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│<< 前へ │次へ >> │一覧│ コメントを書く│≪07復習0523≫河野談話前夜・谷野答弁と福島弁護士とその時代 賠償目的初めから
カテゴリ:使命因果応報責任
≪暗躍してまんなー≫ 河野談話前夜・谷野答弁と福島弁護士とその時代 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/177563/ ちょっと思うところがあり、慰安婦問題に関する過去記事のスクラップを読んでいて、目に付いた記事がいくつかありました。平成5年8月の河野官房長官談話に関係していると思われるものです。いずれも、知っている人はとっくに知っていることなのでしょうが、興味深く感じたのでそれを改めて紹介したいと思います。まずは、
同年3月24日付の毎日新聞と朝日新聞の記事からです。
この二つの記事は、3月23日の参院予算委員会での谷野作太郎内閣外政審議室長の答弁と
話作成にもかかわった、外務省で中国課長などを歴任したチャイナスクール の重鎮です。後に中国大使も努めており、福田康夫元官房長官の小学校時代 の同級生としても知られていますね。で、
朝日によると次のようなものでした。
「物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、あるいは畏怖させて、 本人の自由な意思に反してある種の行為をさせること」
これについて朝日は、《「強制性」について、たんに物理的な強制があったかどうかだけでなく元慰安婦の「精神的苦痛、心理的なものも含めて」(政府首脳)判断することを決めた》と書いています。現在は、政府首脳のクレジットで記事を書く習慣はほぼなくなりましたが、以前は政府首脳とは官房長官のことを意味しました。つまり、これは河野氏のことでしょう。
こうしてみると、当時の宮沢内閣、 少なくとも河野氏と谷野氏の間では、 政府調査で慰安婦強制連行の証拠が出てこなくても、 何とか「強制性」自体は認めようという 話し合いがついていたことがうかがえます。
やはり河野談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は、産経新聞の取材に対し、韓国側が「とにかく強制を認めてほしい」という趣旨のことを要請してきていたことを証言しています。そうしたこともあって、宮沢内閣が河野談話に向けて、路線を敷いていたというか、布石を打っていたというか、そういう当時の空気が分かる記事だと思いました。でもねぇ、こうまで「強制性」の定義を広げてしまうと、私たち会社員が出勤したくない内心を抑えて職場に向かうのも強制になりかねません。将来に禍根を残した愚かな判断だったと思います。
さて、次は社民党の福島瑞穂党首がまだ議員になる前、 やはり慰安婦問題で、少なくとも二度にわたって朝日に登場 していましたので、その記事についても報告します。
平成4年1月11日に、加藤紘一官房長官が慰安婦に対する軍の関与を認めたことに対する福島氏のコメントが、1月12日付の朝日にこう載っていました。
で弁護士の福島瑞穂さん
元慰安婦の方々は、日本政府のこれまでの無責任な対応への怒りこそが提訴 に踏み切ったきっかけだった、と言っている。
ソウル発で「韓国での政府調査オブザーバー参加 福島瑞穂弁護士に聞く」 「『体験聞いて』元慰安婦真剣に」という記事が顔写真付きで掲載されていました。 河野氏は何ら物的証拠がなかったにもかかわらず、 「強制性」を認めた根拠として、韓国での元慰安婦の聞き取り調査結果を 挙げていますが、 その調査に福島氏が加わっていたというだけで、 調査の信憑性が疑われるというものです。
さらに、平成4年5月1日付の朝日は、 この問題で北朝鮮側に立った大きな特集記事を掲載しています。 5本も見出しがついているほか、 年表まで添えられいます。 でも、それによって逆に、 慰安婦問題をクローズアップし、
社会問題化してきた主体が朝鮮総連であり、
日本から戦後補償を獲得することが目的だったことが分かる
見出しを拾うと、 「慰安婦・強制連行『戦後補償を』」 「『北』側からも高まる声」 「朝鮮総連計団体が調査や集会」 「『植民地支配』を問う」 「在日の『南北』が連携も」 とありました。なんだかこれを読むだけで、笑ってしまいそうになりました。露骨というか、分かりやすいというか。 この記事のリードは、「この問題への朝鮮総連の本格的な取り組みは、 進行中の日朝交渉にも微妙な影響を与えそうだ」と締めくくっています。 いやあ、総連は大いに喜んだでしょうね。
今回、河野談話前後のスクラップをひっくり返して改めて印象を受けたのは、当時の言語空間のいびつさです 。慰安婦問題の実態についてはあまり知られておらず、当時は弊紙も「従軍慰安婦」と「従軍」のついた誤った用語を何度も使っていましたし、
元慰安婦の証言は一切疑問をはさまれることなく、
また、朝日だけでなく、毎日や東京も
決して宮沢内閣や河野氏をかばうつもりはありませんが、ネット空間をはじめとし、さまざまな言論が存在する現在とは全く違う当時の空気をみると、河野談話が生まれた理由が分かるような気もしました。 繰り返しますが、
メディアの役割と実際できることは何なのか...と、
いやー、わかりやすい≫
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