永井さんは人類の究極目的は生きることだと、なにかの記事で読んだので、気になったので聞いて見ますが、安楽死について永井さんはどう考えているのでしょうか?
私は容認派です。というのも、確か永井さんは価値とは低エントロピーのことだとまた何かの記事で見ましたが、私自身は価値とは単にそれが自分及び人類を幸福にさせるものか不幸にさせるものかどうかという考えだからです。永井さんはシステムの存続に価値を見出しているようですが、私は単に幸福に価値を見出しています。最もこれは永井さんの説を否定させるものではありません。幸福であるためにはまず生きていることが必要条件だからです。死んだら幸福も不幸も価値も何もありません。
というわけで、私はそういう価値観を持っていますので、不幸であり続けるシステムが存続することを善いことだと思いません。ですので、他に解決策が何もない場合、安楽死は認められるべきものです。
あと、これも聞きたいのですが、意識を持ち、不幸な感情を強く持ち、だがシステムを存続させる意味においては達成している、そんなようなものがいたとしたら、永井さんはそれに対してどういう評価を下しますか?
例えば人類を未曾有の危機が襲って、生きることに対して極めて貪欲な人意外は全員自殺してしまったとか、生きていくだけでも辛い環境とか、そういうような状況などです。人類には多様性がありますし、割に合わない行為をする人は見渡せば大勢います。だから私はどんなに不幸な状況が続こうと、そういった割に合わない行為をする人がかならず、例え生きること自体が苦痛であるような世界になったとしても生きようとする人がいて、生き延び、文明は続いていく、つまりシステムは存続し続けるのではないかと前から思っているのですが。
あくまで理論上のものですが、そういうシステムがあった場合、永井さんはそんなにも頑張ってシステムを存続させて素晴らしいと思うのかそれとも不幸なのに生き続けるなんて馬鹿みたいだと思うのか聞いてみたいです。それとも特になんの感想もありませんか。