YASUHIRO  独り言  

   山と医療の本音トーク

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5月18日(金)

今日もDr7に登場してもらおう。医学生と言うのは大学を卒業すると国家試験を受け合格後研修医として最前線で医師として働く、大きな期待を胸に秘めようやく医師になった実感を得る。しかし彼は違った。国家試験を受験すると合否を聞かず就職もしないで何とシルクロードの山旅に誰にも告げずに旅立った。自分も学生時代は休学届けを出してカンボジアの難民キャンプに出掛けたりかなり破天荒な学生時代を送ったが彼はそれ以上の変人だった。

台湾までの片道切符だけ握りしめて7ヶ月に及ぶシルクロードの旅に出掛けたのだ。様々な困難にもめげずアジアの山を巡りながら南京虫に噛み付かれながら乞食の様な出立ちで旅を続けた。当時その功績が評価され彼は何と岳人の表紙を飾った。これは同業者として快挙である。そんな数々の経歴を持つ彼にはもっと多くの話を聞かせて欲しかった。

僕も多くの変人を知っているが彼程の変人は滅多にいなかったと思う。

若き日のDr7  髭もじゃ姿に髭魔人もビックリ


5月17日(金)

Dr7が旅立ってから早10日が経とうとしている。この間彼のブログは閉鎖され彼が身を粉にして働いていた病院のHPには何もなかった様に新院長の挨拶が載っていた。彼が少しずつ過去の人になり人々の記憶から遠のいて行くのは悲しい,僕と彼しか知らない様々な思い出もある。彼の生きた証を風化させないためにも今日も彼に登場してもらおう。

今年大魔人と二人で冬季限定の新たな白山のコースを開拓し最新号の岳人クロニクルに載った。ページをめくると僕たちの記録の前にDr7の厳冬期笠が岳ワンディの記録が載っていた。まさに彼の遺作となった。彼がこの偉業を成し遂げた1月13日に僕たちは槍ヶ岳ワンディに挑戦していた。雪の状態はそれほど安定しているとは言えない状況だった。その翌日僕たちはDr7と合流して牛首尾根経由で猫岳を目指した。

山行中に彼は昨日笠を滑ったと話していた。何と登りで穴毛谷をルートに選んだと言うではないか。なんて馬鹿な事をするんだ、僕は諫めた。厳冬期の穴毛谷は雪崩の巣で行くならワサビ平小屋前尾根を使用すべきで生きていたから良かったが何かあったらただでは済まないぞと言った。

と言う僕も冬期笠が岳ピークから五ノ沢を滑ったがまさに雪崩をかいくぐりながらの危機一髪の山行でもう二度と冬期穴毛はご免だと思った。下りでも危険なのに登りに使うなんて気違い沙汰だよと言うが彼は全く動じていなかった。昨日雑誌で彼の遺作を読んだがまさに遺書と言う言葉で山行届けが出されていた。先日彼が亡くなって初めて彼の新築した自宅を訪れたが彼の自宅からは白く輝いた笠が岳が真っ正面に見えた。この場所に新築した彼の気持ちが良く理解できた。余程深い思い入れがあったのだろう。

昨年の東面台地でのDr7 今頃違う世界で滑っているんだろうか?


5月16日(木)

これまで自分も登攀、沢登り,自転車ではヘルメットを被っていたが山スキーでは山域や滑走コースで持参するしないを判断していた。しかしこれからは必ず携行して行こうと考えている。山スキーでのリスクは落石だけでなく滑落、立ち木への激突、転倒による頭部打撲など実はとてもリスクの多いスポーツなのである。冷静に考えれば考える程ヘルメットは必須だと思われる。

昨日の東面台地でもうろ覚えだが確か滑走中に転倒して頭部を打撲してお一人亡くなっているはずだ。ヘルメットは頭が重くなり確かに煩わしい,ただ最近は軽量で高強度の物が多く出ている。

自分が使用しているのはCAMP speedで重量が230gと山岳スキーレースやクライミング用の最軽量ヘルメットとして開発され、EPS(ポリスチレン)の本体に、できる限り軽量化、肉抜きした高強度ポリカーボネイトを配置した構造で頭頂部と側面を衝撃から守ってくれる。また通気性良好で運動性の高いアクティビティ向きで、超軽量のテープ&ベルクロでのサイズ調整可能、これなら被っていてもほとんど重さも感じず抵抗もない。色は橙と緑がありおしゃれです。

山スキーヤーの皆さんヘルメットとピックストック(ダブルで)は山スキー必須のアイテムです。ビーコン等は事故が起きた際に必要ですがこれらは事故を未然に防ぐための必須のアイテムなのです。道具にケチって事故を起こすとその何十倍もの代償いや葬式代の方が高くついてしまいます。

CAMP speed  お勧めです。

東面台地下部は辛うじて雪を拾って行けた。

御前峰と剣が峰の間にシュプールを刻んで下りた


5月15日(水)

Dr7の遺品回収と事故報告書を作成してようやく心の整理が出来た。思えば1年前彼と東面台地へ行った、なぜか無性に東面台地が恋しくなって今日単独で出掛けて来た。東面台地へは毎年4月に行っており5月になれば下部は薮で厳しいだろうと思ったが今日は這ってでもピークに立って奥社で祈りも捧げる。

仕事が終わり平瀬ゲートに向かう、ここで車中泊して深夜1時に起床、さあチャリで標高差600m頑張る。昨年はDr7と競い1時間11分の新記録を出した。今日は単独なのでペースは上がらないがそれでも気合いでガシガシ漕いで行く。さあ橋が見えた。タイムは1時間10分、1分だが短縮できた。ここでチャリをデポしていざ東面台地へ,雪は全くなく橋からすぐに尾根を巻く様にして台地を目指す。

薮が濃くてやはり難儀した。しょった板が引っかかり中々前に進めない,やはり5月に入ると難儀する。それでも何とか根性で薮を漕いで平坦な台地に降り立った。雪はあるがもうかなり地面が出ている。それでも何とか雪を拾いシールで進む。辛うじて細い雪を伝って板を脱ぐ事無く高度を上げた。標高を200m程上げればもう雪は豊富でいつもの東面台地だ。1770mでこの台地の御神木コブラツリーだ。ここで記念写真を撮り少し上がって転法輪谷に入る。昨年のDr7の姿が重なる。

標高が2500mまで上がるとかなり強風がきつくなって来た。風速は20mは超えているだろう。ただ春の風で寒くはない,ザラメ雪を踏みしめながらピークまで板で上がった。奥社だ。奥社でまずDr7のために祈りを捧げ、次に板とヘルメットを供えこれからの山スキーに神のご加護がある様にお祈りした。

今日は誰もいない,貸し切りだ。さあ山頂からエントリー、御前峰と剣が峰のコルまで急斜面を滑ってこの台地のメイン斜面にシュプールを刻む,貸し切りの台地どこまでも落ちて行く,白山に別れを告げるとただ林道を目指すのみ、台地下部で倒木に足が引っかかり頭から雪に突っ込んだ、かなりの衝撃だったがヘルメットのおかげで頭は大丈夫だった、起きると鼻血と顎を切った様で血が滴り落ちた。さっそく神のご加護かメットに救われた。

台地下部から林道はまた藪漕ぎで時間を食ったが林道に出れば後はチャリで帰るのみ、11時前に無事到着。東面台地下部はもう地肌が出て厳しい、そろそろ賞味期限切れか。

2.30 630m  平瀬ゲート発
3.40 1240m 大白川ダム付近最初の橋
6.02  1770m  コブラツリー
6.49  2100m  転法輪谷
8.31 2702m 白山山頂着
9.00 2702m 白山山頂発
10.23 1240m 林道
10.55 630m  平瀬ゲート着


5月14日(火)

奥穂直登ルンゼを滑降したら次は扇沢を滑りたくなるのは山スキーヤー自然の成り行きである。自分も以前同じく白出沢を登り同時期に扇沢を滑りに行った事がある。ただ奥穂山頂に到着した午前10時の時点ではエントリー部がまだ氷化してカチカチであったために滑走を諦めた。早く日が射し始める直登ルンゼと比較して扇沢は雪が緩むのに少し時間がかかりエントリー時間は遅れる。

Dr7は水曜の午前中は代理がいて休みではあるが午後から病院に出なければならない立場だったためかなり早い時間に滑降を終えなければならず時間的に雪が緩むまでに滑降を終える事はかなり難しかったと思う。おまけに当日の強風状態では扇沢はカチカチで緩むはずもなくあの時間帯を考えれば滑走は不可能だったはずである。

山スキーに焦りは禁物である。特に厳しいルンゼ滑降では雪質が全てである。厳しい急斜面のルンゼでも雪が緩めば楽勝だが、氷化していれば緩斜面も厳しい。山は逃げない,滑りたい場所があっても決して焦っては行けないと思う。今回の事故で自分自身思う事も多く今後の山スキーはこれまで以上に慎重にならなければいけないと自戒した。

日が射す前の白出沢はカチカチ


5月13日(月)

山スキーにおける三種の神器と言えばビーコン、ショベル、ゾンデだが危険が一杯の山に出掛ける以上工事関係者やバイクにヘルメットが義務化されているのと同様にやはりヘルメットは必須のアイテムだと改めて思い知らされた。昨日白出沢を遺品を探しながら登っている際やはり何度も落石はあった。十分上方に注意はしていたものの一度すぐ脇をビューンと言う甲高い音で初めて落石と分かった際どい場面もあった。

絶対センターを歩かない事、スピード重視で一気に登り上げるなどかなり気を使った。僕たちが白出沢下部まで下山して来た時一人のつぼ足登山者が今から登ろうとしていたがヘルメットはしておらずセンターを潜りながらゆっくり登っていたので落石に気を付けて下さいと☆が注意していた。

昨日回収した遺品はスキー板二本、シール、ピッケル、ストック二本、サングラス、手袋、カメラ、水筒であった。板は僕がしょって下山したが長くて太いフアットスキーに重いビンディングが付いておりその重さに驚いた。多分この時期使用している僕の物の倍以上はあっただろう。もう少し軽量化されていれば30分いや一時間以上早く白出コルに着いて事故には遭わなかっただろうに全てが結果論だがたくさんのifにも関わらず事故を引き寄せてしまった彼にやるせない思いが一杯だった。

当日パートナーだった☆のブログへ

回収したストックと手袋


5月12日(日)

Dr7はどのような状況で亡くなったのか、事故はどうして起きたのか、本当に避けられない死だったのか、彼の死から僕たちは何を学び、どう生かすか、決して彼の死を無駄にすることなく少しでも山スキーヤーの不幸な事故が減る様に今日僕と当日パートナーだった☆、髭魔人、DrMの四人で遺品回収と現地調査を行って来た。

事故の概要は2013,5/8 深夜12時半新穂高を出発したDr7と☆が白出経由奥穂山頂から扇沢滑降を計画して白出沢を登っている午前8時前標高2940m付近で起きた。

白出沢を大滝を巻いて下部からスキーを担いで彼らはアイゼン歩行していた。順調に標高を上げていたが上がるにつれかなり激しい強風が唸りを上げて涸沢から白出方向に吹いて来てザラメ雪が宙を舞う状態でしっかり前を向いて歩ける様な状態ではなかった。また強風の唸りで落石があっても音が聞こえる状況ではなかった。山荘まであと標高差で40m ほどもうすぐと言う時に山荘右手の煙突脇(梯子場下)あたりからバケツをひっくり返した様な多数の石(直径5-20cm)がいきなり落ちて来た。☆の5m先を歩いていたDr7があっと言う声を発し☆は落石と思いとっさに身を伏せ頭を手で被った、その時20cm大の石がDr7の頭部を直撃し伏せた☆の脇を彼は人形の様に頭を下にして滑落して行った。☆が気が付いた時はもう彼は横を通り過ぎており滑落を止める事は不可能だった。

彼は耳から血を流して標高2700mまで落ちて止まった。これを確認してすぐに携帯で救助を要請してから2700m付近へ駆けつけたところ彼はいなかった。彼はここで一旦立ち上がってヘルメットを脱いで数m横に歩いてまた意識を失い倒れて搬送地点の2320mまで一気に滑落したようである。最初の滑落停止地点までの血痕の軌跡が次の滑落時の軌跡と明らかに大きくずれており彼が一度立ち上がって横に移動したのは間違いない。

二度目の滑落時も血痕がずっと続いており☆はそれを追いかけ2320m付近に横たわっているのを発見、もうすでに呼びかけにも全く反応がなくこの時点で死亡していた可能性が高い。発見時ザックには板が一本残っておりもう一本は最初の滑落直後に外れて標高2900m付近に残置されている事は確認されていた。彼はヘルメットを外した状態でヘルメットは彼の下30mの位置に転がっており内部は血痕で溢れていた。救助ヘリはこの地点でホバリングして彼を病院に搬送した。

病院に搬送された彼は死亡確認のみされた様で死因解明に繋がる検査などは受けていない、多量の血痕が事故地点から搬送地点まで繋がっていた事、さらに耳出血を伴っていた事、最初の滑落時にまだ立てる状況だった事などから死因は頭部外傷による頭蓋底骨折さらに大血管損傷による出血多量死だった可能性が高い。当日自宅を訪れた際の彼の亡骸に外傷はほとんど無く顔面を含め頭部はきれいであった。出血した耳だけ腫脹していた。

事故地点から山荘までもう目と鼻の先、もう10分位で山荘直下の安全地帯に入れたはず

白出下部を行く今日のメンバー、皆Dr7が大好きでした。皆是非参加したいと申し出てくれました。

搬送地点30m下で最初の遺品ヘルメット発見

ヘルメット内部、割れていた。内空にあるはずの衝撃吸収材は人為的に外されていた。

なぜ彼がこのような状態で使用していたかは不明、衝撃吸収材が入っていれば、、、、

彼の最終滑落停止場所で花を供え黙祷

最初の滑落停止付近2700mから見た山荘

事故現場下で発見した板

事故現場付近下2900m

事故現場に残された直撃しただろう石20cm×5cmの石

事故現場少し上もうすぐ山荘だった。石は煙突右から多数落ちて来た。

30mを超える突風でこの辺りに堆積していた石の固まりが崩れて落石になった可能性が高い

彼の死を無駄にしないために敢えてパートナー☆と共同で報告書を作成しました。山スキーをする際は必ずヘルメットは携行して可能な限り使用して下さい。ヘルメットはお守りではなく正しい使用法で適正に被って下さい。腕や足が折れても死にはしません、時間が経てば治ります。ただ脳がやられれば再生は不可能です。頭部だけは決して疎かにせず守って下さい。命が救われても重大な後遺症が残る危険性があります。

愛する家族を決して悲しませないためにも必ず身を守る事が山で遊ぶ人の義務であり責任であると今回の事故を通じて僕は学びました。Dr7安らかに眠って下さい,決して君の死を無駄にしないと僕は誓います。


これ以前はすべて消去しました。何を書いたかも覚えていません。不定期に消去しています。

毎日が完全燃焼できるような日々を送りたい,人生とは長いようで短い。

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