鎌倉
「ここで改めて、黒﨑さんが医療支援に入られた場所を地図でご説明したいと思いますけれども、このイドリブという場所ですね。」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「私が働いた病院は、イドリブ圏の中にあるところですが…。」
髙尾
「北部なんですね。」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「そうですね、この北部、イドリブとかアレッポという場所に『国境なき医師団』の医療拠点を置いています。
そこに安全な周辺の国から入っていく、反政府側の管轄下にあるところ、先ほども申し上げたように、政府の許可をもらっていないので、反政府側の管轄下のもとにあるところでしか、安全に医療活動ができないという。」
鎌倉
「入っていくのも、相当大変なんですか?」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「相当大変、というほどではないんですけども、やはり、ずっと行くための安全なルートを探すしかないという。」
髙尾
「政府のほうは首都ダマスカス周辺ですから、その許可が下りないということは、ここには入れない。」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「そうです。」
髙尾
「ある意味、言い方は悪いですけど、闇のルートで入るしかないということなんですね。」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「闇というか、こちらにもニーズはあるんだけども、自分たちが入れるところはここしかないというのが残念なところで、政府から許可があれば、もっともっと被害の多いところにも入れる、ということですね。」
鎌倉
「入れるぎりぎりのところが、このイドリブという首都だということなんですね。」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「今のところは。」
髙尾
「実際、黒﨑さんたちが活動されたこの北部、イドリブ周辺の治安状況というのはいかがでしたか?」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「活動を始めて約1年になるんですが、最初のころに比べると、患者の数の波はありますけども、やはり最近、銃撃、爆撃音が身近に聞こえるだとか、それから私のいた1か月間の間も、後半のほうはヘリコプターが上空を飛ぶという、上空をヘリコプターが飛ぶということは、空爆の場所をねらっている、偵察をしているということなので、そういう意味では、僅か1か月の間でも、最初の週と後半とでは状況が変わっていくという、変化のあるとこだと思います。」
髙尾
「北部では、政府側によって化学兵器が使われたという報道も出ているんですけども、実際、そうした患者さんをご覧になったことはありますか?」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「私たちの施設に、そういう患者が運ばれたということはありませんでしたし、そういうことを指示をしたこともありません。」
鎌倉
「今、お話にありました、非常に厳しい状況の中での医療活動だったわけなんですけど、具体的に、どういった環境だったのか、ちょっと教えていただきたいんですが。」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「病院の設備ですね。
病院自体、話せば少し長くなりますが、紛争が起きてから、先ほど言ったように、病院自体が壊れていくと。
ただ、反政府側の地域でシリア人のお医者さんたちが、いろんなところで治療するわけですが、私たちは最初、その医療物資を援助する中から、安全なとこ、ある民家を改造したり、洞くつの中を病院として使ったりして…。」
鎌倉
「洞くつの中ですか?」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「安全確保のために、洞くつの中で病院を確保する、ただ、それではもう容量が足りないので、さらにそのうちに安全な場所を確保して、病院を移動するという形で。
ただ、どうしてもちゃんとした大きな建物ではありませんので、ベッド数が少ないだとか、手術室が1つしかないとか、そういうところで、できるかぎりの人材、物的支援を使って援助してますね。」
鎌倉
「それはやはり、病院だと分かると、攻撃される可能性がある?」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「そうですね、そのリスクは高いと思います。」
鎌倉
「そういった状況で、具体的に、例えば1か所の施設で、大体どれぐらいの先生が、何人ぐらいのスタッフの方で活動されているんですか?」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「私たちは原則として、空爆とか爆撃の負傷者、外科的治療を目的にしてましたので、外科医1人、麻酔科医1人、救急救命医1人ということで、3人のドクターと、あとナース。
海外からは11人。
そして、現地の看護婦や看護助手や通訳、レントゲン技師などを使って、トータル、守衛とか通訳も入れると、50人ぐらいで。
ベッドは16しかないんですけども。」
髙尾
「じゃあ、交替で寝るしかないと。」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「夜は比較的、電気もないので静かなんですが、夜中にも患者が来ることもありますし、夜勤の看護婦もいますし、外来は出入りが、何十人も昼間来ますので。」
髙尾
「実際、どのような患者さんが運ばれてこられて、治療にあたられましたか?」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「大多数は、空爆とか爆撃の犠牲者なので、体に弾が入っている、破片が入っている。
あるいは、そのために骨折している、おなかの肝臓をやられているから出血しているという患者さんが6割、7割と、あともう1つは、やけどの患者が多かったんですけど、不良な燃料のためにやけどを負って、それもかなり爆圧がひどいので、広い範囲、やけどの患者がいました。」
鎌倉
「特に黒﨑さんが印象に残っている患者さん、例えば、どんな方がいました?」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「私がどうしても忘れられないのは、4か月の赤ちゃんの治療なんですけど、爆撃されて、家族で来たんですけども、来た時には真っ白で、もう息をしていないんじゃないかなと思ったんですけど、近づいたら息をしていたので、慌てて点滴をとって、輸血をして、状態回復をして。
ただ、もう脚、爆撃でぼろぼろでしたので、切断するしかなかった、と。」
鎌倉
「今、この映像に映っている赤ちゃん。」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「もっとかわいそうだったのは、おうちの中に爆弾が落ちて、お父さん、お母さんは即死の状態で、お兄ちゃんもそのまま亡くなっていて、彼女は幸い、脚だけで、もう1人、一緒に来たいちばん上のお姉さんも脚を骨折していたんですけど、これ、うちに来た、ごく一部の患者さんだと思うんですね、この地域の犠牲者の。
お母さんがいないことも気づかない、おっぱいが飲めなくて。
母乳だったので、飲めなくて泣いている。
やっと数日たって哺乳瓶から飲めるようになったっていう、泣かないし、いつもにこにこ笑っているっていうのは、もう忘れられないですね。」
髙尾
「こうした現場で治療にあたられて、どんなことを感じられましたか?」
“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「これ以上、犠牲者を増やしたくないのと、それから、どんどんニーズが上がっているのに援助がいかない、もう少し医療機関があって、ベッドがあって、施設があれば、早く行っていたら助かっているんだけど、きっと助かってないんだろうなと思うので、そういうことを拡大していかないといけないんではないかなと思っています。」