震災後に都内で行われたインタビュー。普段はたくさんの言葉を紡ぎ、聞き手を楽しませる三田だが、被災者を思ってか言葉が出てこない。
「本当に、ねぇ…」
記者を見つめる瞳には、涙が浮かんでいた。
地震発生時は都内の自宅マンションでお風呂に入っていた。連日7〜8時間に及ぶけいこの疲れで体調を崩し、唯一取った休養日だった。
「なんとか着替えて、避難できるように荷物をまとめたりしましたが、ガラス製品が一斉に倒れて壊れていて、触って指を切りました」
不安な状況が続く中、公演を開催するかどうか悩んだが、「『私は大丈夫』っていう姿を見せることが、みんなを安心させる無言の励ましになるはず」と、ステージに立つことを決意。収益金を全額寄付するチャリティー公演として行われることも決まった。
愛に生き、愛を歌い続けたピアフの生涯を、歌だけでなく芝居、朗読を融合させて描く。若手時代に出演作の主題歌を歌ったり、2003年には憧れのシャンソン歌手、故石井好子さんに誘われて歌声を披露したことはあったが、コンサートを開くのは初めてだ。
企画が出たとき、はじめは「自分にはできるわけない」と思ったという。しかし、副題にもなっているピアフの楽曲「いいえ、私は後悔しない」の歌詞を見て気持ちが変わった。
♪傷ついていろんなことをやってきたけど、何があろうと私は全部精算してきた。だから後悔しないし、前へ向いていく−
1960年に映画「殺られてたまるか」で女優デビュー後、その確かな演技力でトップの座へ上り詰めた。が、96年には子宮がんを患い、さらには次男の元俳優、高橋祐也さん(31)が98、00、07年と3度、事件を起こし逮捕された。三田はそれでもくじけず、前を向いて生きてきた。
どんなに悲しくても、前向きな言葉を歌い続けたピアフに自身を重ね、「自分が思っていた言葉が詞の中に入っていたんです。私も多少の平穏ではない人生をいただいてくぐり抜けてきたから、歌えるかな」と、作品との出会いに運命を感じ、挑戦することに決めた。
今年、古希を迎えるが、チャレンジ精神は衰えない。会場も劇場ではなく、あえて初挑戦となるライブハウスを選んだ。ステージでは「愛の賛歌」など12曲を披露する。休憩を除いても2時間以上出ずっぱりだ。
「練習中に帯状疱疹(ほうしん)になったり、肋骨あたりの筋肉をひねったりと、もう満身創痍」と笑いながらも、「やるっきゃない」と、51年目のスタートに力を込める。
半世紀もの間、走り続けてこられた原動力は、「乗り越えなければいけない試練が与えられたこと」と三田。「だから今の日本の苦しみや痛みも、きっと日本をより良くするための基になるんです。今ある命は、前に向けていかなければいけないの」と続けた。
ファンのため、被災者に勇気を与えるため、三田はステージでメッセージを放ち続ける。
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