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【脈々と】 〜根付き広がる系譜〜

[3]加賀屋流 もてなしの心 何よりも お客さま

玄関先で宿泊客を迎える(左から)大女将の真弓さん、中女将の明子さん、若女将の絵里香さん=七尾市和倉温泉で

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満足のため最上の心配り

 女将(おかみ)が一つ一つの客室に顔を出すあいさつ回りは、七尾市和倉温泉の旅館加賀屋が始まりだといわれる。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」の総合一位を三十二年連続で受賞した加賀屋のもてなしの礎を築いたのが、会長小田禎彦(さだひこ)(71)の母孝(たか)だった。

小田孝さん(加賀屋提供)

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 加賀屋は一九〇六(明治三十九)年に創業した。孝は二代目與之正(よしまさ)に嫁いだ。自伝には、失敗を重ね、客から叱られた経験から「お客さん一人残らずに、ちゃんと、お出迎えとお見送りをしなければ…」と、自身を奮い立たせたエピソードがある。

 また、あいさつ回りは、当時の県知事が一人一人にお酌をしながら丁寧にあいさつをする姿を見た孝が「あんな、えらい人がこまめに…」と感心したことから始まったことも書かれている。

 何よりも「お客さまの満足」を優先し、「できません」とは言わない。できないことに対しても、ベストを尽くす。そんな孝の下で、禎彦の妻で大女将の真弓(73)は修業を積んだ。

 あいさつ回りでは、宿泊客の顔色、終わった料理は下げてあるのか、花は枯れていないか、掛け軸や額は曲がっていないか、障子が破れていないか。客室という密室の空間の隅々まで目を配る。孝を見て、初めは「何で短い時間ですぐに分かるんだろう」と思っていた真弓も、女将となって五十年の今、分かるようになった。

 真弓は女将の仕事を「舞台上の黒子役」に例える。宿泊客をもてなす主役は、あくまでも各部屋に一人付く客室係。「客室係には笑顔でサービスをしてほしい。女将は目立ちすぎてはいけない」

 真弓が孝を手本にしたように、中女将の長谷川明子(48)と若女将の小田絵里香(38)もまた、真弓を手本とする。

 禎彦と真弓との長女明子は、大学卒業後、米国で宝石鑑定士の勉強をして、一九九〇年に帰国。朝昼晩と働く母の姿を見て、「親孝行をしたい」と手伝い始めた。

 絵里香は明子の弟で、副社長を務める長男與之彦(43)と二〇〇四年に結婚。大手航空会社の客室乗務員から、未知なる旅館の世界に飛び込んだ。

さち子さん

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 二人はそれぞれ、真弓に付きっきりとなり、女将業を学んだ。客室係のことを考え、助ける。「謝ることは女将の仕事」と話す真弓を習い、宿泊客からのクレームを正面から受け止める。「母と同じ目線で見て、考えられるように」と、気を配る。

 孝が築いた「おもてなしの心」は一〇年十二月、海を越えた。台湾・北投温泉で「日勝生加賀屋」として日本旅館で初めての海外進出。当初の九カ月間、七十人の教育を任されたベテラン客室係のさち子(70)は、「加賀屋」の看板に泥を塗らせまいと決意。「私がこれまで身に付けてきたもの全てを伝え、形にした」。オープンして一年余りがたつ今、加賀屋には、台湾で受けたサービスに感銘したという宿泊客もやって来る。

上野翔平さん

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 一一年には初となる男性の「もてなし係」が生まれた。金沢市出身の上野翔平(19)は、客室係と合わせ、総勢百三十人の女性の中で「自分なりのもてなし方を見つけたい」と話す。

 創業百六年。収容人員三十人だった旅館は、千四百人を収容する大型旅館へと姿を変えた。だが、孝が築き、受け継がれる「お客さまの満足」を第一とする精神だけは、今後も変わることはない。 =倉形友理

 (敬称略)

 

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