2013年5月21日(火)

シリア最新情勢 ~国境なき医師団日本会長 黒﨑伸子医師に聞く~

戦闘機による市街地の無差別爆撃。
国際社会の目が届かなくなっているシリアで今、無数の市民が内戦の犠牲になっています。
戦闘で化学兵器が使われた疑いも浮上。
シリア国内は、医療関係者すら攻撃の対象となる最悪の状況が続いています。
そのシリアで、傷ついた市民の治療にあたってきた日本人医師がいます。



外科医の黒﨑伸子さん。

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「レントゲンによれば…。」

世界の紛争地で活動する「国境なき医師団・日本」の会長です。

“行けば、救える命がたくさんあるはず”

黒﨑さんは、これまでにも内戦の爪痕が残るソマリアやスリランカなどで、10年以上、医療支援を続けてきました。
命の危険と隣り合わせのシリアで、何を見たのか。
そして現地では、何が必要とされているのか。
先日、1か月ぶりに帰国した黒﨑伸子さんに聞く、シリアの現状です。

シリア 極限状況での医療支援

鎌倉
「改めてご紹介いたします。
外科医で『国境なき医師団・日本』会長の黒﨑伸子さんです。
今夜は、医師である黒﨑さんが目の当たりにした、シリアの現状について伺っていきます。
よろしくお願いします。」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「よろしくお願いします。」

髙尾
「シリア、内戦状態になって、もう2年以上ということですが、医療の現場、医療ということでいうと、現地はどういう様子なんでしょうか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「もともとシリアは、医療のレベルが、かなり充実して高いところだったんですが、この反政府運動が始まってから、やはり犠牲者が増えるというだけではなく、反政府側の負傷者を助けることによって、助けている病院がねらわれたり、あるいは、助けたお医者さんたちが拷問を受けたり、逮捕されたりということで、どんどん医療設備、医療従事者が逃げていく。
あるいは、その病院がターゲットになって破壊されるということで、しっかりしていた医療設備がどんどん減っていって、ごく数割しか残っていないという状況。
その中で逆に、空爆や爆撃で、犠牲者はどんどん増えていくというアンバランスが起きてきて間に合っていないという状況だと思います。」

髙尾
「国連なども去年(2012年)の8月、引いてしまったという意味で、国際的な支援も、全然行き届かない状況ですか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「そうですね。
危険が隣り合わせにあるということもありますし、私たち『国境なき医師団』も、実際にはまだダマスカスのシリア政府からの活動の許可がもらえていないんですね。
なので、政府側がいるところには入れない状況です。」

髙尾
「これまでも、いろんな厳しい現場に入られて、医療活動をしてこられたと思うんですが、ソマリアとかですね、そういうところと比べて、シリアの現状というのは、どういうふうになってますか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「まだ紛争が起き始めて2年たったばっかりというところで、どんどん激化している中ですよね。
ソマリアとか、ほかの国の紛争もありますけど、ある程度時間がたつと、どこが危ない、どこがなんとかっていう情報が来るんですけど、どんどん状況が日々変化している。
今まで安全だった地域が安全じゃなくなるということと、やはり銃器の数も増えていますし、その破壊力も大きくなっている。
それからインターネットなんかの利用によって、どこかで起こったことは、すぐ情報が入って、エスカレートしやすくなっているという状況はずいぶん変わっているかな、と思います。」

シリア 医療支援活動の実態

鎌倉
「ここで改めて、黒﨑さんが医療支援に入られた場所を地図でご説明したいと思いますけれども、このイドリブという場所ですね。」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「私が働いた病院は、イドリブ圏の中にあるところですが…。」

髙尾
「北部なんですね。」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「そうですね、この北部、イドリブとかアレッポという場所に『国境なき医師団』の医療拠点を置いています。
そこに安全な周辺の国から入っていく、反政府側の管轄下にあるところ、先ほども申し上げたように、政府の許可をもらっていないので、反政府側の管轄下のもとにあるところでしか、安全に医療活動ができないという。」

鎌倉
「入っていくのも、相当大変なんですか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「相当大変、というほどではないんですけども、やはり、ずっと行くための安全なルートを探すしかないという。」

髙尾
「政府のほうは首都ダマスカス周辺ですから、その許可が下りないということは、ここには入れない。」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「そうです。」

髙尾
「ある意味、言い方は悪いですけど、闇のルートで入るしかないということなんですね。」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「闇というか、こちらにもニーズはあるんだけども、自分たちが入れるところはここしかないというのが残念なところで、政府から許可があれば、もっともっと被害の多いところにも入れる、ということですね。」

鎌倉
「入れるぎりぎりのところが、このイドリブという首都だということなんですね。」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「今のところは。」

髙尾
「実際、黒﨑さんたちが活動されたこの北部、イドリブ周辺の治安状況というのはいかがでしたか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「活動を始めて約1年になるんですが、最初のころに比べると、患者の数の波はありますけども、やはり最近、銃撃、爆撃音が身近に聞こえるだとか、それから私のいた1か月間の間も、後半のほうはヘリコプターが上空を飛ぶという、上空をヘリコプターが飛ぶということは、空爆の場所をねらっている、偵察をしているということなので、そういう意味では、僅か1か月の間でも、最初の週と後半とでは状況が変わっていくという、変化のあるとこだと思います。」

髙尾
「北部では、政府側によって化学兵器が使われたという報道も出ているんですけども、実際、そうした患者さんをご覧になったことはありますか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「私たちの施設に、そういう患者が運ばれたということはありませんでしたし、そういうことを指示をしたこともありません。」

鎌倉
「今、お話にありました、非常に厳しい状況の中での医療活動だったわけなんですけど、具体的に、どういった環境だったのか、ちょっと教えていただきたいんですが。」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「病院の設備ですね。
病院自体、話せば少し長くなりますが、紛争が起きてから、先ほど言ったように、病院自体が壊れていくと。
ただ、反政府側の地域でシリア人のお医者さんたちが、いろんなところで治療するわけですが、私たちは最初、その医療物資を援助する中から、安全なとこ、ある民家を改造したり、洞くつの中を病院として使ったりして…。」

鎌倉
「洞くつの中ですか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「安全確保のために、洞くつの中で病院を確保する、ただ、それではもう容量が足りないので、さらにそのうちに安全な場所を確保して、病院を移動するという形で。
ただ、どうしてもちゃんとした大きな建物ではありませんので、ベッド数が少ないだとか、手術室が1つしかないとか、そういうところで、できるかぎりの人材、物的支援を使って援助してますね。」

鎌倉
「それはやはり、病院だと分かると、攻撃される可能性がある?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「そうですね、そのリスクは高いと思います。」

鎌倉
「そういった状況で、具体的に、例えば1か所の施設で、大体どれぐらいの先生が、何人ぐらいのスタッフの方で活動されているんですか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「私たちは原則として、空爆とか爆撃の負傷者、外科的治療を目的にしてましたので、外科医1人、麻酔科医1人、救急救命医1人ということで、3人のドクターと、あとナース。
海外からは11人。
そして、現地の看護婦や看護助手や通訳、レントゲン技師などを使って、トータル、守衛とか通訳も入れると、50人ぐらいで。
ベッドは16しかないんですけども。」

髙尾
「じゃあ、交替で寝るしかないと。」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「夜は比較的、電気もないので静かなんですが、夜中にも患者が来ることもありますし、夜勤の看護婦もいますし、外来は出入りが、何十人も昼間来ますので。」

髙尾
「実際、どのような患者さんが運ばれてこられて、治療にあたられましたか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「大多数は、空爆とか爆撃の犠牲者なので、体に弾が入っている、破片が入っている。
あるいは、そのために骨折している、おなかの肝臓をやられているから出血しているという患者さんが6割、7割と、あともう1つは、やけどの患者が多かったんですけど、不良な燃料のためにやけどを負って、それもかなり爆圧がひどいので、広い範囲、やけどの患者がいました。」

鎌倉
「特に黒﨑さんが印象に残っている患者さん、例えば、どんな方がいました?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「私がどうしても忘れられないのは、4か月の赤ちゃんの治療なんですけど、爆撃されて、家族で来たんですけども、来た時には真っ白で、もう息をしていないんじゃないかなと思ったんですけど、近づいたら息をしていたので、慌てて点滴をとって、輸血をして、状態回復をして。
ただ、もう脚、爆撃でぼろぼろでしたので、切断するしかなかった、と。」

鎌倉
「今、この映像に映っている赤ちゃん。」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「もっとかわいそうだったのは、おうちの中に爆弾が落ちて、お父さん、お母さんは即死の状態で、お兄ちゃんもそのまま亡くなっていて、彼女は幸い、脚だけで、もう1人、一緒に来たいちばん上のお姉さんも脚を骨折していたんですけど、これ、うちに来た、ごく一部の患者さんだと思うんですね、この地域の犠牲者の。
お母さんがいないことも気づかない、おっぱいが飲めなくて。
母乳だったので、飲めなくて泣いている。
やっと数日たって哺乳瓶から飲めるようになったっていう、泣かないし、いつもにこにこ笑っているっていうのは、もう忘れられないですね。」

髙尾
「こうした現場で治療にあたられて、どんなことを感じられましたか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「これ以上、犠牲者を増やしたくないのと、それから、どんどんニーズが上がっているのに援助がいかない、もう少し医療機関があって、ベッドがあって、施設があれば、早く行っていたら助かっているんだけど、きっと助かってないんだろうなと思うので、そういうことを拡大していかないといけないんではないかなと思っています。」

シリアで いま何が必要か

鎌倉
「今回の活動を通じて、シリアに今、何が最も求められているというふうにお考えになりますか?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「私たちの立場としては、やはり、みすみす失う命というのを助けるということと、2年がたっている、先が見えない。
だけど、子どもたちは学校にも行けない。
難民キャンプに避難している、家族は失っていくっていう、この状態が、悪循環がどんどん続くことによって、心も疲弊してしまいますし、ですから今、私たちのような国際的な援助団体も入れないのを、少しでも入るようにして、命を助け、将来に希望をつなげていく必要があるのではないかなと思っています。」

髙尾
「国際社会、そして日本の人たちに対してですね、今どのようなメッセージを?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「先ほど、山本美香さんの話が出てましたけども、日本にとって中東、特にシリアっていうのは遠い国のことなので、何かがあると思い出すんだけど、今、同じ私たちがおいしいごはんを食べている時に、こういう人たちがいるっていうことを、まず忘れないでほしいということと、先ほど言ったように、助けるため、安全な国、安全な地域にするためには、何らかの力で援助の手、物資や医療や、いろんなものが早く入れるようにするという、各国政府、ほかの政府の力添え、後押しが必要だと思います。」

髙尾
「先生は、こうした現場に入られ、もともとは大学の先生でいらしたのが、こうした困難な現場に入られる、その駆り立てているエネルギーっていうのは何なんでしょう?」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「現場に行くたびに思うんですが、私も、今回もそうですが、自分の仕事をしているところがあっても、代わってくれるドクターたちがいっぱいいるわけですね。
だけど、ここには人がいないから、助けないといけないという、頼まれて、助ける命を助けるために行けるのであれば行きたいし、そのことをまた皆さんに伝えることができるし、と思いますので、たった1か月ですけど、そのことで学んでくることも多いですし、いろんな出会いがありますし、シリアの人たちが助け合って、なんとか生き延びようとしていることは、救われるような思いもしますし。
できるだけ続けていきたいと思っています。」

鎌倉
「非常に貴重なお話、ありがとうございます。」

“国境なき医師団・日本”会長 黒﨑伸子さん
「こちらこそ、ありがとうございました。」

鎌倉
「外科医で、『国境なき医師団・日本』会長の黒﨑伸子さんにお話を伺いました。」

髙尾
「2年以上にもわたってですね、シリアの内戦、続いているわけですけれども、去年の8月に、国連の停戦監視団が活動を期限切れで撤収してからは、事実上、国際社会は関与を放棄してきたということなんですよね。
現在、アメリカとロシアが主導で、アサド政権側と反政府勢力側の双方が参加する、停戦に向けた国際会議の開催に向けた調整、今、進められているところなんですけれども、そのメドは立っていないというのが実情です。」

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