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2013年5月19日 (日)

ボクシングの日

 5月19日はボクシングの日です。51年前に白井義男氏(故人)が世界チャンピオンになった記念日なのです。

 記念イベントは20日付のスポーツ報知で飯塚記者の記事を読んでもらうとして、毎週水曜掲載のレジャー面(東日本版)コラム「酒の魚」で今後、ネタになりそうなボクシングネタを探すと、同じ大阪出身の亀田史郎さん(47)がいました。興毅、大毅、和毅の3兄弟を育てたあの亀父です。

 かつて取材したことのある史郎さんと、先日、飲んだのでした。その時の話は、あらためてコラムで書くとして、過去に記事にした傑作(自画自賛ですが)を引用しましょう。「私の上京物語」というテーマのインタビューです。

 

 「オレも大阪っ子やから大阪から出るのん嫌やったけど、とことんやるなら人口の多いところで認められたいやんか」と一家で上京したのが2006年2月。引っ越しにあたって史郎さんは、まず地名にこだわった。選んだのは東京・葛飾区の京成「お花茶屋」駅近く。
 「オレは大阪の天下茶屋(西成区)にずっとおったから、よう似てる下町を選んだ。天下茶屋からお花茶屋や。葛飾というのも“勝つしか”ないというええ名前や」と語呂合わせのワンツーに胸を張る史郎さん。さらに番地の末尾は18。「一か八かや。大毅の一か八か(世界挑戦)は失敗してもたけどな。でもまだこれからや」
(その後成功)。ダジャレと失笑するなかれ。住所を言ったり書いたりするだけで初心を思い出すことが出来るのだ。
 度重なるバッシングに「東京って冷たい」とは思わなかったのか。「住めば都や。白い目で見てるのはマスコミだけ。近所の人は優しかった。葛飾後援会もすぐに飛んできてくれる。葛飾警察も『何かあったら亀田さん言うて下さいよ』と心強いわな」。むしろ大阪にいた時の方が白い目で見られていたとか。3兄弟の特訓中に「またあのおっさん、自分の子どもいじめとる」と陰口をたたかれたことを懐かしむ。
 「でも東京に先に来たもんが偉い、みたいなところがあるな。職場でも学校でも日本はいじめる習慣がついてもうてるわけや。『亀田家や朝青龍は悪い。内藤や白鵬は良い』というテーマが決まってもうとる。そんなんにつぶされたらあかん。興毅や大毅が、手にハンカチ持って(早大・斎藤投手
=現日本ハムのように)顔をふいたりしたら、終わり。おとなしくなったらマスコミの思うつぼ。オレらはもっとうるさくしたろか」
 東京に来ても標準語に屈しないのが大阪人。しかし亀田家独特の味のありすぎるしゃべり方は誤解を招きやすい。「これは敬語やねんけど、なんか早いから偉そうにしゃべってるように聞こえるねん。しゃべり方で損するよ。(頭の)回転が速いから、遅くしゃべられへん。無駄な時間使いたくないし、短い取材ですぐ見出しになるから、記者も仕事がしやすいやろ」
 東京は亀田家にとって骨を埋める場所なのか。「大阪には帰れへん。おったるぞ。出て行け、言われてもおるぞ。今はちょっと亀の甲羅に入ってるだけや。何もおとなしくなったんちゃうで。大阪から東京へ来て、次はアメリカや。ラスベガスで暴れたるよ。3人とも世界チャンピオンになって、オレの文句も言わないようになる。それが最終目標や」。(
2008年3月14日付スポーツ報知より)

 

 賛否はありますが、史郎さんは間違いなく日本ボクシング史に名を刻んでいます。三男・和毅選手の世界戦しだいでは、もっとすごいことになるでしょう。ボクシングの日に誰も書かないでしょうから、書いてみました。

 

 

 

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