工業化への道は農業衰退の道ではないか、というのは、実は日本人の思い込みにすぎません。
今、アジア諸国が目指しているのは、簡単に言えば「より工業化して豊かになろう」ということです。第2次世界大戦後、私たち日本人がたどってきたのと同じ道です。
ただし、日本が明治維新以来100年以上をかけて創り上げてきたその道を、アジア諸国は50年かそこいらの短い時間で急速に駆け抜けようとしているわけなんですね。
ドイツのビスマルクの言葉に、政治家は政治の流れを作るのではなく、時代の流れに乗って舵取りをするのだ、というものがあります。
ビスマルクがどんなに優れた政治家であろうと、19世紀の欧州の大きな流れを1人の力で変えることはできない。けれども、時代がどの方向に流れているかを的確に読めれば、船がスムーズに動くために舵取りすることができる…そういうことでしょう。
今の日本は、自分たちが属しているアジアの大きな潮流に乗ることができていません。政官財のトップたちは間違った国家戦略を立てています。アジアがどれくらいの勢いで、どんな方向を向いて動いているのか。時代の流れを、的確につかんでいないんですね。
では何をしているのか。現状を直視せず、ただ単に、日本がほかのアジア諸国に対して圧倒的な差を誇っていた時代を懐かしみ、ノスタルジーに甘えているだけです。
農業問題についても同じことが言えます。
バングラデシュのようなアジアの貧しい国では多くの人々が食料不足で困っており、日本の高い農業技術で支援してくれることを願っている…と、いまだにそういう認識でいるわけです。
ところが実際にバングラデシュへと足を運んでみたら、現状は全く違う。むしろコメは大量に取れ過ぎ、安くなって困っているくらいなんですから。
工業化が農業の衰退を招く、農業人口の減少が食料危機をもたらす、というのは日本にはびこる思い込み、幻想ですが、その根底にあるのは、農業政策の誤りです。
日本の農業政策を見てみましょう。
日本の農業従事者は米国の半分の300万人ですが、農地は米国の20分の1以下しかありません。先ほども述べましたが、米国は世界一の農業大国です。
ということはどういうことか。
農業人口が足りないどころではありません。国土の狭い日本にはまだまだ多過ぎるくらいなんですね。
生産性を上げるには就農人数を相対的に減らし、集約型大規模農業に移行することでしょう。これは誰が考えても明らかなことなんですが、農水省は認めたくないんです。そこで、「担い手不足」「後継ぎ問題」といった理由を引っ張り出して、議論自体を避けてしまうんですね。これも一種のノスタルジーです。後継ぎがいなくなったら、やる気のある後継ぎの農家に農地を譲り、そこで効率化すればいいんですよ。
近代化のプロセスは効率を求めること。
単純作業から順番に、人間を機械に置き換えていく。
日本はこれまで工業でそれをやってきたわけですが、農業でもやればいいだけの話なんです。古典的な産業革命と同じ構図です。既に他国はその方向で動いています。
この事実を認めないでいると、日本の農業は何も変われず、衰退をたどるしかありません。ノスタルジーに惑わされることでアジアの現状も見誤り、時代に乗り遅れてしまうでしょう。