[トップページへ戻る][□    寸評・随筆・コーヒータイム]


東京では東京新聞だけが存在価値がある




「tokyosinbuntdyno.217-(5:17).mp3」をダウンロード

郡山の福島集団疎開裁判の報道をしたのは、東京では東京新聞だけだと思う. この裁判は単に「郡山で法令以上の被曝をしている児童は「勝手に移動しろ」」という判決で、その理由として「政府がそう言っているから」という内容だ.

三権分立というのは、政府が法令に違反して国民が被害を受けたときに裁判所が法令に基づいて国民を守ってくると学校で説明を受けた。でも、裁判所が「法令の被曝を超えているけれど、政府がOKというから、そのまま郡山にいろ.イヤなら自分で移動しろ」ということだから、大変な裁判結果である.

それを大新聞が報道しない理由は次の通り.

1)大きなニュースだから、
2)政府が隠したいことだから、
3)日本の三権分立に関わることだから、
4)郡山の子どもが法令を超えて被曝していることが分かるから。
5)我が社(新聞)は原発推進だから。

「危険なことは報道しない、大きなことは報道しない」という大新聞の性向が良く表れている. でも、大新聞が役に立たないことは事実だ。それでもオレの力は強いから、どんなに不正なことでも正面突破できると大新聞は信じている. なめられたものだ.

(平成25514日)


武田邦彦



« 皇太子殿下のオランダ訪問と歴史 | | 心の時間  仏教と宗教 »

[トップページへ戻る][□    寸評・随筆・コーヒータイム]