイザの職場の友ですう。あの……勇者様ですよね!?」
エミー、何だかいつもと大分様子が違いますよ……。そしてグレアムも、素直にこっくり頷かないで!
あんたこの王都で……って他でもだけど、超が付く有名人だってわかってんの!? 自覚あんの!? 王都のど真ん中に、大魔王討伐に行ってるはずの勇者が現れたなんて事になったら、騒ぎになるでしょうに!
でも目の前のエミーはそんな事には頓着していないようです。いい情報捕まえた、って顔に書いてありますよ。
頷いたグレアムを見て、興奮したのか頬を紅潮させています。
「やっぱり!! で!? ずばり、ルイザとの関係は!?」
「ちょ! エミー」
一足飛びにそこ!? 他に聞く事ないの!?
「幼なじみの恋人だ」
そしてグレアムも真正直に言っちゃったよ! もうちょっと誤魔化すとかしようよ! ここ故郷じゃないんだよ!?
手遅れになった事に嘆く私を余所に、グレアムの爆弾発言で工房内は一挙に黄色い歓声に包まれました。
あの後工房の騒ぎに、外回りから帰ってきたオーガストさんがびっくりして、そのままなし崩し的にその日の仕事は終了になったんでした。
そりゃそうですよね。外まで見物客が押し寄せてきて仕事になんかならない状態でしたから。工房の方の窓からも、人垣が出来ているのが見えましたよ……。みなさん結構暇なんですね。
「ごめん、ルイザ。勇者様とは知り合いなんだってね? このまま勇者様匿ってあげて。今外に出したらえらい騒ぎになるよ」
そうオーガストさんに言われてしまっては、何も言えませんよ。外の人垣を誤魔化しつつ追い払ったのは、工房のみんなとオーガストさんですしね。
それにしてもあのみんなの好奇の目。今日仕事に行ったら何聞かれるんだろう……。凄く、憂鬱です。噂話は聞くのはいいけど、するのもネタにされるのも苦手ですよ。
それもこれも、今私の目の前で私の作った朝食をおいしそうに食べているこの男のせいですよ。これは逆恨みじゃあありませんよね!?
おかしいなあ、ついこの間までは忘れる忘れられないで結構悲壮な思いをしていた相手だというのに。
いざ帰ってきたらその辺りの事は全部吹っ飛ぶ勢いですよ。まったく嵐かこの男は!
あっという間に一年前に引き戻された気がします。王都での私の一年は一体なんだったんでしょうね……。
匿うのは別に構いませんよ。一緒のベッドで寝るのも。故郷にいた頃にはよくやってましたから。寝入るときには一人だったのに、朝目が覚めたら隣に寝ていた、なんてのもざらでしたしね。
……別に何もありませんよ? 添い寝しただけですから。恋人同士だったとは言っても、キス止まりのかわいらしいものでしたから。
「で?」
朝食を食べ終わったのを見計らって、私は早速問いただしました。
「ん?」
「ん? じゃなくて! あんた、仲間はどうしたの? それに討伐終了って、本当に大魔王倒し終わったの? それにしては帰ってくるの早すぎない?」
そう、確かついこの間大魔王の居城に突入したとかいう新聞記事を読んだばかりです。あれからそんなに経っていないのに。新聞が出るまでのタイムラグがあるにしたって、早すぎやしませんか?
それに大魔王の居城って、国をいくつも超えた遠い場所にあるって聞いてますよ。そこからこの国に帰ってくるのに、こんなに早く到着するものなの? それに仲間は? まさか置いてきたんじゃないでしょうね!?
矢継ぎ早の私の質問に、グレアムはお茶で喉を潤してから口を開きました。てかもう食事終わってる。早!
「仲間は今頃王宮の方にでも行ってるんじゃないかな。大魔王討伐はちゃんと終わったよ。女神にも確認してもらったし。帰ってくる時には神殿の回廊使わせてもらったから一瞬だったよ。便利だよな、あれ。自力でも帰れたんだけど、それだと仲間は置いてけぼりになるからって、神殿側が貸してくれた」
ああ、あの噂本当だったんですね……じゃなくて!
「仲間が王宮って?」
「ほら、一応大魔王討伐って国王命令って事になってるだろ? だからその報告に」
「それ、あんたも行かなきゃいけないんじゃないの?」
何せ勇者は討伐の主役ですから。あくまで一行は勇者のお供的扱いなんじゃなかったっけ?
「王宮は面倒だ」
「面倒でも必要なら行ってこい!! つか報告までが討伐でしょうが!!」
心底嫌そうな顔で、面倒とか言うな! 一旦引き受けたんなら最後まで気ぃ抜くなとデリアおばさんからも言われて育っただろうが!
でもこれだけ嫌だというのを全面に出すのであれば、出立前の王宮で何かあったのかも知れませんね。好き嫌いは基本ないんですよ、グレアムって。そこまでの感情表すほど、周囲に関心がないとも言えますが。
……あれですかね? 王宮でやんごとないお嬢様方とかに取り囲まれたりとかしたんでしょうか? ぱっと思いつくのはそのくらいですね。
さすがのグレアムでも故郷の女子と同じ扱いをお嬢様には出来ないでしょう。……てかさすがに周囲が止めたと思いたい。
「とにかく! 一度引き受けた以上、仕事は最後まできちんと!」
「だから仲間が王宮に行って報告してるから心配いらないよ。元々俺は庶民の出だけど、他の連中は王宮には慣れてるから。そういう意味合いもあって報告は彼らがやるって最初から決めてあったんだ」
「……それ本当?」
こっくりと頷く姿に、なんとなく信じがたいものを感じますが、基本グレアムは嘘は吐きませんから、信用は出来ます。
仲間内の話なら、私が口を挟むのは筋違いですね。この話をこれ以上するのはやめておきましょう。
私は一つ小さい溜息を吐いて、先程までの事で熱くなっていた頭を冷やす事にしました。
まあとりあえず、今言えるのは……。
「グレアム……」
「ん?」
「遅くなったけど……お帰りなさい」
「ただいま」
ここは王都で、私たちの故郷ではないけど。待ってるなんて約束はしなかったけど。それでも使命を果たして私の元へ帰ってきた初めての勇者には、これくらい言っても罰は当たらないでしょう。
本当に、お帰りなさい、グレアム。
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