日蓮正宗・冨士門流(富士門流)と仏教及び総称日蓮宗の研究
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重要なお知らせ
黒川和雄一派遁走宣言
黒川和雄一派(会長・黒川和雄君、宣伝担当幹部・後藤貴之君、代表相談役・松木孝嗣君)に対して、法華講員である私は、黒川和雄一派の宗規違反、講頭・副講頭経歴詐称、紙幅戒壇本尊論や三寶破壊などの大謗法行為、御法主上人猊下への退座要求や末寺御住職への辞職要求、御宗門や御僧侶方の著作権を侵害した悪質な犯罪行為、法華講員への誹謗行為などを指摘、また公開質問したところ、黒川和雄一派は回答不能に陥り、遁走しました。
よって、過去の記事や将来の記事に対して今後、黒川和雄一派からの反論、辯疏、難詰、難癖、質問、問い合わせ等が仮にあったとしても一切応じることはありませんし、遁走した相手に私が応じなければならない責務もありません。
読者である日蓮正宗檀信徒・法華講員同志の皆様には、三宝破壊の大謗法の徒輩である黒川和雄一派の虚言や謀略に惑わされることなく、所属の菩提寺様を帰命依止の当詣道場として、御住職様・御主管様に師弟相対した活動のみを行い、間違っても黒川和雄一派や樋田昌志一派のように総本山・菩提寺・檀信徒の縦糸と連合会・講中・講員の横糸の宗紀を紊乱するような行為は一派を反面教師として誡めて頂きたく、心からお願い申し上げる次第です。
また今日まで黒川和雄一派問題に関して種々の情報提供、御支援、御助言、御支持を賜った宗内諸大徳及び法華講員同志の皆様に感謝申し上ぐると共に、弊ブログを読まれて黒川和雄一派(「有志の会」「サークル」)から勇気を以て脱会せられて所属寺院・講中に復帰せられた方々に心からお慶び申し上げます。
平成二十四年壬辰十一月一日
冨士宗学研究主人敬白
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注目して頂きたい記事
★自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」不祥事問題の要約(黒川和雄一派不祥事問題の要約)[その1][その2][その3]
★黒川和雄一派との係争の経緯(平成22年09月08日時点)
★黒川和雄一派の宗規違反及び違法行為に与同する方々へ(覚醒への道)
★黒川和雄君への八箇条の質問状
★山口範道御尊師の御著書「日蓮正宗史の基礎的研究」PDF配布に関する黒川和雄一派への質問状
★黒川和雄一派の創価学会無謬論を破折す
★価値論教の亜流(黒川和雄一派創価学会同根論と黒川和雄本佛論)
★黒川和雄一派「講頭詐称疑惑を破す」の妄言を破す
★黒川和雄氏に質す(黒川和雄君の講頭詐称問題に関する記事)
★黒川和雄一派の紙幅戒壇本尊論の邪説の経緯
★黒川和雄君の支離滅裂な妄論を破す
★黒川和雄一派の謬言を指摘す(黒川和雄君の「樒は枯れた時、枯れる前後に取り換えるのが『代々法華講』のしきたり」の謬言を指摘す)
★黒川和雄君の講頭詐称色紙から氏名・講頭が抹消(曰く付きの色紙の顛末について)
★黒川和雄一派の自称「有志の会」代表相談役を提訴
★黒川和雄君の詫び状(謝罪文)(過去に法華講員に対して悪行をなしたことを謝罪した黒川和雄君の詫び状)
★苫小牧市・佛寶寺所属を自称する逆賊・後藤貴之君の反宗門発言を指摘す(平成24年10月19日に「憂宗護山の御為に、間違いを指摘する」を改題)
★黒川和雄一派の後藤貴之君に告ぐ
★黒川和雄一派に告ぐ(個人情報通知を拒否す)
★黒川和雄一派所属の札幌在住謀略者某の虚言を破す
★黒川和雄一派惨敗(黒川和雄一派からの回答受け付けを終了)
★「長野県妙相寺信徒」を僭称する者の妄言を論破す(並びに樋田昌志一派を誡める状)
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【寄稿】筆者:野の蜂氏(
前編より続く)
十王経で説く冥界の十人の王の事(後編)⑤閻魔王(えんまおう)五七日(三十五日忌)本地・地蔵菩薩。閻魔とはインドの名である。息諍王(そくじょうおう)ともいう。罪人の生前の罪の軽重・深浅を監察し、裁断する。
壮大な王宮の城に入れられ、この大王を拝すれば、その形相は魂をなくす程におそろしい。その眼は太く大きく日月のように光り、顔面は赤く怒り、罪人を辱めるその声は百千の雷が同時に鳴り落ちて来るようだ。
「お前はここに来るのが始めてだと思うのだろうが、すでに何百何千回も来ているのだ。その都度いつも、娑婆世界にて仏道修行をして再びここへは来るなと言い含めているが、性懲りもなくまた来ている。人間として生を受る事は、爪の上に落とした砂土が、爪の上にかろうじて残るその粒の数のように、尊く稀少な事であり、また幸いにして仏法流布の国土にまで生まれおおせたお前は、それにもかかわらず、心のおもむくままに生き、仏道を行じる人々を斜めに見下し、気持ちのままに振る舞って、あげくに結局また、ここに来る。なんと無惨な事か。まことに、せっかく宝の山に入っても、手の中を空っぽにするとは、お前のような者の事だ。考えてもみるがいい。お前の残してきた財や品々が、この冥途の旅の糧となったか。娑婆に居る家族の中で、お前のその今の苦悩を代わって受けてくれる者がいるのか。お前の一期の罪業は、具生神が鉄札に記しておる。今からこれを読む。心して聞け。」
大きな山脈が崩れ落ちるような大音声で読み終えると、
大王は
「地獄へ行け。」と宣告する。
あまりにもおそろしく哀しいお告げに、罪人は、眼を紅色に泣きはらしながら、声にならない声をしぼり出し、懇願して言う。
「ただいま、読み聞かせいただいた罪業の中に、少しばかり心あたりはありますが、そのほかについては、身に覚えがございません。もしかしたらなにかの間違いで、具生神様が、誤記なされたのではないでしょうか。どうか少しの罪を、お慈悲によって見逃していただけないでしょうか。お願いしますお願いします、お願いします。」と。
心からふるえながら、おびえる罪人に、大王は顔色を変え、そしてしばらくして、
「よく聞きなさい。そのように生きてありし時も、お前はただ、眼の前の欲得にとらわれて、その原因を作った事などすぐに忘れ、思いもいたさず、世迷い言のような事を言って、生きて来たのではなかったか。その癖がなおらずにいるから、今、この正直断罪の庭に座って、すでに判明してしまった罪について、なお、とやかく言いつのるのであろう。それがかえって重苦を受ける基(もと)なのだ。そもそも我れはまったく憎しみの気持ちからお前をせめているのではない。またひとつとして罪を付け加える事もない。自業自得のむくいなのだから、自身を恨め。具生神を疑っているようだが、具生神とは、実は、お前が生まれると同時に生まれたお前の影の事なのだ。片時も離れずお前のした事、言った事、思った事を記したのだ。疑うようなものではない。しかし、それほど言うのなら、よしよし、光明院に行き、鏡を見て、その疑いをはらしなさい。」と言う。
この光明院という宮殿は、大王の居る城とは別にあり、そのなかには、九面の鏡がある。八方に各々鏡があり、その真ん中にひざまずき、鏡を見れば自分のしてきたすべての事が、あます所なく映し出されている。また他人に決して漏らしたこともない思いや秘密もことごとく映し出されている。眼を大きく見開きあまりの現実に声も出ないでいると、獄卒達と共に具生神も「それ見たことか、それ見たことか。」といいたてるのだ。
うつぶして泣けば、髪をつかまれ、頭を引き上げられて「そら見ろ、それ見ろ。」と鏡に顔をさしつけられる。
ただ、心に願う事は、娑婆に居る家族に、自分の菩提をとむらってくれと願うだけである。思えば、父母の事はいうまでもない事だが、親戚や知人友人の中にもすでに亡くなった者もいる。彼らも今このような苦しみを受けているはずである。
そんな事も思いやらず、ただ世間の義理でとむらうような人間は、実は情けの無い人間なのだ。情が無いも同然だ。
世間でも「情けは人の為ならず」という。生きている時に情けをかけるのはお互い様だから自分のためでもあるが、亡き後に情けを懸けていく事こそ誠(まこと)の志(こころざし)ある行いなのだ。そして亡者の菩提をとむらう事の大切さは我が身の為でもあるのだ。
所詮、亡者の助かる助からないは、ひとえに追善の有る無しに懸かっている。これは道理なのだ。中でも35日忌は、閻魔大王の前で苦しみを受ける時だからこの時の追善は肝心である。この時に善の行いをすれば、その振る舞いが鏡に映り、大王をはじめとして諸々の冥官も随喜して、罪人も喜ぶであろう。この事を深く感じて自分も精進をして、六親までも回向するべきである。
⑥変成王(へんじょうおう)六七日(むなのか)。本地・弥勒菩薩。亡者の悪を責め、善を行う事を勧める。
この王の所に行き着くには「鉄丸所(てつがんじょ)」という河原を越えなければならない。無数の丸い大石が互いに転がりながらガツンガツンとぶつかり合う中を、鬼にせかされながら行くが、挟まれて身が砕け元通りになりまた、砕かれして七日七晩かけて大王の前に着く。
大王は三本に別れた道を示し、好きなところを選んで歩けと命じる。三本のうち一本だけが「善の道」なのだが、
どうしても他の道を選んでしまう。まれに「善の道」に入ると急に地面から煮え立った銅が吹き出して罪人を焼き尽くす。いつまでもらちがあかない。助かるには追善の善行の力でこのどうどうめぐりを断つしかないのだ。
まさに、大王以下の獄卒までも歓喜させる妙法を唱えかけられ、丁寧な追善を贈られて、その場で苦を抜け出す者は幸いにして悦びに充ちるであろう。
⑦泰山王(たいざんおう)七七日(なななぬか)四十九日。本地・薬師如来。罪人の来世、生まれるところを定める。
この王の所に行き着くには「闇鉄所(あんてつじょ)」という悪所を越えなければならない。とても狭く細い路であり両側は壁のような岸が続いている。
身を細めてそろそろと進むのだか、とがったギザギザの鉄の壁面にあたりながら身を横にしたり入れ替えたりしつつ通っていかなければならない。
肉や骨を削がれながら息をつめてずりずりと七日七晩かけてやっと大王の前に着く。
「生きてある時、仏法に縁するために、何かしたか。説法法話など聞きにおもむいた事があるのか。正直にありのままを言え。」
これに罪人はこたえて、
「自分の思いのままにすごそうとして、暇を惜しみ修行にも興味を持たず、仏さまの お話を聞きに行くことも他にやる事が多すぎて一度もありませんでした。」
大王は言う。
「今お前が見ているように、ここには、インド、中国、日本はおろか、あまたの国々の罪人が集まっているだろう。この場所にいるという事こそ、もっとも恥ずべき事のだ。見るが良い、群衆が各々、獄卒に打たれ泣き叫んでいるさまの見苦しさを。受け難き人身をたまわりながら、なすべき事を軽んじ忘れ、調子よく我がままに過ごして今ここにいる。これほどの恥がまたとあろうか。・・・・見苦しい。」と。
細くした身をさらに縮まらせ、そして打たれに行くほかはない。
やがて、六の鳥居があるのが見える。順に「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天上」におもむく門だ。
すべての罪人はこの大王の裁きによって、この門のいずれかをかいくぐる。
この鳥居を出ると、地獄に入るべき者は即座に地獄に行き、餓鬼は餓鬼の住処に行く。他もまた、しかなりである。もしも生きて残る人達の追善が多くあれば、善き門にかわって、善き処に生を受ける。だからこそ四十九日のとむらいは、ねんごろに丁寧におおいに行うべきなのである。
これでもまだ定まらない者は、百箇日の王の所へ遣わされる。
以下、三回忌までの大王。
⑧平等王(びょうどうおう)百箇日。(ひゃっかにち)本地・観世音菩薩。与えてさまざまに教化し、かつ公平に罰(ばち)する。難所は鉄氷の河原(鉄氷山)
⑨都弔王(とていおう)一周忌。本地・勢至菩薩。法華経及び阿弥陀仏造立の功徳を説く。光明箱を用いて罪人の罪業をたしかめさせる。
⑩五道輪転王(ごどうりんてんおう)三回忌。本地・阿弥陀如来。衆生の愚痴、煩悩をただす。また八大地獄(恐怖)をあらあら教え、さとす。
以上、大王以下の獄卒までも、歓喜させる妙法を唱えかけられ、丁寧な追善を贈られて、その場で成仏をとげる者は、きわめて、まれではあるが、だからこそいずれの王も娑婆にいる人達の追善によって、本地の如来の慈悲を起こし、成仏の得道に亡者を導くのである。
上記は「十王讃歎抄」を拝しながらの、つたなき通釈めいた作文である。
ここでいえることは、無論、我ら凡夫には、故人の成仏不成仏の判断など、もとよりつくはずもないのであるから、何日忌、何周忌であっても命有る限り、追善を施して、回向の善行につとめさせていただくのが、有縁の亡者のためであり、なによりそれが自身の身の為でもあることは、いうまでもないことである。
十王経は後世の偽経だと云われているが、長い仏教伝来の歴史と時々の賢人智者たちの、たゆまぬ研鑽整頓教釈の過程において、中国でもさまざまな経典が生まれた。
正式の名称を『仏説閻魔王授記四衆逆修生七往生浄土経』という。四川省の仏僧、蔵川によって12世紀なかばに成立した。
三世の因縁の上から、人間の死後および誕生前のありさまを、透徹した視点より収集し、もって因果のことわりに思いを至らせる事においては、あながちに軽視すべきではない。
「最蓮房御返事」より
其(そ)の故は、我等(われら)衆生、死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして、草木成仏なり、
「上野殿御返事」より
此の子、そとば(卒塔婆)に、此の木をつくり、父の供養のために、た(建)て、て(手)む(向)けりと見えたり。日蓮も又かくの如(ごと)くあるべきか。
就註法華経口伝(御義口伝)下より
第十七 不軽菩薩礼拝住処の事
十四箇所の礼拝住処の事之(これ)有り
御義口伝に云はく、礼拝の住処とは多宝塔中の礼拝なり。
其の故は、塔婆とは、五大の所成なり。五大とは地水火風空なり。此れを多宝の塔とも云うなり。
法界広しと雖(いえど)も、此の五大には過ぎざるなり。
故に塔中の礼拝と相伝するなり。秘すべし秘すべし。
お塔婆とは卒塔婆の事で、ストゥーパ(印語)であり「法を託した塔」の事である。人類が葬送を創始して以来、四衆(僧分=弔う側の男女と在家分=弔われる側の男女)が成立したが、釈尊が出現し入滅して直後から、弔いのために塔を建てるようになった。
この法界としての「全体環」に中心となる「塔」を建てるという事は、丁度、本来、果てしない広がりの「心」を持った人間が、地面に突っ立っているように、そこかしこに、立たしめている「力」を「法」であると悟ったからである。
ちなみにお墓の墓石も元来、卒塔婆なのであり、塔なのである。
さて、何ゆえに「妙法蓮華経」による追善回向(弔い)でなければならないのか?それは、道理の上から、文証の上から、そして現証の上からの三つの証拠による。
道理(理証):
釈尊五十年間の説法は、最後の八年間に説き出(い)だされた、出世の本懐(出現理由)たる「妙法蓮華経」に尽きている。その前期、四十余年の説法は「実語」ではなく「方便」であるので、これを立て、法華経をさしおいて回向しても、迷いを断ち切る力はない。
「妙法蓮華経」とは仏の智慧の集大成であり結論部であり、仏様の智慧そのものに名づけられた呼び名なのである。
そしてすべてのものに仏性はあるからその仏性の正式呼称たる「妙法蓮華経」を用いなければ名前違いとなり、追善が届かないのは当たり前である。
文証:(経文上の証拠)
「無量義経(法華経開経部) 説法品第二より」
所以(ゆえん)は云何(いかん)。諸(もろもろ)の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種(しゅじゅ)に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以ってす。四十余年には、未だ真実を顕(あら)わさず。
*性欲(しょうよく)性分と欲望の事*
「妙法蓮華経 法師品第十より」
薬王、今、汝に告ぐ 我が所説の諸経、而(しか)も此の経の中に於いて 法華 最も第一なり。
「妙法蓮華経 見寶塔品第十一より」
我(われ)仏道を為(し)て 無量の土(ど)に於いて始(はじめ)より今に至るまで広く諸経を説く而(しか)も其の中に於いて 此の経、第一なり。
「妙法蓮華経 提婆達多品第十二より」
此(こ)の経は、甚深微妙にして、諸経の中の宝、世に希有なる所なり。
「妙法蓮華経 薬王菩薩本事品第二十三より」
須弥山(しゅみせん)為(こ)れ第一なるが如く、此(こ)の法華経も、亦復(またまた)是(かく)の如し。諸経の中に於いて、最も為れ其の上なり。
「妙法蓮華経 薬王菩薩本事品第二十三より」
衆経の中に於いて、最も為れ其の尊なり
又、帝釈の、三十三天の中に於いて王なるが如く、此の経も亦復(またまた)是(かく)の如し。諸経の中の王なり。
現証:(現実に証明された証拠)
釈尊御入滅後、二千年以上経て、現代はある。歴史の上でさまざまに人々は流転し、その中にあって、みほとけの教えを、さまざまな教祖たちが、現れては消えていき、その祖師としての「教え」を残しはした。
しかし、現在この日本国において、いや世界においても、1日のうちで、三十分でも四十分でも祖師の遺言どおりに、毎日、連続して「阿弥陀如来」の名号を「阿弥陀如来像」の前で唱え続ける人も、1日のうちで、三時間でも四時間でも毎日、連続して、ただひたすらに、脚を組み、止観の只座のみを行う人も、1日のうちで、五時間でも六時間でも毎日、師匠と向き合い禅問答して、禅定を修行する人も、四十八軽戒や、二百五十戒(男性)や五百戒(女性)という戒律を保って生活している人も、いまや僧侶も含めて、ただの一人もいないのである。これを「現証」という。
方便の教説は、実語たる教説に帰趨してはじめて価値を得る。これを無上道という。また実語も、それだけではただの文字の羅列である。だが、秘かにしかし確実に実語に基づいた行儀・作法を習い伝え、自身を省みていく作業を倦まずたゆまず無理なく実践するための教法と、根本尊崇の当体を仰ぐ志は清流のようにして今も続いている。
煩雑を避けて経文のいちいちはこの際省くが、インド応誕の釈尊滅後2000年を経れば「白法(釈尊の法説)隠滅、闘諍言訟(とうじょうごんしょう)」とみづから「大集経」で宣言されたとおりに世は「末法時代」となり、「大白法」が顕然として登壇する。
「東方の辺土・扶桑国・葦原の中つ国・日出づる国」たる「本国土妙」の日本において「妙法蓮華経」の真言真法たる「南無妙法蓮華経」という三宝(仏・法・僧)である。
当然の如く、「南無妙法蓮華経」の奥義は秘伝秘法であり、今や、ちまたに横溢するそれは「相伝」無き不毛の形骸か、我利我見のそれも数多い。
しかしながら、「ああ芙蓉峰おごそかに、法統清く七百年」と現在(いま)歌われ、とおい過去より「武家の身延に公家の富士、石山禁裏の御用達」と嘉せられた「石山」(せきざん)「日蓮正宗多宝富士大日蓮華山大石精舎」に「蓮聖(祖)~興尊(開山)~目上(座主)~」と「唯授一人血脈相承」の正嫡「~六十八世御法主上人」により、七百有余年もの間、その「秘仏・秘法」は厳護され、「独一本門戒壇の大御本尊」としてあまねく衆生の無明を照らし続けているのである。・・・・・・・・・・・・・・・・
「妙法蓮華経 方便品第二より」
如来(にょらい)の出(い)でたる所以(ゆえん)は、
仏慧(ぶって)を説かんが為(ため)の故なり。
今、正しく是(こ)れ其(そ)の時なり。
舎利弗(しゃりほつ)当(まさ)に知るべし、
鈍根小智の人、著相驕慢の者は、
是(こ)の法を信ずること能(あた)わず。
今、我(われ)喜んで、畏(おそ)れ無し。
諸(もろもろ)の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、
但(ただ)無上道を説く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・了
【本稿について】掲載者:冨士宗学研究 野の蜂氏は東日本大震災が発生して種々の御協力を賜った法華講御同朋のお一人である。氏の文章を読み、佛法僧の三寶を敬う心が篤く、日蓮正宗の信心、法華講精神の汪溢なる人物であると私が見込んだ方である。氏と話し合ってみると、私に大変深い御縁のある御僧侶とも繋がっている方であった。道理で流石は某寺御建立寺院の御信徒だと深く首肯するところ甚だ大であった。
さて本稿であるが、十王讚歎鈔を通釈し、現代人でも分かりやすく説明したものである。十王讚歎鈔(昭和新定五十二頁、平成校定二千七百五十五頁、縮刷遺文五十四頁、昭和定本千九百六十六頁)は平成校定日蓮大聖人御書(冨士学林)には真偽未決篇に掲載されているので、直ちに御真書とは云えないが、また偽書とも断言出来ないものである。また真偽問題については血脈附法のお立場から御法主上人猊下の御判断と御書真偽検討委員会の科学的考究で判断すべきであり、安易に在家が「この御書は偽書である」云々と述べることは厳として謹まなければならない。
しかし仮に十王讚歎鈔が偽書であったとしても、往古の人々の死後観の資料として依用するに足るものである。また宗祖日蓮大聖人は岩本実相寺で一切經を閲覧されているが、仮に十王讚歎鈔の死後観を日蓮大聖人が否定するならば、一切經蔵で十王経を閲覧されているのだから、御妙判の中で否定されていない以上は、末代の凡夫が而も在家が偽書であると沙汰するのは許されないことである。新興宗教創価学会では導師御漫荼羅を否定する為に偽書と云っているに過ぎず、あることを否定する為に別の事柄を否定するのは目的の為の目的であって学問的ではない(僧侶否定の為に導師御漫荼羅を否定し、導師御漫荼羅を否定する為に従来「御書」と称されるものを否定するのは、学究的態度ではない)。
野の蜂氏の本稿に対して私は回向功徳鈔を以て応えたが、両鈔に共通していることは、生前の行いと遺族による御回向の大切さである。回向功徳鈔にはある兄弟の死後の違いを示している。生前の善根の有無、「僧を請じ、佛を造り、經を書、大乘妙典を讚歎」することの有無が成不成の正否に関わるのである。「經を書」とは末法においては折伏と云う化他行であろうか。
野の蜂氏が本稿で「命有る限り、追善を施して、回向の善行につとめさせていただくのが、有縁の亡者のためであり、なによりそれが自身の身の為でもある」と云われるように、追福作善・供給奉養するととも、回向の善行を積むことが肝要である。回向の善行とは法事や勤行の五座、春秋の御彼岸、盂蘭盆会だけではなく、平素から三寶尊を敬い、僧寶のお使いである御僧侶と師弟相対して信順し、お給仕・勤行唱題に懈怠なく、現実社会で折伏教化を実践して積功累徳を回らすことである。
通佛教的にも回向文と云われる「願以此功徳・普及於一切・我等與衆生・皆共成佛道(願はくば此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等衆生と皆共に佛道を成ぜんことを)」とは法華經化城喩品第七の御經文であるが、この四句の御經文は回向の大切さと、大乘佛教の自行化他の精神を示すものである。(本宗の
過去帳にも「願以此功徳・普及於一切」とある)
尚、本稿の中に「『妙法蓮華経』の真言真法たる『南無妙法蓮華経』」とあるが、この真言とは真言宗の意味ではなく、真実の語の意味であることを註して置く。
- 2011/05/10(火) 07:00:01|
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【寄稿】筆者:野の蜂氏十王経で説く冥界の十人の王の事(前編) 人間はその死の直後から暗黒の闇に包まれた茫洋たる野原(中有冥闇)に、ただ一人立たされて、「冥途の旅」を開始する。そして亡者は生前におかしたさまざまな罪業を、初七日から四十九日(七七日なななのか)までは七日おきに、それから三年までの間、次第に「十王」に依って裁かれ、その罪の軽重によって来世出生の処を断じられていくという。
ただし、極悪非道なる者はただちに、無限落下して即座に地獄に堕ちて行き、極善尊貴な人は、ただちにそのまま即座に成仏するので、この旅はないという。
「十王」はそのいずれも外見は、極道憤怒のすさまじい顔を現じているが、その正体本地は、皆、諸仏菩薩様であり、内に「大慈悲」を持(たも)っている。
ゆえに、娑婆世界に残った人々が、故人のために、仏様に「善」の行いをたてまつる事で、おおいに歓喜するという。これを「追善」といい「回向」の行とするのである。
①秦広王(しんこうおう)初七日。本地・不動明王。心細くさまよい、思いあぐねながらも、引き返すも行く末もさだかではなく方向も分からず、だからといって道を教えてくれる人もあらわれず、ふらふらと悲しみにくれながらも歩いているうちに、この王にたどりつく者もある。これは、罪の浅深によるものらしい。
やがて、最初の難関、巨大な「死出の山」にさしかかる。この山は、冷たく硬い岩で出来ており、けわしい急斜面は、剣のような大小の岩のかどだらけであり、これを、鬼たちにせかされながら、七日七晩かけて越えて行かなければならないのである。
越えて行き着く処にこの大王がいる。そして亡者をまじまじと見て言うには、「またこりもせずに来たのか。思えばお前が娑婆に還る時、鉄棒で後ろから三回、獄卒に打たせて、人間として還ったならば、素直に仏道修行して成仏するんだぞ、もうこんなところには来るんじゃないぞ、とあれほど言い含めたにも関わらず、なさけないことだ。なぜ求道せずに、いたずらに時をすごしてまた来てしまったのか。」と。
これに亡者は
「そうはおおせでありますが、もとより徳もなく、さしてめぐまれた環境にも生まれませんでした。また在家でもありましたし、おおせのような修行は思いもよらなかっただけです。ただただ、この身自身のつたなさをうらめしく思います。あやまちは、犯してはおりません。」と、応える。
これに対し大王は、おおいに怒りを覚え、そして
「ああ、お前のその理屈が通ると思えるのか、在家だからと言って、仏に成るべき道を願う事に、何の違いがあるというのか、成仏の修行に何のめぐまれた環境や、才覚や才能が必要なのか、お前は、後世(ごせ)(死後)という事を忘れ果て、不当な心や自分の考えのみで、生きて来てしまったからこそ今ここに座り込んでいるではないか。もしこの上まだ、何か詳しい訳があるのならば、申してみよ。」と問いかける。
黙り込むしかない亡者に、
「今の今まで、はばかることもなく道理めいた事を並べておったのにどうして今になって返事をしないのか。なぜ、答えないのか。」と詰め寄るように責めたてられる。
この時に、はじめて亡者は、「これはただごとではない」と気づき、真に後悔の念を覚えるのだ。しかし、後悔先に立たずである。そして、次の大王へと、追いやられる。
②初江王(しょうこうおう)二七日(ふたなのか)。本地・釈迦如来。亡者が三途の河(氷温水)を渡るのを監視する。渡る箇所が三つある事からこの名があり、瑠璃荘厳の豪華な橋(一)を渡れる者は極めて少なく浅瀬続き(二)で行く者もいるにはいるが、猛濁流のさなか(三)流石流木に身を砕かれながらも、いちいち元通りになり、極冷の川底と川面を、浮きつ沈みつあえぎながら、対岸をめざす者が多い。
七日七晩かけて渡ると大木が岸にあるのが見える。その枝々にかかるのは、無数の亡者が着てきた白装束である。樹の上と樹の下に鬼がいて、下の鬼がはぎ取り、上の鬼が受け取って枝にかけているのだ。こうして、裸のままでこの王の前にひざまずくと、この王が、
「お前は生きていた間にどのような善い事をなしたのか?申してみよ。」という。
黙り込むしかない亡者は、くりかえし問いつめられて、もしかして逃れられるかも、と思い、「実は、忘れてしまいました。」と答えてみる。すると大王は巻物を取り出しておもむろに広げると、そこには、大王に仕える二神によってそれぞれ亡者の生前の罪と善が別々にあますところなく事細かに記述されている。
読み始めるとつくづく我が身のうらめしさで、耳をふさぎたくなる。その姿に大王が獄卒に「早々に地獄へやれ」と命じるので、あわてふためいた亡者は、泣きながら
「私の家族や友人が娑婆にいます。私の為に、追善をしてくれると思いますので、しばしのご猶予を下さい。」と願う。
これに対し大王は、「よし、しばらく待つ事にする。」と言う。
この大王は王の中でもことの他、慈悲深くやさしい。なぜならその正体本地は、お釈迦様なのだから助けてあげたいとの思いを持っておられるのである。しかしいくら仏さまでも、罪業が原因で報いが結果として出るのは、道理なのだから、いかんともしがたいのは当然である。だから父母が病の子供を思うように、様々な教えを説いて、その後に本来の目的である「法華経」を最後にあらわして、すべての人々が、仏の道に入るようになさったのである。
さて、今か今かと待っていても追善のきざしもないので、娑婆をのぞいてみれば、残っている家族などは、自分の目先ばかりを見て、あとの暮らし向きの事ばかり話し合っている。あげくに遺品等の扱いに心うばわれ、仏さまのために善を成すのさえ、惜しむ気持ちで打算している者もいる始末だ。
思えば、生きている時にその者達のために、罪を犯した事だってあったのにと、ただただ怨みが湧くばかりである。ことここに至って、大王は、その残っている者達の振る舞いをごらんになって、ある者は即座に地獄に送り、ある者は次の大王に送られる。
大王以下の獄卒までも歓喜させる妙法を唱えかけられ、丁寧な追善を贈られて、その場で成仏をとげる者は、ほとんどいない。
③宋帝王(しょうたいおう)。三七日(みなのか)。本地・文殊菩薩。邪淫の罪を糾(ただ)す。この王に行き着く前に「関」がある。名付けて「業関」という。関守(せきもり)の鬼がいて言うには「関役(せきやく)を早く出せ。」と。
「私は自分が息絶え、眼を閉じて死ぬ時に、私物は皆、捨て置いてただ一重(ひとえ)着て来ました。その衣服も三途の河を渡った時に取られて見ての通りなにもありません。お願いですから通して下さい。」と懇願するが、じろじろとそのからだを見て、
「さんざんに悪さをしてきたお前の手足があるではないか。」と、鉄板を出し、いきなり手足をぶつ切りにして、鉄の板の上に並べるのだ。肝を冷やし気も失せるが、気がつけば影のような手足がふるふるとはえてきて自分から歩くでもなくただ、風に吹かれて、この大王の前に座る。(よく幽霊の図画で足や手がないのはこれに拠る。)
そして大王はおもむろに、罪人の罪の詳細を読み上げ始める。その声は途方もなく大きく耳をつんざくばかりで雷が鳴り響くよりもすさまじい。身をふるわせながら、うつぶして、ただ悲しみに満ちながら聞き続けるが耐えられない。
「私の家族や友人が娑婆にいます。私の為に、追善をしてくれると思いますので、しばしのご猶予を下さい。」と願う。これに対し大王は、「よし、しばらく待つ事にする。」と言う。大王以下の獄卒までも、歓喜させる妙法を唱えかけられ、丁寧な追善を贈られて、その場で成仏をとげる者は、きわめて、まれである。
④五官王(ごかんおう) 四七日(よなのか)。本地・普賢菩薩。妄語の罪をただす。この大王のところに着く前に、大きな江(かわ)がある。名を「業江(ごうこう)」と言う。幅五百里波静か。しかし熱湯である。また猛烈に臭い。
鉄のくちばしのある毒虫がいて、渡り行く罪人に吸い付いてはその身を喰らう。七日七晩かけて大王の前に着く。ここまでの苦しみ、つらさ、むごさに罪人も疲れ果て、ついに、
「いくらなんでも、私の犯した罪業は、これほどまでとは思えません。」と言い放つ。
大王は怒り「なんと無知なのか。心には小さく軽い罪だと身勝手に思うのだろうが、それはそれ、お前の考えにすぎない。しかもその上で我らの裁きに、いわれもなく疑いを持つとは何事か、まあ所詮お前の罪はお前の身の内にためてあるのだから、それを秤(はかり)にかけてみよう。」と言い、「業秤(ごうのはかり)」を取り出して、罪人を片方に乗せる。
もう片方には、巨大な岩石が乗せられている。あれよという間に巨岩の方が跳ね上がる。
そのようすは岩石がまるで、うさぎの毛のあつまりのようだ。獄卒たちが次々に、口汚く
「それ見たことか、それ見たことか。」とあざけり恥かしめる。そして秤から罪人を下ろし、鉄の棒でさんざんに身を打ち砕く。ちりぢりになっても元通りになりまた砕かれる。
「よく聞け。娑婆にいる家族達が、ねんごろな追善をいたしておれば、ここまで来る事もなかったろうに、お前が死んでその後には、自分らの事ばかり考えて、お前の事など、次第に忘れ果ててしまおうとしている。仏説に、置いてきた家族は後世の怨(あだ)だとあるが、まさにこの事だ。しかも我が身を恨むのでなしに、我ら冥官をあなどるとは愚かさも極限である。しかし、仏法に縁あればこそ、地獄にまでは堕ちずに、ここまで来たのであろう。この罪人を次の大王に渡せ。」と大王が命じる。
(続く)
- 2011/05/10(火) 07:00:00|
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【特別寄稿】筆者:こきち氏所感『法華講の山桃』に想う過日、私は『
黒川和雄氏に追従して獅子身中の虫の汚名を蒙ることなかれ』と題して寄稿させて頂きました。
これは大恩ある日達上人、御隠尊日顕上人猊下の平成3年以前の創価学会の宗義逸脱を戒める御指南の一部を謹載し奉ったものです。
それは黒川和雄氏設立の有志の会会員で某寺副講頭職を自称する方が「平成三年までの日蓮正宗創価学会は正しかった事は間違いないのです。」と公言したことに対して、これは決して黙視することではないと思ったからです。冒頭に私は「この投稿を読み、一日中本当に心を痛めていました。」と記しました。その理由は、己の身を弁えず恐懼甚だしいですが、第一次創価学会問題の際の日達上人の御苦衷の一分に思い至ったからです。もとより凡愚の身の私が日達上人の御心を拝するには端から至らない限りですが、それを差し引いても「もし間違っていたと言うなら、猊下様がいつ、その様な御指南をされたか、ここに書き込んでいただきたい。」などと御法主上人のお言葉を我利に用いようと声高に言い放つことに対して、声を揚げなければ只管日達上人に申し訳ない極みであると感じたのでした。また、このような考えを心中に持った講中幹部を抱え常に慰撫教導をなされる御住職様の御心労は果たしていかばかりであろうかとその御胸中を察する時、どうか御身体に障らなければ良いのだがと心配に思いました。
先月、私は御登山した折に日達上人の御命日の月でしたので墓前に参拝申し上げました。廻りには誰もおらずひとり読経唱題申し上げていると、上人のあの暖かき慈愛に満ちたお声が聞こえてきたように思えて忽然と涙がこみ上げてきました。対面所で親しくお目通りを賜った砌の慈しみに溢れるお優しいお顔、法華講の奮起を促され裂帛の御気迫をもって御指南あそばされた際の厳しいお顔、拙い奉仕にも拘わらず大坊食堂に用意してくださった冷たい素麺の美味しかったことなどなど、つい昨日のことのように懐かしく、有難く、想い出されました。
そして今も法華講に伝え継がれている上人がお詠み遊ばされたあのお歌に思いが到りました。
「山桃の 実は小さくも身を守り 広布の願い 萌えいづるらむ」
30年以上前、日達上人より法華講青年部に賜ったこのお歌を想う時、今でも私の胸は熱くなります。
このお歌に詠まれた山桃とは、初めての法華講全国青年部総登山を記念してお山の御塔橋のたもとに植樹した山桃の木のことです。植樹に当たっては法華講の青年がどこまでも真っ直ぐ正しく成長するようにと日達上人御自ら山桃をご選定下さいました。樹自体についても植木職人さんに対して(できるだけ真っ直ぐな樹を)とご指示までなされたと伝え聞いています。そして翌々年の第2回青年部総登山の折に、法華講の青年に見立て植樹して下さったあの山桃の成長を見守られるように、まだまだ何の力も無く未熟な私達に勿体無くもこのお歌を詠んで下さったのでした。
上人は私達に「あの人も法華講であったか、と世間から言われるような人間に成りなさい」「自分たちのお寺を、そして日蓮正宗を守る人になりなさい」と御指南遊ばされました、そして「私もみなさんと同じ法華講の出です」「勉強をして、仕事をして、自分の生活をしっかりと立てなさい」と励まして下さいました。
今、自分を顧みて果たしてその御指南にお応え出来えているかと考える時、私はとても恥ずかしく申し訳ない思いになります。しかし及ばないながらも、どんな時にあっても「なんだ、あの不様な姿が法華講なのか」「あの不埒な振舞いが日蓮正宗信徒なのか」と世間から後ろ指を差され蔑まれ、お寺の看板と御住職の御顔に泥をかけることだけは慎んで生きてきたつもりです。それが至らないながらも大恩ある日達上人への御報恩の一分だと想ってきたからです。
宗内を蹂躙する創価学会を厳しく戒められ、法華講の青年の成長に期待をされた日達上人御遷化より31年、早いもので明年は三十三回忌です。この間、宗義を私せんとした創価学会は第六十七世日顕上人猊下の御英断を以て宗外に放逐されました。宗内は本来の清風が取り戻され、今や御当代日如上人猊下の大号令のもとに広布の前進が新たに進められています。
組織としての創価学会は宗外に駆逐されましたが、一方でせっかく勇気を持って正法に帰伏しながらもその習気たる我慢偏執に染まったまま当宗の信仰を履き違えて自己満足を信仰の発露と勘違いしている人がいるのはとても残念なことです。勿論それは極一握りの限られた特異な人でしょうが、日達上人御在世には想像をし得なかったインターネットと云う媒体によって口汚く猥雑な言辞を弄し声高に我説を宗内に撒き散らした上、加えて著作権の侵害を繰り返すなど遵法精神をも欠いた人さえいる現実には薄ら寒さを憶えます。これらの人達は、その志はいざ知らず結果として正義宣揚どこころか当宗の名を貶め世間から物笑いになっていることに何時になったら気が付くのでしょうか。
「(宗内に)そういう間違った教義をする人があるならば、
法華講の人は身を以ってくい止めて頂きたい。これが法華講の使命と心得て頂きたい。」
これは創価学会の逸脱が宗内を暗く覆い出した昭和49年の上人の御指南です。この御指南に対しても、自分の言動を省みないばかりか専ら自らを正当化する為に(これは創価学会、顕正会、正信会に対しての御指南であろう)などと嘯き、「法華講の使命と心得て頂きたい」と云う御指南に流れる尊い思し召しを踏みにじる人がいることはとても嘆かわしいことです。私は教学もなく非力で小さく未熟な身であることは重々承知していますが、これからも日達上人のこのお言葉に従って生きていきたいと思っています。それは、あの山桃のお歌を賜った昭和51年11月27日、当時の交通事情からすれば御無理を押して秋田御親修から強行軍でお山にお戻り下さった日達上人より丑寅勤行の砌に「法華講の青年部の皆さんと一緒に勤行がしたくて帰って参りました」とのお言葉を頂戴したあの感激の場に参席していた者の努めであると固く信じているからです。
締め括りに改めて日達上人御指南を謹載し奉るものです。
「根っからの法華講」と云う言葉を殊更忌避し揶揄し弄ぶ黒川和雄氏及びその一派の方々には特に心して拝して頂きたく願うばかりです。
「
法華講の皆様は、あの戒壇の御本尊が法華溝の名において建立を願った、この精神は法華講の皆様が持っているはずである。持たなければならないのである。たとえ新しく来て法華講へ入った人も、元を尋ねればそれだけの因縁を持って生まれて来ているはずである。」
【本稿について】掲載者:冨士宗学研究 黒川和雄君及び黒川和雄一派がこきち氏が云われた「根っからの法華講員」の言葉に噛みついていると小生は聞いている。之について一文を認(したた)めようとも思っていたが、小生に書いてほしいとの要望があるので、後日書こうと思っている。
懼れ多くも御隠尊日顯上人猊下が御作詩あそばされた「地涌讃徳」の歌詞の中に「桜梅桃李ことごとく、無作三身の想ひあり」とある。小生はその歌詞に御本佛宗祖日蓮大聖人、御開山第二祖日興上人已来御當代日如上人に至る血脈伝法の大慈大悲を垣間見るものであり、唄う度に涙が頬を伝わる。故に拙稿「
黒川和雄君への八箇条の質問状」の中で「特に御隠尊日顯上人猊下が御作詩された『地湧讃徳』の尊い大慈大悲を御心を想えば、
法華講員であれば猊下に無断でアップロードはできない筈である」と小生は述べたのである。
日蓮正宗総本山冨士大石寺第六十六世日達上人は「山桃の、実は小さくも、身を守り、広布の願ひ、萌えいづるらむ」とお詠みあそばされたが、この和歌もまた御隠尊日顯上人の「地涌讃徳」と同じく、日達上人の大慈大悲が籠められているのである。誠に有り難く、恐懼の至りである。
今のお若い方々には分からないかも知れないが、日達上人もまた日顯上人も創価学会の昭和の所謂五十二年路線や自称正信会問題で大変苦慮された御法主様であらせられる。小生等在家には想像もできない御苦衷があったのである。衆生はそれが簡単には理解できないから、一部の者達は宗務院の制止を無視して檀徒大会の開催を強硬したのである。
黒川和雄君は今現在沈黙して、拙稿「
黒川和雄君への八箇条の質問状」、「
山口範道御尊師の御著書『日蓮正宗史の基礎的研究』PDF配布に関する黒川和雄一派への質問状」から遁走しているとも聞く。
黒川和雄君のことであるから、糾弾の嵐が去った頃にネットに出て来ようとの姑息な算段でもしているのであろうか。しかしそれも無駄であると知るべし。こきち氏が本稿の中で日達上人の「法華講の人は身を以ってくい止めて頂きたい。これが法華講の使命」との御指南を引用されているように、こきち氏は信仰の純粋な発露として黒川和雄一派を糾弾しているのである。こきち氏は御自身の損得尽で行動されていないのである。
本稿に「『なんだ、あの不様な姿が法華講なのか』『あの不埒な振舞いが日蓮正宗信徒なのか』と世間から後ろ指を差され蔑まれ」とあるけれど、汚い言葉を連呼し、また「有志の会」宗務院許可を捏造し、著作権を侵害する犯罪行為を糾弾され、回答不能に陥り、遁走している黒川和雄君の現在の姿そのものではないか。
黒川和雄サークル(黒川和雄一派)に参加されている方々には、こきち氏の本稿と拙稿「
黒川和雄一派の宗規違反及び違法行為に与同する方々へ(覚醒への道)」を熟読玩味され、黒川和雄サークルから速やかに脱会されるよう、心から小生は願うものである。
黒川和雄一派の方々からの本件に関する御質問には応じますから、お気軽に
メールでお問い合せ下さい。返信するのに多少日数を頂くことはあるかも知れませんが、誠心誠意で対応することをお約束致します。今こそ勇気を出して黒川和雄君のマインドコントロールの呪縛から脱して、所属の菩提寺様と講中にお帰りになる時です。
- 2010/08/29(日) 07:00:00|
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| ■【寄稿】黒川和雄氏に追従して獅子身中の虫の汚名を蒙ることなかれ |
【寄稿】筆者:こきち氏黒川和雄氏に追従して獅子身中の虫の汚名を蒙ることなかれ
>黒川和雄一派の創価学会無謬論を破折する
>「戸田会長を誹謗書き込みを良く見るが、平成三年までの日蓮正宗創価学会は正しかった事は間違いないのです」なる意見を黒川和雄一派の門人が主張している実は私もこの投稿を読み、一日中本当に心を痛めていました。
なぜなら、私の認識に間違えが無ければこの投稿は自称有志の会の中核メンバーで某寺副講頭の職にある者の論であり、同投稿の中では上記に続けて「もし間違っていたと言うなら、猊下様がいつ、その様な御指南をされたか、ここに書き込んでいただきたい。」とまで僭越に言い切るに至っては、更にこれに追従し途を誤る者が出ることを懸念していたのです。
元より黒川氏の妖しげなサークルに加入して書き込む気持ちはありませんので、本サイトをお借りして大恩ある日達上人、御隠尊日顕上人猊下のお言葉の中のからほんのごく僅かではありますが、学会が予てより宗門を蹂躙していたことの証左となるお言葉を謹掲させて頂き、そのあまりの蒙昧を晴らされ、どうかこれ以上黒川和雄氏に追従して当宗の獅子身中の虫の汚名を蒙ることのなきように願うばかりです。
日達上人お言葉 昭和53年6月29日 全国教師指導会の砌 於:総本山大講堂今年になって2、3回皆様にお集り願いまして、最後に皆様から学会が本宗の教義と違背しているところが有れば、皆それを指摘して本山へ提出するということになっておりましたが、早速全国からそれについてたくさん参りまして、一々文献を揃えて、新聞のこういう所に出ている、或はいつのこういう雑誌に出ているという風に細かく出て参りました。それを宗務院で整理致しまして同じ部類のものは皆一つにまとめて、同一のことがたくさん有りますし、又何だか訳の解らないどこが違反しているのか分らないのも2・3有ったように聞いております。
とにかくそれをまとめて清書致しまして今皆様に配ると思いますが、そういう風に一定の質問状を作りまして今月(S53年6月)の19日に学会へ提出したのであります。
それについて
学会から、今までの教義のまちがったこと又言い過ぎた分について答が出ました。それを今日皆様の手元に配りまして、皆様の了解を求めたいと思う次第でございます。だいたいその答の線であれば私も宗務院の方でも良いと思うが、皆様からその資料を集めたのですから皆様にそれをお渡しして目に通して頂きたいと思いまして、今日御集合を願った次第でございます。(抜粋)
日達上人お言葉 昭和53年11月7日 創価学会創立48周年登山代表幹部会の砌 於:大講堂大広間先程来、学会の幹部の方々から種々とお話を承りました。
確かにこの数年、学会と宗門の間に種々な不協和の点がありまして騒ぎにもなりましたが、こういう状態が続くことは宗開両祖の御精神に照らして憂慮すべきであることはいうまでもありません。
こうした状態をいつまでも続けているということは、世間の物笑いになり我が集団を破壊することにもなりかねないといつも心配しておりました。幸い学会においてその点に気づかれて今後の改善のために反省すべき点は率直に反省し改めるべき点を明確に改める決意をされたことは、まことに喜ばしいことであります。どうか今後は、今日の決意を出発点として池田会長を中心にいっそうの広宣流布への邁進と宗門外護を改めてよろしくお願いします。
僧侶の役割ははた目に見るほどなまやさしいものではありません。非才の身ではありますが僧侶は一同、常日頃から我が正宗僧侶にふさわしい人格と識見を各々が身につけるべく鋭意教育に努め、各人にもそれぞれ努力を促しております。また各寺院についても信徒の依止の道場としての確固とした基盤を築くべく日夜努力を重ねております。
しかしながら我が宗門においては若い僧侶が多く指導力が足らなくて信徒の皆さまに御不満を招く場合もあるかと思いますが、僧侶も寺も信徒の皆さまの暖かい御支援と理解と思いやりがあればより立派に育つものであります。もちろんどんな逆境にあっても御本尊を厳護し大聖人の仏法を一歩たりとも前進させるのが正宗僧侶の悲願であり、決して信徒や世間に甘えるつもりはありません。しかし人々の無理解のため、あるいは悪意の中傷に紛動されてもっともたよるべき
信徒が寺院を非難中傷し圧迫するようなことがあれば僧侶はまことに悲しい思いをいたして、否応なく反論しなくてはならないのであります。
こうした言動は破和合僧であり正宗の法義にももとる行為であると指摘せざるを得ないのであります。賢明なる幹部の皆さまは、この辺をよくよく御理解のうえ正しい寺壇関係の確立に最大の決意と努力をお願いいたします。これに対しては、各僧侶も最大の信頼と感謝をもって応えることにやぶさかではないのであります。(抜粋)
日達上人お言葉 昭和54年3月31日 第18回妙観会の砌 於:不明最近ことに学会と宗門との間に色々いきさつがございます。決して我々宗門としては学会をつぶそうとか、学会をどうこうしようという、そういう心でやっておるのではなくして、
長い間において学会が宗門の法義の上において間違ってきてしまった、それを指摘して何とか直して昔の純粋なる信心のもとに立ち直ってもらいたい、と思うが故でございます。
なるほど長い間学会はよく宗門のために尽くして下さいました。その功績は大きいのであります。しかし、功績が大きいからといって教義が間違い宗門から逸脱してしまえばこれは何にも役に立ちません。ただそういうふうに間違いを起こしてもらいたくないが故に、ただいまのように色々のことを指摘して学会を何とかして立て直してもらいたいと思ってやっておるのであります。
今後も間違ったことが有ればどんどん指摘します。今でも、色々間違ったことが内事部で分かれば内事部においてどんどん質問をするというように、盛んにやっております。そうしてこそ、はじめて大聖人の弟子・檀那として日蓮正宗がもり立っていくのではないか、と私は考えております。
なるほど学会では、「池田会長本仏などということを言った覚えは無い、学会ではそういうことは無い」と、こう言っております。しかしながら考えてみますと一番初めは昭和50年前後でしたか『火の国』という小冊子を学会のある一部の人で作った。その本に明らかに「
会長が仏様である」ということを述べておりました。又、もっと古くは、最近分かったのですけれども既に昭和38、9年ごろから「会長が仏だ」という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった。
『曽谷殿御返事』に「是には総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず」(全集1055頁)これはだれでもよく引用する御文であります。
その解釈に「
総とは一往血脈相承なり、再往は池田会長で、信心の大師匠である」と、こういう解釈をしておる。それはもう昭和38、9年のことです。こんなことを我々は少しも知らない。そのような地方のブロックヘ、若い人が教授と称して行って、こういうことを一生懸命に言って会員の頭に入れてしまった。総別二義の意義ということは、そんなところにもっていくもんじゃない。一往だとか再往だとかという言葉を使って我々の言う仏教用語をうまく利用して、とにかく一往は血脈相承だと言う。何で総が血脈相承か、おかしくてしようがない。又「再往は池田会長で、信心の大師匠」だと言う。そういうところから「
池田会長が血脈相承を承(う)けている。学会に血脈が有る」などと言い出してしまう。
あるいは『新池御書』に「何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥(いよいよ)法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし」(全集1440頁)という御文があります。その解釈に「これにつけて
七百年前は大聖人、現在でいえば会長池田先生」こう解釈している。「此の経の心をしれる僧」は大聖人、現在においては池田会長であると言う。それでは結局、
池田会長は現在における大聖人ではないか。そういうことを昭和38、9年のころにブロックでやっておったんです。
それを我々は愚にして知らなかった。まことに残念であります。昭和38、9年のころからもう既に16、7年に及ぶ。その間に積み重ねてきた教義の間違いというものは一朝一夕に直そうといっても中々できない。だから今この紛争が起きておるんです。これはどうしても僧侶は腹を決めて、教義の間違ったところをしっかりと指摘し、又自分もしっかりと指導していかなければならない。(抜粋)
日顕上人猊下 お言葉 昭和55年11月26日 創価学会創立50周年記念幹部登山の砌 於:大講堂創価学会幹部の皆さま。
本日、ここにお集まりいただいたのは皆さま及び全学会員の方々に対し、皆さまが日蓮正宗の信徒であるという大切な基本のうえから日蓮正宗の法主として種々お話ししたいためであります。
近年、創価学会が宗祖大聖人の大慈悲に基づく広宣流布の伸展を思う余りとはいえ、あまりに急激な発足のための種々の不調和から、いろいろなひずみがとくに宗門との間にでてきたことはまことに残念なことでありました。しかし日達上人は昨年5月3日の創価学会総会において、これらの一切の間題を収束せられ学会の反省・努力による今後の前進と活躍に十分の期待をかけられたのであります。
申すまでもなく、我が宗門における法主は宗祖日蓮大聖人より日興上人・日目上人と、唯授一人の血脈を相承しているのでありますから、宗内で教義に関して問題が起こった時はその裁定を行い、一宗を嚮導すべき地位と責任を有するのであります。その点から、
創価学会の過去における一連の教義の問題等の経緯と実情を深く慮うとき、確かに昭和53年6月30日の訂正に見られる如き、逸脱があったのは事実でありますが、それは終局的に宗旨に背反するものでなく未曾有の成果の実証にともなう教義解釈の行き過ぎ等に起因するのであります。故に、その根底に宗門の宗旨をないがしろにするごとき底意は、なかったと信ずるのでります。
なお、今回の僧侶の処分に関連して創価学会を攻撃、誹謗する僧侶達が処分されたのは、
創価学会に誤りがなかった証拠であり、指導者にも誤りなどはなかったのであるなどといってはなりません。それはいわゆる昭和53年6月30日、同年11月7日などの一連の発表にあらわれているように、
過去において逸脱があってこれを反省し、訂正したことは事実なのでありますから、たとえ学会に批判的な人達との対話等の場で多分に感情的な意味からであるとしても、そのような発言があってはならないのであります。こうした過去の経緯に鑑み、末法万年にわたる広宣流布を目指す今後の活動のためにも十分留意していただきたい点について、やや詳しく更に述べてみたいと思うのであります。(抜粋)
【訂正】掲載者:冨士宗学研究 誠に懼れ多い乍ら、総本山冨士大石寺第六十六世日達上人及び第六十七世御隠尊日顯上人の御指南を謹載し奉るに当たり、下線を引かさせて頂きました。
- 2010/07/09(金) 06:52:00|
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| ■【寄稿】自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」不祥事問題の要約 その2 |
【特別寄稿】筆者:こきち氏自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」不祥事問題の要約 その23.第一次・自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」事実上解散に追い込まれる
① この自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」不祥事が認知されて各処から指弾の声が上がるようになると、HNれいな氏こと黒川和雄氏はHP『創価学会からの脱会を考える会』に置かれた『日蓮正宗法華講“有志の会”』のバナーを消し去り、代わって「脱会を考えておられる方への相談窓口」との標記に変更する。
またコンテンツの後段に新たに「各地域の日蓮正宗末寺御住職様へ」や「ご注意」※なる但し書きを挿入し、言い逃れと思えるコメントを加えて批判を避けようと試みる。
※「私たちは折伏精神に燃えている法華講員の集まりであり、日蓮正宗末寺の活動を乱すような集まりではありません。また私たちは異流義からの脱会を呼び掛けているのであって、法華講組織からの逸脱を目的にする特殊な集まりではありません。ともに異流義の人々を折伏して、それぞれの地域末寺に所属させる活動をしてゆく目的で集いました。」
その考え、行動そのものが宗規に違反し伝統的師檀観を蔑ろにしていると再三に亘り指摘し、指導教師たる御住職に御指導を求めよ、と警鐘を鳴らしているにも拘らず、相も変わらず目的の為ならあらゆる手段が許されると履き違えているのか、弁えのない勘違い甚だしいコメントを以って局面を打開しようと足掻く姿が悲しく醜い。
② 5月21日、冨士宗学研究主宰者様が同ブログ上に
『平成九年の宗規改正とかかる布教組織の問題点』を発表し、再度自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」の欺瞞性を明らかにし「かかる布教組織の関係者におかれては事の重大性を認識して頂きたい。」と訴える。併せて参考資料として
平成9年11月25日付日蓮正宗宗務院「宗規改正にともなう宗務行政措置要項(抜粋)を掲示する。
参考
http://fujimonryu.blog40.fc2.com/tb.php/60-b786a6ba③ 5月第三週より、冨士宗学研究を閲覧したHNれいな氏こと黒川和雄氏の地元でもある大阪某寺の御信徒が自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」の違背性を指摘した本ブログの主張を「まさに正論」と賛意を示し、自主的に自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」不祥事について当該布教区内僧俗各方面に働き掛けを開始する。
この御信徒らの働きかけにより自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」不祥事はHNれいな氏こと黒川和雄氏の所属寺院御住職の知るところとなり、御住職はHN れいな氏こと黒川和雄氏本人に対してこれを厳しく叱責、御指導を為される。その結果、HNれいな氏こと黒川和雄氏はHP上から「日蓮正宗法華講“有志の会”」のコンテンツを抹消を余儀なくされ、第一次・自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」は発足後約3週間足らずで事実上解散に追い込まれる。
④ HNれいな氏こと黒川和雄氏の過去の行状を知る一部御信徒からは、発足する時は各方面に大々的に公知しながら事実上解散に追い込まれた際には宗規違反や伝統的師檀関係を蔑ろにしたことへの反省はおろか解散の公示も一切ないことから、実際には反省などしておらず暫くすればまた何らかの問題行動を起こすことへの危惧の声が寄せられる。
⑤
5月24日、冨士宗学研究主宰者様と寄稿者こきちの総意として、所属寺院の御住職から叱責され御指導を受け入れてコンテンツを削除したからには、ここは一旦HNれいな氏こと黒川和雄氏の良心と信仰心を信じて一往この自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」不祥事の追及はここで収束する旨を表明する。閲覧の方々に対しても批判的なコメントをされないように要望する。
参考
http://fujimonryu.blog40.fc2.com/tb.php/62-e8a69ebd http://fujimonryu.blog40.fc2.com/tb.php/63-651d92e7
【本稿について】掲載者:冨士宗学研究 こきち氏の本稿を読ませて頂いて、不図、支那事変のことが頭に過ぎった。支那事変は昭和十二年の
盧溝橋事件から始まった。我が日本軍は国際法・条約に従い合法的に支那に駐留していた。この支那駐留の日本軍と中国国民党(国府)軍が戦闘状態となったのが盧溝橋事件である。
(参考サイト「
昭和史の真実 PART II」、「
蘆溝橋事件の原因をつくった中国共産党」、「
蘆溝橋事件を拡大させたコミンテルン指令と日本人虐殺事件」)
我が国政府は戦線不拡大方針を打ち出していたが、モスクワのコミンテルン(国際共産党)の指令を受けた中国共産党(中共)の策謀に載せられた蒋介石が意に反しながらも戦線を拡大させ、日支両国に不拡大方針があったにも関わらず、支那事変は泥沼化した。
これで漁父の利を得たのは、ソ連邦であり、中共を初めとする各国の共産党である。その結果、地球上の多くを共産圏と成すことに成功し、フランスCNRS(科学ナショナルセンター)の研究部主任ステファン・クルトワによれば大凡一億人が虐殺された。ヒトラー・ナチズムによる犠牲者数が二千五百万人との説があるが、一億人と云えばその四倍である。
閑話休題。日支両国には支那事変は早く収束すべきであると考えていた。
そしてこきち氏から
「日蓮正宗信徒を称するHN『れいな』氏設立の自称『日蓮正宗法華講“有志の会”』の勧誘に注意」の原稿の掲載依頼があった時、小生は「有志の会」問題は早期に収束すべきであると思っていた。
そこに本稿にもあるように、專修山法住寺御信徒某氏がこきち氏の展開された所論と小生の解説に対して「まさに正論」と賛意を示され、こきち氏は某氏と懇談せられて、某氏の御高配によって、大阪南布教区宗務支院長の近山信澄御尊師の御尽力によって黒川和雄氏に対して眞法山妙輪寺御住職の坂田正法御尊師の御指導があって、「日蓮正宗法華講“有志の会”」は実質的に解散せられた、と小生も聞いていた。
この時点で本当に解散しておれば、ここまで事態は拡大はしなかった。黒川和雄氏の最大の失敗は宗務院の許可を得たと虚偽の情報を流して、黒川和雄門下生(会員)の引き留めを謀ったことである。この宗務院許可捏造が問題を大きくし、黒川和雄氏を取り返しのつかない事態に陥らせたのである。
宗務院許可を捏造して情報をネットに流し、黒川不祥事問題の泥沼化で漁父の利を得るのは誰なのか?そしてその被害者は誰なのか?黒川和雄氏におかれては貴殿に聊かでも信仰者としての良心をお持ちなら、この点を十分にお考え願いたい。
また拙稿
「FC2事務局より警告」の中に、懼れ多くも御隠尊日顯上人猊下の御指南を奉載させて頂いているので、併せて御指南も拝読熟慮願いたい。
《【寄稿】自称「日蓮正宗法華講“有志の会”」不祥事問題の要約 その3》へつゞく
- 2010/06/23(水) 14:14:14|
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