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世迷言

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☆★☆★2013年05月19日付

 「兄弟は他人の始まり」というたとえは悲しいかな時に現実となる。肉親同士ですら憎悪することになるその四文字表現を「近親憎悪」というなら、隣人との場合は「近隣憎悪」とでも呼ぼうか。中韓の最近における反日感情はそんな様相を呈している▼両国との対立は尖閣と竹島という領土問題が主だが、いずれも日本固有の領土に対し途中から領有権を主張しだし、韓国にいたっては実効支配という実力行使まで断行してはばからない。だからこそ、これは国際司法に訴えて黒白をつけようという日本の主張に対し、不利になることが明白だから取り合わないという態度は日本の用語で「ごり押し」という▼韓国の朴槿恵新大統領が訪米しオバマ大統領に対して「日本は歴史認識が足りない」と米国の加勢を促したのには驚いたが、いかにも日本の統治は責められても、韓国のためにインフラを整備したり教育環境を充実させたという事実まで否定しないまでも、無視してそれも歴史認識というのでは勝手すぎよう▼安倍首相の再登板を中韓とも「右傾化」と決め付けているが、「あんたからだけはそれを言われたくない」というのが日本人の素直な反応で、小生など日本は右傾どころかようやく普通の国になったと喜んでいるのである▼中韓ともそんなに日本が憎いならいっそ国交断絶をしたらよかろう。鎖国で平和を保ってきた歴史のある強みでこちらは一向に構わないのである。近隣共に相和すためには悪口雑言など慎み、新しい友好の一歩を踏み出すべきだろう。

☆★☆★2013年05月18日付

 謀(計略)は密をもってよしとす。その常識通り政府が密使として飯島勲内閣官房参与を北朝鮮へ送り込んだことについて、米国や韓国が「知らなかった。事前説明がなかった」と不満をもらすのはお門違いというか的外れというか…▼飯島氏が平壌の空港に着いた様子をテレビで見て、これが政府の拉致問題解決に向けたシグナルであることを小生は?額面通り?に受け取った。国内の一部報道では、政府があくまで隠密裡に事を運ぼうとしたのに北朝鮮側が?暴露?したため水面下での交渉が困難になったと見るむきもある―としているが、否、これは筋書き通りだろう▼拉致被害者の帰還実現のためにはわらにでもすがりたい気持ちの留守家族は、それこそ政府の一挙手一投足を注視しているはずである。それに対し「やれることはなんでもやる」という安倍首相の言行一致への期待に応えて放ったこれがその最初のジャブであろう▼ただし相手は名にし負う忍法使い。これまで日米中韓露と5カ国を手玉にとってさんざん煮え湯を呑ませてきた?実績?からして一筋縄では手に負えまいとこちらも?手練れ?を用意したというのが第1幕▼北朝鮮が飯島氏を受け入れた背景は十二分に理解できるから、おそらくあとはどのような?交換条件?が出されるか、それが第2幕となるだろうか。ただし拉致被害者全員を速やかに解放するという前提なしには一歩たりとも妥協してはなるまい。日本外交の勝利という戦後初?の体験がかかるこの交渉の推移を見守りたい。

☆★☆★2013年05月17日付

 これは医学の進歩というものだろうか?と複雑な思いにかられた。米女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが、遺伝子検査で乳がんになる確率が高いと診断され、その予防のため両乳房を切除したというテレビニュースを見てのことである▼アンジェリーナさんは、彼女の母親が約10年間がんと闘い、56歳の若さで亡くなっていることから、幼い子どもたちの将来を案じて遺伝子検査を受けたところ乳がんにかかる確率が87%、卵巣がんが50%との指摘を受けた。乳がんは遺伝的要因があるとされるだけに、母親としての責務を果たすべき道を彼女は選んだ▼迷いに迷った上での選択だったろうが、女性としてむしろ生命よりも大事なものを失うという恐怖と悲しみとを乗りこえて手術を受けたその心境を思いやってこちらもやるせない気持ちになった。しかし同じ立場になったら自分はどうするか?と自問してみた▼母親というより女性として生きたいと考えれば、このような決断はできまい。できるだけ長く子どもたちに付き添って成長を見守りたいという彼女の選択を誰も非難はできないだろうし、むしろ勇気ある決断と賞賛されるかもしれない。だが、そう単純に割り切れぬものもある▼小生なら乳がんにかからない27%の確率の方にかけるだろう。手術を受ける勇気うんぬん以前に女性であり続けたいと思うはずだからである。それはともかく、医学の進歩がもたらした「予知技術」が必ずしも幸福とは結びつかないこともあるこのケースには考えさせられる。

☆★☆★2013年05月16日付

 拉致被害者一部の帰国を実現させた小泉内閣の秘書官を務め、小泉首相退陣後退官はしたもののその幅広い人脈が買われて第2次安倍内閣で内閣官房参与に迎えられた飯島勲氏が14日、北朝鮮を訪れていたというニュースは、そよと風が吹いた趣きがある▼むろん拉致被害者問題に関してのことである。飯島氏の訪朝が物見遊山でないことだけは確かで、これは明らかに安倍首相の命を受けてのことと思われる。平壌では北朝鮮外務省アジア局副局長が出迎えており、「特命全権大使」を迎えるにふさわしい人物を出迎えに宛てたと見てよかろう▼同氏が18日まで滞在の予定というのは、訪朝の目的が詰めに時間を要し、会談が難航する想定を十分に織り込んでのことと思われる。つまり安倍首相が「私が最高責任者であるうちにきちんと問題を解決したいと決意している」と表明しているその実行のためタフネゴシエーターを配したのであろう▼退官後の同氏は、民間人となった気楽さもあってか主とする評論活動でも歯に衣を着せぬ物言いで人気があり、第1次安倍内閣が「仲良し内閣」とヤユされたその反省から、安倍首相がコワモテの同氏を引き締め役として登用したものと見られるが、今回の特使扱いは、小泉内閣における拉致問題処理の実績が評価されたのだろう▼拉致被害者家族の悲痛な訴えを聞くたび、政治の無力さを知らされる思いだったが、安倍首相が本当に決意したとしたら、今度こそ大きな変化が起こるかもしれない。その道筋がやがて見えそうだ。

☆★☆★2013年05月15日付

 同じ場所なのに10日間というわずかな経時差で景色は一変していた。そして四季を持つ日本のこの微妙な移ろいに接することのできる幸せをしばしかみしめた▼盛岡市に出かけた4月末。すでに当地は桜が散りかけていたが同市は他より一足早い石割桜がようやく満開となり、これからが本番という段階だった。しかし途中見る山々はまだ冬の装いで冷え冷えとしている。ところがその10日後奥州市へ向かう車中からのぞく同じ山々はなんと新緑に変じているではないか▼モノトーンそのものだった山野の景色がパステルを指先でなぞってぼかしを入れたような淡い色調に染まるこの時期を日本人ひとしく心待ちにしているのは、寒さからようやく逃れられる開放感にたっぷりと浸れるためか、それとも細胞まで活性化されるためか▼当地はすでに田植えを終わったか盛んに田植え中だったのに対し、奥州市に入るとまだ代掻きの最中だったりそれ以前の状態で、いやでも温度差、気候差を実感する。なにせ気仙と奥州の境にある種山高原にはまだ一部に残雪が認められた。その雪ともしばらくはお別れだ▼このようにわれわれは四季を区切ってそれぞれの持ち味を楽しむことができる。だからこそ、その時々の人々はそのことに感謝し、自然の神々に対して心からの祈りを、歌を捧げてきたのである。それなのに、祈りも捧げず詩歌もたしなまずにもっぱら凡俗に溺れてきた小生など四季を愛でる資格などないのだが、それを許してくれるのがこの国の大らかさなのだ。

☆★☆★2013年05月14日付

 小紙の「なんだれかんだれ梅下村塾」でおなじみの元WHOジュネーブ本部感染対策次長の梅内拓生さんが現役時代、各国から集まった部下たちから俳句について問われ、「日本人は何より先に日本文化をしっかり学んでおくべきだ」と痛感しての提言は若い世代に必聴だろう▼俳句という専門外の領域についてまさか外国人から尋ねられるとは思わなかった梅内さんが、さてと戸惑う場面を想像して一口に国際化というが、それはただ外国語に堪能で一般常識を備えただけでは収まらないことを改めて知らされる思いがした▼国際化時代にふさわしい人間像を育てるためにまずは小学校から英語教育をという主張をよく聞くが、一理はあってもそれがすべてではない。外国語をぺらぺら話せても、自国の歴史や文化について何も知らなかったらそれは国際人どころか、素養も知識もない軽薄な人間としか映るまい▼実際、海外で日本に関するそうした質問をされた場合、的確に答えられるかどうか小生はまったく自信がないから「国家の品格」を書いた数学者の藤原正彦さんが「まずは国語を磨け」と説いていることにうなずくばかりだが、ここで言う国語とは教養と同義であろう▼文藝春秋6月号で、日本に帰化したドナルド・キーンさんがジャーナリストの徳岡孝夫さんと対談していたが、元米国人のキーンさんの日本文学に対する深い造詣にはただただ感心し、それにひきかえわが身はと「おしょすく(はずかしく)」なって、逃げ出したくなるのであった。

☆★☆★2013年05月12日付

 東日本大震災によって家や仕事を失った人々が外部へ移り住むようになって気仙地区は著しい人口減少の危機を迎えている。これはコミュニティの構成にとっても地域経済にとっても大きなマイナスだが、それだけに「また戻りたい」という気持ちを起こさせるだけの「地磁気」をため込む必要があろう▼震災前と現在とでは6千人あまりの人口流出を余儀なくされた地域の将来性を考えると、いや考えるまでもなくこれは少子高齢化社会にもう一つ負の要素を重ねることにつながる。それでなくとも県央や内陸部と比べて基礎体力の弱い沿岸部にとって、震災の一撃は致命傷になりかねないのである▼永住を前提とした外部への転出に対する妙案はもはや至難事だろうが、緊急避難的な移住はいずれ地元回帰の確率が高いと見てよかろう。しかしだからといって手をこまぬいていては心変わりさせる可能性をなしとしないのである。「カムバック!」と呼びかけられるだけの用意を地元は怠ってなるまい▼北上市への一時避難者に「あっちは便利だし、安心だし、地価も安いから?いいばりいっそ(いいことずくめ)?だべもの」と言うと「初めのうちはそうも思ったが、やはり海が見えないと落ち着かない」という返事。ここに「帰りなんいざ」のキーワードがある▼海によって失われたものは、海によって返してもらうのである。安心な高台からいつも海が見られるような幸運は一部にしか望めないにしても、そこに海がある、良かったという環境の整備を急ぎたい。

☆★☆★2013年05月11日付

 ブラジル・リオデジャネイロ沖の大西洋にある海底台地で、陸地でしか組成されない花こう岩が大量に見つかり、かつて大西洋上に大陸があったことが判明したという話題はロマンをかき立てすぎて仕事に手が付かない▼海洋研究開発機構の有人潜水調査船「しんかい6500」が「リオグランデ海膨」と呼ばれる海底台地で水深910?の地点に高さ、幅それぞれ約10?の岩の崖を発見、撮影した映像を分析した結果、花こう岩であることが確認された▼花こう岩は陸上でしか組成されないことから、次のような推理が組み立てられている。いわく、このあたりは5千万年前までは陸地であったものが、なんらかの物理的条件が重なって数百万年後海に沈んだらしいと。同海膨全体の幅は約千?で、1億年以上前に南米大陸とアフリカ大陸が分裂した際、残った大陸の一部とみられている▼発見された岩と南米、アフリカ両大陸の岩とを比較すれば地球に起きた巨大な地殻変動を探るよすがとなるし、沈んだ大陸にどんな物があったかを発見する楽しみも出てくるだろう。地球物理学の好個な研究対象として多くが血眼になろう▼海に没した大陸と言えば、伝説の「アトランティス大陸」があり、もしその存在が事実だとしたらそこにどんな海底都市があったのだろうかと想像を楽しむ知的ゲームが存在し続けている。残念ながら5千万年前にさかのぼるのでは化石が出てくるのが関の山だが、それでも沈没大陸から何が出てくるか、考えるだけでもわくわくすまいか。

☆★☆★2013年05月10日付

 NHKの朝ドラ「あまちゃん」の中で、主人公の祖父が年に10日ほどしか帰れない遠洋漁業になぜ従事するのかと理由を問われて、世界中を見て歩けることを挙げ、それは「古里の良さを再確認するため」でもあると語るところが泣かせる▼そういう心証になるのが旅行から帰って旅装を解く時だろう。あれこれ見て楽しんで満足したはずなのに「ああ、やっぱり家が一番いいなぁ」という矛盾をどう説明したらいいのだろうか。それは旅はあくまで旅であり、落ち着く場所ではないという結論が自然と導き出された結果だろう▼それがどんなに憧れた外国でも結果は同じで、帰国すれば「なんだかんだ言っても日本ほどいい所はない」という声に落ち着く。むろんそれは人それぞれで、断定も強弁もできるものではないが、生まれ育った場所の匂い、空気はDNAの一番奥深くにしまわれるのかもしれない▼仲間たちの飲み会で「日本に生まれて良かった」という?最終確認?に達したのはそのDNAだけではなく、生活するための要素がこれほど潤沢に恵まれた国はそうあるまいと思われるからである。まず水、空気が不足も汚染もされておらず、食べ物の種類も豊富、調理法も多彩。治安もよく、法律もよく守られている。そしてモラルの高さ▼ネズミ、ミンク、キツネなどの肉を混ぜて羊肉として売っていた中国のグループが捕まったのはまさに「羊頭狗肉」の国ならではのことだが、そこまでしなくても済む国に住んでいるだけでも感謝しなければなるまい。

☆★☆★2013年05月09日付

 千葉県松戸市に「すぐやる課」ができた当時、全国ではこの話題でもちきりだった。同市ではこれが追い風となって多くの事業が順風満帆となったが、それを面白く思わない住民もまたいたというのも世の中である▼市長と対立する革新政党の議員もそんな一人で、議会の一般質問でこう質したという。「市道の舗装化率が進んだことはいいが、それによって事故が増えたことを市長はどう思うか?」市長が困る何か弱点はないかと重箱の隅をつついたらこんな?問題?が見つかったらしい▼大昔のこんな話を思い出したのは、7日行われた参院予算委員会で野党から、円安に伴う輸入品の物価高で食料品や燃料価格が高騰し、生活が苦しくなったという批判が相次いだという記事を読んでのことである。この問題を取り上げるだけならまさしく野党の指摘する通りだが、円高で日本経済が苦しんでいたことも想起しなければ不公平というものである▼円高と円安の関係は、下駄屋の息子と傘屋の息子を持った母親の心情にたとえるべきだと以前に書いたが、双方共に利がなくばどちらかにも交互に利があるものと考えるにしくはないのである。円高当時小生は「これは原材料が安く輸入できる」と考え、円への高い与信を評価すべきと書いてきた▼負け惜しみもあったが、円高にしろ円安にしろその状況に対応する道はどこかにあるのである。円高のメリットを円安の補完に役立てる方法はないかと考えれば、道は自ずから開けるはず。それをするのが政治だろう。


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