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ガイジン’s アイ:幸福だった本田とCSKAの関係
2013/05/21 10:32:00
リーグ優勝時は不在、カップ優勝で最後を飾れるか?
ロシアのシーズンが3月に再開されて以来、CSKAモスクワにおける本田圭佑の影響力はやや限定的なものとなった。まずは、「インフルエンザの合併症」とレオニド・スルツキ監督が呼んだミステリアスな体調不良によって1カ月間欠場。日本での治療を経てチームに戻ると、ブラジルのスター選手ヴァグネル・ラヴが彼のポジションに収まっており、主に右のアウトサイドでプレーすることを余儀なくされた。1週間前のロコモティフ・モスクワ戦で軽いケガを負い、日曜日のクバン戦を欠場することもなったのも、どこか納得できるかのような状況だった。その感覚は真実とは限りなく程遠いものだ。最近は不運が続いたとしても、今シーズンの2012年中の部分で本田がCSKAに及ぼしていた強い影響力の価値が損なわれるものではないし、その部分は再開以後よりはるかに長いものだったのだから。2012-13シーズンの30試合のうち19試合までは昨年中に行われた。最初の数試合は問題続きだったとはいえ、その後CSKAが予想を覆して後続を引き離したのはこの時期であり、本田はまさにその中心として活躍していた。
その時点では、ヴァグネル・ラヴがフラメンゴからのフリー移籍でCSKAに戻って来ると予想していた者は誰もいなかった。スルツキ監督が抱えていた最大の問題は、昨季のリーグ得点王ドゥンビア・セイドゥの負傷であり、その代役を獲得できない点にあった。アンデルレヒトのアルゼンチン人FWマティアス・スアレスの獲得が一旦は決まったかに見えたが、メディカルチェックをパスすることができなかった。CSKAはリーダーを必要としており、そのリーダーとなったのが本田だった。
本田は2012年内に行われた今季の19試合すべてに先発出場。チームの攻撃陣で最も安定した活躍を見せていた選手だった。8月にはアウェーでアムカルに1-3、ホームでゼニト・サンクトペテルブルクにも1-3と連敗を喫したCSKAだが、そこでも本田は奮闘し、両試合でゴールを記録している。スルツキ監督に残された唯一の選択肢として、若いナイジェリア人ウインガーのアーメド・ムサがCFに起用されたが、本田は彼がそのポジションにうまく馴染むのを助けていた。
2人のコンビが特に輝きを放ったのは10月のスパルタクとのダービーだった。本田のアシストからムサが先制点を記録し、逆にムサのアシストから本田が決めて2-0で勝利。この試合はあらゆる点できわめて大きな意味を持ったものだった。おそらくは、今季が自分たちのシーズンになるかもしれないとCSKAが信じ始めた瞬間だったのではないだろうか。
昨シーズンは非常に苦い終わり方を迎えていたことを忘れてはならない。CSKAは最終節のアウェーでのルビン・カザン戦で、本田のゴールで先制しながらも逆転負け。この結果最終順位で3位に後退し、チャンピオンズリーグ(CL)出場権を逃してしまった。非常に落胆したスルツキ監督は直後にクラブに対して辞意を伝えたが、CSKAにとっては幸いなことに、エフゲニー・ギネル会長はこれを受理しなかった。結局留任したスルツキは、ヨーロッパリーグ予選でAIKストックホルムに残念な敗戦を喫した後も続投。その間本田は常に監督の仕事を助けてきた。
本田はスルツキがCSKAで最初に獲得した選手だった。2009年10月に就任した監督は、その2カ月後にVVVフェンロとの取引を成立させ、本田はロシアリーグでプレーする史上初の日本人選手となった。今年の夏には売却されることになる可能性が高いと見られるが、関係者のすべてが得をしてきたと言っていいだろう。CSKAは自軍のスター選手である彼に現在約2000万ユーロという価格を設定している。12月に契約満了となる選手にこの満額が支払われることにはならなかったとしても、3年半前にVVVに支払った600万ユーロに比べれば十分な利益を得られたことになるのは間違いない。本田自身もCSKAで名を上げることに成功し、良いチームメートや優れた監督に恵まれてプロ選手として成長してきた。
彼の影響力の大きさは加入直後から感じられた。ロシアリーグのデビュー戦となった2010年3月12日のアムカル戦では終了間際の90分に決勝ゴールを記録している。だが、CSKAでの最初の試合はそれよりも2週間前。CLベスト16のセビージャ戦が行われ、1-1で引き分けていた。スペインで行われたセカンドレグでの本田の活躍ぶりは、CSKAのファンであれば決して忘れることはないだろう。トマシュ・ネチドの1点目をアシストしたのに続いて、GKを驚かせる見事なFKで決勝点を記録してみせた。喜びのあまり跳び上がったスルツキは、試合終了のホイッスルを聞くと日本から来た友人を強く抱きしめていた。クラブ史上初の8強進出を果たしたCSKAの成功に、本田の果たした役割はきわめて大きかった。
ワールドカップでも成功を収めた後、少々疲労もあったとはいえ、本田は2010年のシーズンを通してCSKAの最高の選手の一人であり続けた。チームはこのシーズンを2位で終えている。2011年3月から12年5月まで続く異例の長丁場となったその次のシーズンには、本田は初めての大きなケガを経験することになる。秋には3カ月近い離脱を余儀なくされ、チーム内での立場もそれまでほど確かなものではなくなった。それでもシーズンを通して8ゴールを記録し、夏には欧州トップクラスのリーグのチームが彼の獲得を試みる。最も獲得に近づいたのはラツィオだったが、結局本田は、クラブと監督からの非常に高い評価を受けるモスクワにとどまることになった。移籍が成立しなかったことによる落胆が彼のパフォーマンスにネガティブな影響をもたらすのではないかとの疑念もあったが、これは単純に間違っていた。この苦しい時に、本田は力を発揮してみせる。スルツキ監督は中盤のより中央の位置での役割を彼に与え、本田はチームのメインのプレーメーカーとしてさらに花開くことになった。
今季前半戦の19試合で、本田は7ゴールと5アシストを記録。この間CSKAは33ゴールを記録しており、本田はチームの得点の3分の1以上に直接的に関与したことになる。春に数試合を欠場した後でも、チームメートに作り出したチャンスの数が60回という数字は、リーグ全体の中でトップに位置している。かなりの順調なペースでチャンスを生み出しており、2006年以来となるタイトルを獲得することができたCSKAは本田の素晴らしいプレーに感謝しなければならない。本田自身にとっても、キャリアの中で初の1部リーグ優勝となった。
『Sportbox.ru』の評論家アンドレイ・コレスニコフ氏は、本田について次のように評している。
「今季は本田にとってロシアでのベストシーズンだった。クラブの持つ価値観が彼のメンタリティーに非常に近いということを、本田は全面的に理解することができた。確かに春にはあまりプレーすることができなかったが、今回優勝争いは主に秋の時点で決まったことを忘れてはならない。その頃の彼はCSKAの攻撃の中心人物だった」
『Bobsoccer』のデニス・ロマンツォフ記者も、今季の本田の貢献度の高さについて述べた。
「本田はチームが最も苦しい時期のリーダーだった。ドゥンビアが負傷し、ムサがまだ良いプレーをできず、ジャゴエフが欠けている時、本田はそこにいて、7ゴール5アシストを生み出した。4月に復帰した時には万全の状態ではなかったが、それでもチームに貢献することができた。スパルタク戦では2点差から追いついてのドローを助け、ロコモティフを粉砕した際にも力を見せた。スルツキ監督の新たなゲームプランにおいては、本田はCSKAの攻撃の中心的なオーガナイザーだった。2010年の春にプレーしていた位置だ」
土曜日の試合でついにタイトル獲得が決した時、本田がピッチ上にいなかったのは残念なことだ。だがスルツキ監督は、6月1日に行われるカップ決勝のアンジ・マハチカラ戦までには彼がプレーできる状態となることを示唆している。本田にとってはそれがロシアでの最後の試合となり、新たな冒険に旅立つことになる可能性は十分にありそうだ。国内2冠で締めくくることができれば素晴らしいことだし、カップを掲げる時に本田がセレモニーの中心にいれば最高だろう。彼はCSKAのために、間違いなくその立場にふさわしいだけの働きをしてきたのだから。
文/ミハイル・ヨーヒン
ロシアと東欧を専門とする国際サッカージャーナリスト。寄稿するメディアは『Goal.com』『ESPN』など
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