| 昨年の厳原港まつり対馬アリラン祭。朝鮮通信使行列の最後に握手を交わし友好を誓い合う日韓の代表者=対馬市、厳原港
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対馬市から盗まれ韓国で回収された仏像の未返還問題で、韓国側に抗議するため、毎年夏に同市で開く日韓行事「厳原港まつり対馬アリラン祭」のメーンイベント「朝鮮通信使行列」が中止、祭名から「アリラン」が削除される事態となった。日韓の摩擦が民間交流に大きく影響するのは初めて。背景には「国境・対馬の歴史」を国内外にPRしようと始まった行事が、「韓国のための祭り」と誤解されている現状を修正したいという主催側の思いもある。
「互いに欺かず、争わず、真実を持って交わろう」−。日韓の400人が華やかな衣装を着て街を歩き、最後に両国代表が舞台上で固い約束を交わす。島の風物詩、朝鮮通信使行列が今夏は見られない。
4月17日、行列を実施する同行列振興会は総会を開催。韓国側への不満が相次ぎ、行列中止を決めた。祭を主催する同祭振興会(山本博己会長)も同調。祭名の変更を決定した。
これまでも竹島や歴史認識の問題で日韓の不和はあった。それでも「政治と民間は違う」と草の根交流は続けており、過去にない不信感が広がっている。
ただ「仏像が引き金となったが、いずれ『アリラン』の名称は削るつもりだった。祭も行列も在り方を考え直す時期だった」と山本会長は明かす。
関係者によると、祭は1964年に「厳原港まつり」として開始。80年に行列も始まった。88年に県が島外の観光客を呼べるイベントに発展させようと補助金を出し、併せて朝鮮民謡を意味する「アリラン」の名称が加わった。
通信使は対馬で初めて日朝両国による行列をしており、「郷土の歴史再現」が祭の目的だった。だが、国際色が濃くなり、韓国人観光客が増えるにつれ、地元からは「なぜ韓国の祭りをするのか」という批判も。日韓関係が険しくなるたびに誤解は島内外に広がり、主催側や市役所への抗議の電話も増えていた。
祭運営費の一部は住民からの寄付金で賄うが、「仏像問題で市民感情が悪化し寄付金が集まらない」との懸念も噴出。ある関係者は「例年通りなら韓国自体を嫌う団体から妨害されるかもしれない。安全面の不安もあった」とこぼす。
一方で、対馬の観光PRではマイナス面が大きい。対馬観光物産協会は、全国の情報誌からイベント紹介を求められるが「インパクトある行事を失った」。
それでも同協会の庄野伸十郎会長は今回の決定を「正しい」と言い切る。行列は亡き父親が発案し愛着も強いが「仏像を返還しない韓国の対応は許されない。ただ、韓国のために祭りを続けてきたわけでもない。これを機に多くの人に対馬の歴史に目を向けてほしい」と話す。
◎ズーム/朝鮮通信使
江戸時代の1607年から1811年の間に日本を計12回訪れた朝鮮王国の外交使節団。対馬藩が江戸まで先導し、豊臣秀吉の朝鮮出兵後に悪化した日朝関係の改善に貢献した。