アグリッパと「オカルト哲学」


 アグリッパの魔術思想については、彼の代表的著書「オカルト哲学」、これに尽きる。
 この書物は、Llewellyn社より、「The three books of Occult Philosophy」という題で英訳本が手に入る。

 この本は1510年に書き上げられ、初版本は1531年に出たらしい。「らしい」というのは、初版本には日付が入っていないからである。日付の入った版は、1533年に出ている。
 アグリッパは論争好きの学者で、それゆえにトラブルの絶えなかった人物ではあるが、この本は攻撃的な内容ではない。極めて冷静な知識を淡々と語る内容である。
 これは、彼の師トリテミウスより受け継いだ思想を、百科全書的にまとめあげた物である。事実、この本は、トルテミウスに献辞されている。
 ピーコによってユダヤ教からキリスト教に取り込まれたカバラは、ロイヒリンによって補完、体系化される。そして、このカバラを、ルネサンス期の主流派であった自然魔術とは区別し、ユダヤ教カバラの魔術すら取り込み、カバラ魔術として完成させたのがトルテミウスであり、彼の意志を継いだのが、アグリッパである。
 カバラ魔術の万物照応の思想を持ったアグリッパは言う。あらゆる宗教的伝統は一致する。したがって聖書と他の宗教の融合は可能である。いや、それだけではない。宗教以外の学問とも融合は可能である。だからこそ、魔術に手を染める者は、博識でなければならぬ。特に神学、自然学、数学は重要であり、この3つの学問に通暁せねばならぬ、という。
 だが、こうした考えは、当時あっては非常な危険思想であった。フィチーノにせよポルタにせよ、彼以前の自然魔術師達は、キリスト教の枠内だけで魔術を論じ、肯定しようとした。だが、アグリッパはキリスト教徒を自称し、信仰心を説きながらも、その思想はキリスト教の枠をあきらかに越えていた。

 「オカルト哲学」は、3部構成になっている。
 第一の書は、「自然魔術」を扱っている。第2の書では「数学的魔術」を取り扱い、第3の書では「儀式魔術」について語られる。

 もちろん、第一の書の「自然魔術」では、ポルタやフィチーノの主張とほぼ同様の主張が成される。だが、その内容は、より発展しており、体系化が成されている。そして、彼らが思弁的・哲学的であったのにたいし、こちらは実践的で非常に明確だ。そして、ポルタやフィチーノなら、びびって書かなかったような事柄も、多く記されている。
 すなわち、四大元素、その他の物質に関わる魔術的パワー。宇宙生命の連鎖的秩序から来る共感と反感。ヘルメス文書の上位のものと下位のものとの関係。七惑星や十二宮などの天体の持つ影響と力。宇宙を支配する神的存在とダイモンを引き寄せる法。毒物、インセンス、軟膏や媚薬、指輪、光と色、予知、虫の知らせ、鳥占い、ジェオマンシー、水占い、風占い、火占い、死者の復活、「名前」を含む言葉の持つ呪力、呪文、ヘブライ文字と占星術との照応などの記述が含まれる。
 確かに、これらの中には、ちょっと「自然魔術」に含めるには疑問なものもあるが、自然魔術からカバラ魔術への過渡的なものゆえ、このようなラインナップをせざるを得なかったのであろう。
 アグリッパは言う。あらゆる事物は、偶然や気まぐれによって決められるものではなく、神によって創り出されたものであり、それゆえに天体や神の体と力に照応し、調和した関係にある。それを理解するのに最も重要な言語がヘブライ語である。ヘブライ文字は、宇宙の構造を非常にうまく表しており、この文字を操作することにより、様々な効力が期待できる。
 ここが、従来の自然魔術と異なった所と言えるだろう。ポルタ達の従来の自然魔術師達は、宇宙の法則を利用しようとしただけなのに対し、アグリッパは、ヘブライ文字や「名前」などを利用することにより、こちらから宇宙に働きかけ、作用させようとしたのである。

 第二の書の「数学魔術」では数秘術が語られる。
 自然の力が世界の事物に対して成すことは、ことごとく、数、大きさ、重さ、調和、運動、光によってなされ、導かれ、支配される、という。
 であるならば、それを解く学問こそが数学であるというわけだ。
 例えば、アリストテレスの著書に現れる自動人形や、もの言うヘルメスの彫像、空飛ぶ木製鳩などは、こうした知識によって作り出されたものであるという。
 数学的な考え方は、自然学的な考え方よりも「形式的」である。言い換えるなら、気まぐれで曖昧な「物質」よりも、明確で確固たる「概念」の方が、理解しやすく真実を見つけ出しやすい。これを現代科学の「数値化」と比較するのは、うがちすぎであろうか。
 ともあれ、彼は、こうした数を用いたシンボリズムによって、様々な魔術的作用を引き起こすことが出来ると考えた。
 例えば、キジムシロなる植物がある。これの葉を5枚服用すれば、毒を防ぎ悪霊を退けることができる。これを1日に2回服用すれば1日熱が治り、3回服用すれば3日熱が、4回服用すれば4日熱が下がる。これは「事物」と「数」が照応し、調和しているからである。こうした数の法則性を知れば、様々な魔術的効用を期待できるというわけだ。
 そんなわけで、この第2の書では、10の位、100の位、1000の位、1から9までの各数を論じた章、11と12を論じた章、12以上を論じた章といった感じの記述が続く。
 ここでは、それぞれの数が持つ象意、シンボリズムについて詳述される。
 この書の中には、バレットやGDに、そのまま引き継がれた七惑星の魔方陣、シジルなども含まれる。
 この複雑な計算を含んだ数のシンボリズムは、後のジョン・ディーによって、さらに発展し体系化される。
 さらに、幾何学図形、音楽や音響についても触れられる。
 ことに幾何学図形のシンボリズムは、現代魔術においても、非常に重要な位置を占めることは、言うまでもないことである。ペンタグラムや十字だけを例にとっても分かる通り。

 第3の書の「儀式魔術」において、いよいよ本格的なカバラ魔術が語られる。
 まず、魔術師の心得が書かれている。魔術を成功させる根本的な原理は、肉欲や感覚に過度に関わることを避け、その精神を純粋知性に高めることにより、自らに「尊厳を与えること」であるという。
 魔術師は、自分が魔術をしていることを秘密にしなければならず、常に神に感謝しながら作業を行わなければならない。
 そして、アグリッパは、「生命の樹」の10のセフィラの解説に入る。各セフィラの象意はもちろん、それに照応する天体や「名前」の解説もある。
 こうした「名前」には、おのおの特別な本質的な力が備わっており、これを用いれば、自然界に驚くべき作用を引き起こすことが出来る。
 アグリッパは、それについて具体的な使用方法についても述べる。それは護符であったり、一種の呪文であったりした。
 これらは、正統派のラビから批判を浴びながらも、古くから実践されてきたユダヤ人の魔術からの借用ではある。なお、ここで、アグリッパはユダヤ教カバラの魔術より、この「オカルト哲学」で奉じられているキリスト教カバラの魔術の方が、より強力であるという。なぜなら、イエスの存在が大きいからだ。「聖五文字」のイエスは、「聖四文字」の父なる神より、万物を支配する権能を授けられている。逆に言うのなら、イエスという名の許しがなければ、天界からの恵みや恩恵を得ることは難しいからだという。
 続いて、アグリッパは、天界の精霊論、天使論についても詳述する。
 アグリッパは、精霊、ダイモンを3つ区別する。
 引き続き、守護天使と戦いを任務とする悪ダイモンについて解説する。そして、天使の使う言葉にもおよぶ。アグリッパによると、天使の使う言葉は間違いなくヘブライ語であるという。
 次に、七惑星、十二宮、四大、その他多くの精霊の名前が列挙される。
 続いて、聖書や天体、ゲマトリア、事物からそれに対応する天使の名を引き出す法が述べられ、霊を表すシンボル、幾何学図形、魔術用アルファベットなどが紹介される。
 ともあれ、こうした知識を得れば、悪ダイモンを退け、善ダイモンを引き寄せることができるようになるという。

 最後にアグリッパは、「全論考の結論」なる章で、自分の理論の不完全さを認めたうえで、哲学的、宗教的に、自分の思想を総括する。
「私は、これらの事実を真理としてではなく、真理に肉薄する仮説として提示するのである。悪から善を導き出し、あらゆる曖昧な事物を明確なものとすることを学ばねば成らぬ」

 ともあれ、この大冊には、自然魔術やユダヤ教カバラ魔術、あるいはグリモワール、民間のまじない等を含みながらも、それをカバラの象徴体系でもって整理統合し、大きく近代化させていることが分かるであろう。
 事実、この書に記されたシンボルや記述には、そのままレヴィやGDへと引き継がれたものも少なくはない。
 アグリッパは、疑いようもなく、キリスト教カバラから魔術カバラへと発展させた、オカルティズム界の巨人である。


「ルネサンスのオカルト学」 ウェイン・シューメイカー 平凡社
「オカルティズム事典」 アンドレ・ナタフ 三交社
「ルネサンスの魔術師」 B・H・トレイスター 晶文社
「ルネサンスの魔術思想」 D・P・ウォーカー 平凡社