寺山修司:あす没後30年 「もっと知って」 きょうから記念フェス−−三沢・記念館 /青森
毎日新聞 2013年05月03日 地方版
県出身で、短歌、詩、小説、演劇、映画など多彩な分野で活躍した寺山修司(1935〜83年)が亡くなり、4日で30年となる。いまなお若者を引きつける寺山だが、「三沢市寺山修司記念館」の佐々木英明館長(64)は「青森では受け入れられてこなかった」と話す。「寺山は特別な人ではない。県民にもっと知ってもらいたい」と佐々木さん。同館では3日から5日まで没後30年の記念フェスティバルを開催する。
少年時代を三沢市で過ごした寺山は、早稲田大在学中の18歳の時に短歌研究新人賞を受賞。31歳の67年に演劇実験室「天井桟敷」を結成。同年には評論集「書を捨てよ、町へ出よう」も刊行された。短歌では「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が有名。
ただ、東京での活動は青森には伝わりにくかった。平内町出身で「天井桟敷」の活動にも参加した佐々木さんは「40年前、寺山の本は青森では手に入らなかった」と振り返る。受け入れらなかった原因のひとつは「作品に触れることが難しかった一方、ゴシップばかりが伝わり、間違った理解をされてきたからではないか」と語る。
だが、現在は寺山の作品は中学校や高校の教科書にも掲載され、死後30年を経ても若者を中心に新しいファンが生まれている。今年2〜3月、東京の世田谷文学館で開かれた企画展「帰ってきた寺山修司」には8412人が来場。担当者は「高校生・大学生が通常の企画展の約3倍だった」と振り返る。
佐々木さんは「寺山は前衛的でアングラで、親しみにくいと思う人もいるかもしれない。でも、素顔の寺山は人なつっこくて、恥ずかしがり屋で、口べた。県民にもっと接してもらい、知ってもらいたい」と語った。
4日は寺山の命日。記念館では午後1時に顕彰文学碑での献花、午後1時10分に作品の朗読がある。献花は誰でも参加できる。午後2時からは寺山が監督する映画でデビューした俳優の三上博史さんがライブをする予定。屋外の記念イベントは参加無料。雨天で館内で行う場合は入館料500円が必要。小中学生は4日は入館料も無料。問い合わせは同館(0176・59・3434)。【伊藤奈々恵】