宮沢賢治:オール「甲」+皆勤賞 “超優等生”通信簿発見

2013年05月20日

2枚目/2枚中

全ての教科が「甲」と記載された宮沢賢治の通信簿=岩手県花巻市の市立宮沢賢治記念館で2013年5月19日午後1時21分、安藤いく子撮影

 童話作家で詩人の宮沢賢治(1896~1933年)の小学校時代の通信簿が、岩手県花巻市の市立花巻小学校で見つかった。オール「甲」の優等生に加え、5~6年時は皆勤賞で体も丈夫だったことがうかがえる。寄贈された市立宮沢賢治記念館(同市矢沢)は没後80年に合わせ、誕生月の8月から2カ月間、一般公開する予定だ。

 賢治は1909(明治42)年、花巻小の前身の花城(かじょう)尋常高等小学校を卒業。その年から18(大正7)年までの卒業生の通信簿の束を、校長室の金庫から、今年着任した今野充雅校長が偶然見つけた。

 A4判よりやや小さい和紙1枚で、6年分の成績を一覧できる体裁だ。1~2年時の成績記録は校舎の火災で紛失したため空欄で、3~6年時の分のみ記載されている。

 「学業成績」欄は甲乙丙の3段階評価。3~4年時は修身(道徳)・国語・算術・体操・操行(日ごろの態度)−−の5教科▽5~6年時は日本歴史・地理・理科・図画・唱歌−−を加えた10教科あり、全学年全科目が最優秀の甲だった。「身体の状況」の「体格」欄は5年までは「中」だが、6年時は身長133・9センチ、体重29キロ、胸囲60センチで「強」に成長している。

 これらの内容は「校本宮沢賢治全集第14巻」(77年、筑摩書房発行)にも載っている。しかし、その記述の経緯や、根拠となる原本の所在は不明だった。

 記念館の牛崎敏哉副館長(59)は「小学校時代の成績と健康状態を証明する貴重な資料だ。賢治は22歳の時に肺結核と診断され、徴兵をあきらめるなど人生が大きく変わった。死をも覚悟し、作品にも影響を与えたとみられる。対比して考えると興味深い」と話す。【安藤いく子】

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