長宗我部地検帳の神々  一 社の神々 (一五)オンサキ・ミサキ


(一五) オンサキ・ミサキ

この神は「地検帳』に、
(1)  御崎神 (安・野根村生見-東洋町)
(2)  同 (安・野根村相間-東洋町)
(3)  御サキ (高・多郷-須崎市)
(4)  ヲサキ大明神 (長・十市郷-南国市)
(5)  三崎(林) (香・大忍庄ホソ川-香我美町)
(6)  ミサキ (土・秦泉寺郷-高知市)
の六社ある。

 (1)(2)(3)の御崎、御サキは、オンサキかミサキか問題である。(4)のヲサキはオンサキの転であろう。(5)はミサキであろう。この六社は(1)〜(4)までをオンサキとし(5)と(6)をミサキとすると、二種の神である。

 オンサキについては、
「韮生艫m山豊永本山ノ山奥ノ人家ニ御先祭(オンサキマツリ)リトテ、祖先ヲ神ノ位ニアラタメ、年毎ニ初穂ニテ祭リツカウル礼甚スクレリ。
神ト祭テ後々年忌月忘ナトノケガレセス。神代ノ有様ナルヘシ。(下略)」     
 (『土陽淵岳志』)
オンザキ祭りは、具体的には次のようである。
「村々にオンザキと云神有り。
屋上に棚を結注連を引幣を飾り、十二月晦日に鏡餅・洗米・神酒を供し、太夫来て幣を切り替也。オンサキの大祭は人一代に一度也。二度とハ得祭らぬ。其祭方ハ初穂米銭を増長させ置、能程になりたる時神酒を作り、太夫数人招てクラヘと云事をする。此祭にハ遠くても同姓無残外姓近類井村長隣家を案内して、飯酒を用ひ賑ふる也。扨持集たる米銭入目に遣ひ、残リハ又年々増長させ時節を以祭る也。又天の神と云有、常の祭方大祭共同し事也。」
(『竹木筆剰』)
 オンサキ祭は現在も行なわれている。
「オンザキ様は天井へ棚を造って十二月廿八日の日に祭る。小る。本未は天井裏、フキ地(萱)のヤナカヘ差して祭るものであるが、六十年ほど前から瓦屋根になったので床へ降して祭るところもある。・・
オンザキ様は本家筋の者のみが祭るものてある。」                                   
 (五王堂部落-『土佐民俗・共同採集報告』)
オンザキは室内で祭るものであるが、祠にまつられている場合もある。
「同じく五王堂部落にある山の紳の祠をさして部落の人はオンザキ様といい、部落の槙村家の先祖神で、昔槙村家の先祖がこの地に移り住むとき背負って来た神であるという。」       
 (『土佐民俗・共同採集報告』)
これは現在だけでなく、相当古くからあったものであろう、『土佐国蠧簡集・三』の、
「御崎社 天文十七年願主在原義重
 右香美郡大忍郷東別役村御崎社棟札、今按義重未考、御崎蓋御先祀吾祖也。遠郊今猶有此風。」
は、その証となろうか。

 「オンサキ」は、前述のように祖先神で、主に屋内でまつられているが、屋外にまつる例もないではない。『地検帳』の御崎社の神田は、一反六代〜二〇代の少額のもので、扣主はすべて有姓者である。祖先神のオンサキであろうか。

 尚、御崎をミサキと読めば、五社すべてミサキ神である。
「ミサキは先鋒の意で、もとは従属神であったろうが、土佐などでは独立した神となっている。恐ろしい小神で多くは山川などで不慮の死を遂げた人の怨霊である。」        
 (綜合日本民俗語彙・四』)
といわれるが、前記の五社の神についてミサキ神としての伝承は、今のところみあたらない。

 しかし、ミサキといえば七人ミサキを連想する程有名である。その代表的なものに、「木塚明神」がある。「老圃奇談」(注1)に、
「  木塚之明神
吾川郡木塚村ニ有。里人伝て七人身先の神と云。古良左京進を崇と云。七人身先夜空中をくつわの音して通る者有。又首無馬に乗通る。是に行逢者大ニ害有。今墓に社を建祭之。其後あやしき事なし。(下略)」
とある。吉良左京進親実は、信親の死後、後嗣として元親が盛親をあげたのに反対したため切腹を命ぜられた。その時殉死をした家臣達が七人、「右主従八人の亡魂蓮池の城下高岡の近郷俳徊……種々ノ奇怪多ク怨霊ノ出ヌ所モナ」(『土陽淵岳志』)く、それが元親の耳にはいり、国分寺で追福の供養をしたけれども霊気がおさまらなかったので、西分村益井(春野町)の墓に社を建立したのが、木塚明神(現・吉良神社)である(注2)。この事件は天正十八年(一五九〇)のことであるから、ミサキが御霊神であることは、中世末既に信じられていたことが理解されよう。このほかこの事件に親実と共に反対した長宗我部親興(比江山城主)も切腹させられて、その妻子等六人も害せられたが、比江村七人ミサキ(注3)として伝えられている。

 また高岡郡見附村(窪川町〉に中西権七の墓(注4)があるが、彼が故あって非業の死をとげた時、妻子家臣等七人がそこに葬られていて七人ミサキと伝えられている。(注5)

 このほか『土佐の伝説』(桂井和雄氏)によると、七人ミサキとして、宿毛町宇須々木(宿毛市)・高岡郡久礼町七人岬(中土佐町)。大川村高知・馬路村日裏があげられている。また「七人塚」として、土佐山村梶谷・美良布町上野尻(香北町)・仁井田村影野(窪川町)・梼原村越知面があげられている。これらの「塚」も、七人ミサキと同様に祟る霊である。

 この七人ミサキは、木塚明神以外は社としてまつられてはいないが、七に何か理由があるのであろうか。単独でミサキとしてまつられているものはないのであろうか。いずれも未考である。

 1 『老圃奇談』 (筆者未詳)
 2 『神威怪異奇談』 (『南路志・三七』)
 3 『土陽陰見奇談』 (『土佐国郡書類従・一四七』所収)・『神威怪異奇談』(『南路志・三七』)
 4 『南路志』見付村の項にある。
 5 『地誌料稿』 (『白湾藻・三』所収)
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