老教授鶴日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-03-31

jittyan2011-03-31

スカイツリー

 午後から浅草に出てなんじゃもんじゃをいただき、その後隅田川沿いにてスカイツリーを観賞。写真左側がスカイツリー、写真右側はビル壁に写ったスカイツリー。いい眺めです。ぼくも、いつの間にか、こうした超現代を被写体にしようとするようになったのだなぁ。といいつつ、携帯カメラは使い勝手が悪く、肝心の写真はボケている。拡大してお見せしないのがいいのだ。

 学習院中庭、旧ピラミッド校舎脇の枝垂れ桜が一人で美しがっています。

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 もんじゃ裏メニュー、「なんじゃもんじゃ」あるいは「いたりあーのもんじゃーの」、おいしいです。写真は「土手」を作っているところ。土手はもんじゃの命です、なんてね。

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2011-03-30 大きなお仕事 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 埼玉の本谷宇一さんから、新著『子どもが「発問」する学びの教室−「学習材」で変わる国語の授業』(一光社)の献本を受けた。ぼくが大学教師になり立ての頃からの研究会仲間。彼はこの3月末(つまり明日)で定年退職となる。その退職記念のお仕事の本ではあるが、本谷実践の珠玉の作品である。詩人谷川俊太郎さんが帯にも扉にも寄せ書きを寄せておられる。ぼくも「まえがきに代えて」を寄稿させていただいた。そして、やはり長年の研究仲間である西口敏治さんが「解説」をお書きになっている。日生連国語部会代表責任者そろい踏みといったところ。教室における「学び」のあり方を問い、その成果がしっかりと綴られている。

 そしてまた、小田原女子短期大学の中村弘行さんにお願いしていた著書『人物で学ぶ教育原理』をお送りいただいた。よくまとまっている、読みやすい、おらー負けたぜ。

2011-03-29 セガン生誕200周年の旅の構想 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 来年2012年8月に、セガン生誕200周年を記念して「セガン研究の足跡を辿る旅」が企画されている。某先生は参加されるかどうかは不明だが、「もし行くことになるのなら自分の青年期の自己形成に強い影響を受けたロマン・ロラン記念館(クラムシーのそれではなくヴェズレーのそれ)に立ち寄りたい」との強いご希望が出されている。セガンはロマン・ロランと同郷であること、ロマン・ロランはクラムシーで生まれただけではなく、クラムシーのサン=マルタン教会で葬儀を行っていること、ヴェズレ―はクラムシーからさほど遠くはないことなど、「せっかくの機会だから」と旅日程に組み込むことにしてもらった。

 今日は少しロマン・ロランについて学習。

 クラムシーに生まれクラムシーのコレージュで少年期初期を過ごすが、やはりさらに優れた学校を求めて、パリのリセ、サン=ルイに学んだ。おおー、セガンはもともとクラムシーに学びは求めずオーセールへ、そしてパリのコレージュ、サン=ルイで学んでいる。同じじゃないのさ。でも、その後が違うね。

 セガンはエリートコースから「ドロップアウト」し、法学部へ、ロマン・ロランはクランドエコールの一つ(グランゼコール)、高等師範学校へ進んでいる。すごいね。超が付くエリートさんだ。

 パリの生活で重なるところはないかしら・・・。

 ロマン・ロランが「ジャン・クリストフ」を書いたのは、多くがパリ、モンパルナス大通り152だと。地図を引っ張り出してしげしげと眺める。しかとした情報ではないが、このあたり、ぼくがうろつきまわる天文台、棄て児施療院、聾唖学校、そしてセガンの居住地あたり、ではないのさ。

 なんともはや、偶然の一致とはいえ、心はやる情報との出会いの今日。

2011-03-28 停電には役に立たぬが・・・ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 北のセマン所の整備を細々と・・・。キーボードやらマウスやら、ケードレスではないのでコードが結構邪魔になる。何とかしようと、朝からごそごそ。結局、書架兼執務机の奥の方に空けた電源ケーブル穴を通せば何とか収まることに気付き、作業。そのついでに、ラジカセのケーブルも差し込み、さっそく、ヘッドフォンを装填してラジオを楽しむ。それこそ何十年ぶりのラジオだ。若い頃のように「ながら」は出来ないけれど、ほっと一休みにはとてもいいように思う。停電になったら聞けないから今の役には立たない。

 昨日の『しんぶん赤旗』の「読書」のページ、「本と人と」欄に『人物で学ぶ教育原理』(三惠社)が著者中村弘行氏の写真入りで紹介されている。編集者の聞き書きという記事だ。中村氏は同郷の人で大学の後輩、つい先日、池袋の三木でクエのコースを一緒に食した仲である。いや、そういうことよりも、記事内容に、痛く感じるところが多かった。おぬし、やるよのぅ。

 本体のHP、接続できず。サーバー保守管理のためか?

2011-03-27 しっかりと生き抜こう このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 元気な二人に会って一安心。H君は、人生目的は届いていないが、もう一年、がんばってみるという。応援態勢もあること、めげるなよ。Sさん、支えてあげてくれて、ありがとう。

2011-03-26 アキバは人だかり このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 アキバヨドバシカメラうなぎ屋さんでひつまぶしを食べに出かけた。んまかった。

 お昼を済ませて各フロアーをブラブラ。人がどんどんやってくる。やはり「売れ切れ」棚がある。何だって買い占めるんだろうねぇ。

 北のセマン所が手元スタンドだけの明かりなので目の健康を考え、簡単な室内照明灯を購入。天井に光を向けてみたり壁に当ててみたりと、あれこれ模索。フランス滞在生活の間接照明を懐かしんだ。ほのぼのとした気分になる。

2011-03-25 デジタル時代に反抗する このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 今更遅い反抗ですが、アナログ時代の温もりを少しは身辺に備えておこうと小さな決意と行動。

 パソコンばりばり使いこなし始めた40代からもう20年は経つ。金属疲労をおこし始めたこの身体に優しいのは、何と言ってもアナログ・・・って言いながら、ブログ等、これからも日々、デジタルにお世話になり続けるわけでありますけれど。

 しかしなんですな、字が書けなくなりましたねぇ。下手を通り越して他人様にお見せできゃしねえ。あ、それで再び引きこもりというアナログか・・・。穴ログハウス生活。

2011-03-24 「お」をつけるのよしましょうよ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 いつから「お年寄り」なんて言葉が新聞に登場するようになったのだろうか。「老人」ではだめなの?人間皆平等なのだという観点から言えば、「おあかちゃん」「お子さま」「お少年」「お少女」「おだんな」・・・・。ほらけったクソ悪いでしょう。でもって「お」が付く言葉で違和感ないのは、天上天下唯我独尊」を地で行く連中だわさ。つまりなんだな、言葉に社会の「甘やかし」が現れているということ。甘やかされた連中にろくな者はおりません。

 それにしても、何だってそんなに「生き急ぐ」んじゃ?じっちゃま、ばっちゃまよ。ほんま、腹が立つ。

2011-03-23 面接訓練 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 卒業生が人物評価票の記入願いのため来訪。

 在学生が迫っている企業面接の訓練のために来訪。

 いずれもぼくの苦手とする分野。

 うまくいかなくてもともとだと思ってください。

2011-03-22 さしずめブルネヴィユ版か このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 初めて外国文献に触れたのは大学1年生の時。ペスタロッチを原書で読もうと一念発起し、先輩などから「玉川大学から彼の選集が復刻されており入手できるよ」と教わりいそいそと出かけた。それは今も手垢に汚れて書架に収まっている。それを用いる長尾十三二先生の原書講読ゼミに参加させていただいたのは3年生の時だったろうか。もちろん落ちこぼれだったが、「コッタ版」という言葉が耳にこびりついている。ペスタロッチの作品の編集者によって多く手が入れられている。コッタ版もその一つ。それで、原書講読というのはそういった各編集版を照合しつつ、ペスタロッチの記述すなわち思想の正確な把握に努めるのが、重要な研究活動である、と教わった思いがある。ペスタロッチともあればさもありなん。

 されば、我がセガンは?

 セガンの著作(集)は幾人かの手によって編まれてきた。もっともセガンの時代に近い人がブルネヴィル。彼は「第2期白痴の教師の最初の人」と称されている小児科医である。彼が編んだ19世紀末の「特殊教育文庫」シリーズはじつに偉大な業績だと、ぼくは思う。その中に、セガンも収められている。ぼくが確認した限り『教育に関する報告』第2版(1880年)のフランス語翻訳版である。

 その『特殊教育文庫』第3巻に、セガン『1843年著書』が収められていると、ペリシエとテュエイエとが書いていたので、確認の作業に入った。さしずめブルネヴィル版というところか。『法医学年報』が初出(オリジナル)だが、どう編集(改訂)されているのだろうか。

 ドキドキしながらページをめくるが、それらしい痕跡を見ることができない。うーん。

2011-03-21 雨、行き詰まり、脱出・・・ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 一雨毎に暖かくなるのだろうけれど、今の雨はつらい思いの方が強い。だが、花桃の固い蕾が膨らんだ。

 終日、北のセマン所で翻訳作業。どうにも構文がつかめないで苦しみ続けてきた箇所を何とか突破。

 一文を入力し、逐語訳を付けていく…。丁寧に眺める、何を見落としているのだ?この動詞の主語は何だ、この動詞の時制は何だ?フランス語基礎を手抜きしてきた付けに苦しめられてしまう。手抜きというより、学習方法が分からなかったんだけどね。仏和辞典だけが頼りの学習者。

 何とかくぐり抜けてみると、セガンが見えてくる。といっても、まだ玄関の戸を開けたところで石に躓いただけの状態なんだけれど。

 でも、このまま続けよう、と改めて決心した。

2011-03-20 卒業 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 さすがに例の服を着た学生は少ない。そして親子三代姿も少ない。少ないだけでいないわけではないのだけれど。これを機会として、いわば、制服行動化していた「習慣」が新しい習慣の創造に転じてほしいと思うのだけれど。

 研究室で故S君の「レポート」を探す。1977年度のゼミ主題「生活綴方の通史的研究の試み」(『生活綴方研究』第2集)に収録されていた。懐かしく読み、寂しさを覚える。

2011-03-19 思い切って… このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 昨夜は、賑やかな議論の中で静かに佇み、討議の行方をしっかりと見極めていたS君を思い起こして過ごした。ぼくができる弔意とはそんなことぐらい。もうS君がゼミにやってきたのは、30年も前のことなのだった。

 今日は、物置と化していたぼくの「書斎」スペースを大整理し、本格的に「晦日」体制を整えた。文字通り月明かりが届かない居住空間、俗称、北のセマン所。セガン1843年著書の翻訳の本格的作業の開始。

 

2011-03-18 無念.口惜しい。 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 埼玉大学時代のゼミ生のS君が津波に呑まれて死亡したとの知らせを受けた。無念この上なし。奥方他のご家族はご無事とのこと。どのように弔意を表せばいいのか。

 今日は会議予定だったので出校、途中で書面会議に替えるとの連絡を受けたが、それはそれとして職場の状況をこの眼で収めたいと思い、研究室へ。

 今年度の歓送迎会は中止。新年度を迎えるための会議は中止にするわけにも行かず、開催決定。ただ、ご参加可能かどうかが不明の同僚もいる故、議題は限られるだろう。すべて主任の判断。

 新『セガン研究報』の2号の完成版を作成。続く3号の発行めどは立たない。あまり無理をしないようにしないと。

2011-03-17 不条理 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 「互助」社会を根底からひっくり返す「買い占め」連中。「我欲」連中。あれこれを理屈をこくのだろうなぁ。

 それにしても、連絡がまったく取れないかつての教え子数人。今どこでどうしているやら。

 卒業式は中止の学長通知。ぼくの大学卒業も、式典はなかった。教育学科として祝い写真を撮ってもらったっけ。かつてのそれと今年のそれとは事情がまるで違うのだけれど。

2011-03-10 めでたやなぁ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 N君が来室。埼玉県内の私学高校で4月から講師として働くことが決まった、との報告。彼とは『歴史学』に関わって議論を交わし合った仲だから、ことのほか嬉しい。決まるまでが大変だったようだ。その経験を是非後輩に伝えたい、との意向。「学習院生活10年が終わり、まったく新しいフィールドに立ちます。でも、必ずここに戻ってきたい。」「母校」をこよなく愛する彼がうらやましい。もっとも、「愛する」にふさわしい学園であることは、ぼく自身が強く感じていることだけれど。

2011-03-09 めでたいなぁ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 一年生のOさんからメール。この間相談に乗っていた件で、無事関門を突破したとの知らせ。(泣 と添え書きされていたから、よっぽど嬉しかったのだろう。まずは人生の目的の第一歩。おめでとうです。

2011-03-08 疑問符がいっぱい付く このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 中野善達氏の訳、セガンの1843年論文(著書)で、アモロスに言及する箇所がある。「アモーロス氏の書物と研究は、実践面ではほとんど見るべきものが無く、私の感じでは、せいぜい理論として可能なのであるに過ぎない。云々」 これを読む限り、「セガンはアモロスの理論と実践に多大な影響を受けている」との説は成立しない。もちろん、中野訳が間違っていなければ、の前提が付くが。

 で、中野訳はでたらめも程々にせい!という代物。「こまっちゃうな〜♪こんなにでたらめで〜♪どおっしよお〜♪」なんて戯れ歌が口から飛び出してくる。

2011-03-07 春の雪 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 雨が降っている中をゴミ出し。その帰宅途中で雪に変わる。しんしんと、と形容したいところだが、べちょべちょ。門のあたりの雪を少し除く。

2011-03-06 史料クリティーク作業 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 セガンが1846年著書に自身の実践立論の客観的評価を意図して全文引用している1843年12月11日の王立科学アカデミー報告文の原文(原史料)を入手。早速セガン著書のクリティーク。単語の入れ替え、句読点の加除、等々、紙面が真っ赤になった。原史料の文章の問題ではあるが、セガンの「正義感」が生の歴史をその後の歴史にゆがめて伝えることに荷担している。結局原史料主義で歴史を見る必要があるという教訓事例。

2011-03-05 資料作成 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 もうすぐ来学期。よって授業の資料作成。いい資料が出来るといいな。

2011-03-04 「第一人者」「大家」だと・・ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 戦前生活綴り方研究に関わる問い合わせの便りをいただいた。いや〜、懐かしい世界です。お便りの中でぼくのことを標題のような形容を付けていた。誰かに入れ知恵されたんだろうね、そう書きなさいよ、って。で、それは間違いです。真面目に「お力になれません」旨を認めて投函。

 日本セガン研究会の会報の郵送作業。

2011-03-03 差配 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 引退する宣言をした人から、「それは止めて貰いたい。きらいな人、嫌な人の参加は困る。」との注文。ん、差配は止めないってことね。

2011-03-02 一献 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 今夜は作家の海輪有さんと美味い魚をアテにして一杯やる。「クエが食いたい」との申し出があった。オレも食いてえ。店に電話を入れているがまだ繋がらない。さて、クエるか。

2011-03-01 祝い酒 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 セガンを学ぶ中で既知となった若い友人がこの4月から大学人となる。めでたやめでたや。祝いの酒を酌む。