2013年5月20日月曜日

「現憲法死守」は謗法罪、与同・利敵行為

具体的な背景は控えるが、久しぶりに怒髪天を衝く思いだ。まあ、頭上に髪は無いんですが(爆)。

現憲法の人権思想は、キリスト教神学ないし近代合理主義思想に由来するもので、
「個々人の合理性を信頼し、どんな境遇に生まれてもその尊厳は平等である」
という人間観を前提としている。

日蓮正宗僧俗は本来、現憲法の人権思想を「邪」として、破折する見識を持たなければならない。

現憲法の前提となっている思想に拠るならば、国家君主と同じ尊厳が、一般国民にも生まれながらにして具わっていることになる。

仏教の道理としては「生まれ持った境遇・差別は過去世からの業に因るもの」というのが基本である。

宗祖は『立正安国論』に『仁王経』を引証として
「我、今五眼をもつて明らかに三世を見るに、一切の国王は皆な過去の世に五百の仏に侍えるに由つて帝王主と為ることを得たり」と説いておられる。

分かりやすく言い換えると、
「国家君主たる身分に生まれるのは、その大前提として、想像を絶する長期にわたる仏道修行を積んできた過去世があるから」
ということだ。

国家君主にお生まれになる方の「尊厳」を一般国民の「尊厳」と一緒くたにしてはいけない。

ましてや、日本の皇祖は天照大神であられる。天照大神は、宗祖が『産湯相承事』に説かれるように「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神」にてまします。

皇室は、天照大神の直系なれば、吾人は日蓮正宗信徒として、ここに重大な関心を持つものである。

皇室にお生まれになる方の尊厳と、一般国民の尊厳とは明確に立て分けなければならない。

この観点で論ずるならば、現憲法の前提となっている人権思想は、究極的には国体破壊を目的とするものと断ぜざるを得ない。

話が多少、脱線したが、
「生まれながらにして、全人が等しく同じ尊厳を有する」
という荒唐無稽な仮定に拠る、現憲法の法哲学はかくの如く「邪」なのである。

支那の先兵と化した創価学会・公明党ならばともかく、仮に「現憲法死守」を唱える僧俗が日蓮正宗内部に存在するのなら、それは謗法罪を積む与同・利敵行為というものであろう。

少なくとも、共産主義者は宗内から除名されなければならない。

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