- ノーザンホースパーク社長 吉田勝巳 様 05月19日
- プリンセス雅子の笑顔 05月12日
- 村上春樹様 04月27日
昨日、社台スタリオンの角田修男場長に、現在私が抱えております案件に対して、最終のご提案をさせていただきました。
本当にこれが最後です。
提案させて頂いた内容は、ご覧になっていらっしゃいますか。
ハルウララを高知競馬より休養させ、9年の月日が流れました。
本来生きていけない負け続けのサラブレッド、名前ばかり有名になり、騒がれ人々に必要とされたこともつかの間、競馬のセオリーを知らないマスコミのみが踊らされ、競馬関係者にはバカにされながら翻弄され、ハルウララにしてみればサラブレッドとして生まれ、矛盾だらけの辛い日々であったと察します。
私もまた2004年から、なぜかそれまでの”馬を描く”執筆の仕事(出版社や雑誌の編集部)に圧力をかけられ、ホースヒーリングの授業を開始しても妨害され、ネットはお金がらみセクハラがらみの悪口だらけ。・・・そんな中、JRAから広告の企画を・・・と頼まれました。日本中央競馬会土川健之理事長経由で、本城理事が担当。本城理事は二ノ宮調教師の知り合いでもありました。当初は馬事公苑での馬の預託とホースセラピーの授業を御願いしたところ、「安西さんには競馬場に人が来て、馬券が売れる企画をぜひ・・・・」ということで私は本を書く前は、コピーライターとして広告制作会社を設立したこともあり、プランナー、デザイナーなど集めJRAへの広告案を提出しました。JRAはディープインパクトとのコラボ案に関心を示された。企画は一旦は妨害がはいってできなくなり、すぐに金田裕之理事、二ノ宮敬宇調教師により馬を北海道に移動させようという話になり、途中まで実行されているにも関わらず経費のみ請求され、日本中央競馬会からの企画料は支払われていません。あげく、私の会社を倒産、私が破産させて、ハルウララを渡せ・・・と。
しかし、よく考えれば、すでにその時点で私は、「馬の命を助けてくれてありがとう・」・という人たちの寄付と、現在のハルウララオーナー(一人はサンデーサラブレッドクラブの会員であることはお伝えしています)の気持ち(出資)だけで成り立っていました。私が破産したところでハルウララは債権者のものにはならなかった・・・でも、仕事だけは各方面との約束を守り忠実にこなしてきた私にとって破産を強要されることは死刑宣告のように恐ろしいことでした。ハルウララだけではない、あと3頭大事な命を養うために寄付を集めいていた私としては・・・自分が破産したら馬はどうなっちゃうの?恐怖のあまりアタマがおかしくなりそうでした。
どうしてハルウララを高知競馬から休養させただけで、しかも日本国内の話なのにそんなことになったのか、勝巳社長は、本当はその理由をよくご存知でいらっしゃいます。
勝巳社長、あなたはこの件に大いに関係がおありです。
昨日私の息子に薦められ、スピールンスピルバーグの「シンドラーのリスト」を観ました。戦争はどこまでも人間の悪い面をことさらに引き出す・・・ナチスドイツの残酷で醜悪なユダヤ人への仕打ち・・・でも、たった一人の人間の命を助ける人が、世界を救う・・・とスピルバーグは言っている・・・実在の人物オスカー・シンドラーは、最初はナチス側の戦争を利用して儲けに走る、凄腕のビジネスマンでした。
4年前、フジテレビのニッポン人の忘れ物・・・(とくダネ!笠井アナウンサーが私の事務所に突如現れて、びっくりしましたが)あの台本は、勝巳社長が作ってくださったものです。私の企画に協力してくれていた当時私が敬愛していた二ノ宮敬宇調教師は、後になってそれを知って非常に驚いて、私に怒りました。凱旋門賞で二度も2着させる腕をもつ二ノ宮調教師は、馬が売れなくて喘いでいた日高地方を、ハルウララを使って(日高で繁殖させて)親子のツーショットを見せ人を呼んで日高地方馬産地の活性化をしたかったのでは・・・。最初からその意図を伝えてくださればいいものを・・・
ハルウララはディープインパクトの仔を産めなかったから、勝巳社長はもうご興味はないですか?たしかその後もノーザンホースパークのスタッフから「ハルウララパブリシティ権を預からせてもらえるのか」と尋ねられ、こちらは何度も交渉した経緯があります。
何億ものビジネスで馬を生産し売買なさる、名実ともに日本のマーケティングブリーダーズとしてのトップが、ハルウララ一頭の命の解決・馬の仕事を作ることをおできにならないわけはない。
どうか、勝巳社長のお力で、JRAには企画(競馬場使用の震災復興コンサート、ハルウララお披露目、来春高知競馬まで)の買取と、速やかに過去3年の企画料過剰経費を支払わせていただきましたなら、ハルウララパブリシティ権を企画付で高知にお返ししますので、私がJRAへの企画の中で勝巳社長に作らせていただいたハルウララの歌「春が来るから」のGOサインを出してください。ハルウララに癒しの馬として、仕事を与えてください。
すべての馬をお救いください・・・などとは申しておりません。
高知競馬が競馬場の生き残りをかけ輩出してしまった、競馬のセオリーでは本来ありえない負け続けのスターホースが、再度生きていくための仕事を、お作りになるお力、勝巳社長、あなたはお持ちのはずです。
もう一度申します。勝巳社長、あなたにはそのお力はおありになるのではないですか?
ここまで書いてきて、私はとても奇妙なことに気がつきました。
もともとディープインパクトとのコラボの広告案は、「ディープインパクト、ハルウララ、どっちもかわいい」そんなコピーだった。このコピーには、私なりの中央地方の壁を越えて・・・競馬法の異なる中央地方の壁をなくさないと、地方競馬が潰れちゃう・・・地方競馬で働く馬たちへの思いをこめていた。ところが、血統評論家の白井透さんがハルウララにディープの種付けをしたい・・・ということを言い出してから、おそらくそれがJRAの思惑に変わっていったのだ。
ディープインパクトハルウララ「どっちもかわいい」そのプレゼンをしたとき、三好調査役、小畠薫理事、土川副理事長秘書の小林氏がプレゼンを聞きにきてくださって、私が自主プレゼンした広告案を絶賛した。「3年早いんだよね、3年(意味がよくわからなかった)安西さんこれからは、広告案をうちに提案してください、おそらく本は以前ほど売れなくなるだろうから・・・うん、すごい才能だ、馬券売れそうだ・・・」
私は馬産地活性化をふまえ、「命を繋ぐ夢をみよう、それが競馬だから」というスローガンを打ち出して、その一環でJRAが主体でなされるならば高齢ではあったけれどハルウララにディープインパクトをつけるという発想があってもいいのかなと思ったことを記憶している。つまり半信半疑、どうしようもなく・・・だった。
そして「ディープインパクト♡ハルウララ結婚」このコピーを考えたのは私ではない。私が10年も雇っていた洞口朋仁という男性が提案した。
「けっこん・・・」馬に結婚はないだろう、と最初は思ったのだけれど、あくまでヴァーチャルな展開ならば・・・から、勝巳社長、あなたのノーザンホースパークで2頭が会い見えたら素敵だろう・・とまで発想した・・・ではなく、発想させられた。洞口は、ウイクデーは私の事務所、土日は競馬場で私が紹介した田中勝春のバレットをやっていた。「ちょっと、安西さんに、こういう広告の提案をさせてよ」と当時誰かに吹き込まれても不思議ではない。
今にして思えば踊らされたのだな、と思う。ちゃんと謝って清算してもらったら、笑って許せないまでも、馬のための仕事したいのに・・・と思う。
皇太子様の傍らで、心からの素敵な笑顔・・・
ご結婚のパレードのときよりも、可愛らしい表情
先日のオランダ国王の即位式のときの、雅子様
ご自分のキャリアを生かして、
皇太子様と共になさりたいお仕事を、取り戻されたからだ。
村上春樹さん流にいえば、プリンセス雅子の色彩がくっきりと
しっかりと美しく・・・・優雅に輝いて・・・
私もがんばろう、もう一回
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