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17時台の特集/バックナンバー
目次 › 2013年5月14日放送の17時台の特集/バックナンバー
アンカーズアイ 〜フリーマーケットに込めた暮らしへの思い〜
大阪の四天王寺で毎月第1日曜日に開かれるフリーマーケット「わっか市」。農薬を控えた野菜や手作り雑貨を販売する店など、およそ90店が軒を連ねます。

「人の輪、食べ物の輪」を広げたいという願いを込めて、去年4月から始まった「わっか市」。スーパーと違い客と生産者が直接会話でき、安全でおいしい食品を買えると口コミで評判が広がり、人気を呼んでいます。

買い物客は…「会話もできますし。どういう人が作っているのかもわかりますし、安心ですね」「毎月来ています。お店の人もすごく気さくにお話してくださいますし、私がこうやって母連れてきたりとか、友達連れて来たりとかで、広がるのも楽しいな、と思います」

出店者は…「ぼくらもこの販売の形が大好きで、直接お客さんと話しできるし、ジャムみたいな加工品作っていると、味の感想聞いたりとか、そういう会話ができるので」

わっか市の主催者・中川誼美さん。東京、埼玉、京都でも同様の朝市を定期的に開いています。

中川さん…「昔は八百屋さんに行ってみんなその会話の中から今夜のおかずを決めたんですよね。それが普通の暮らし方だった。だからどうしても、生産者の方と消費者が直接出会う場所っていうのが欲しかったので、それで東京の朝市を始めたのが3年ぐらい前ですね」

京都。祇園近くの閑静な場所にたたずむ、築100年を超える数寄屋造りの旅館。中川さんが経営する「京都吉水」です。

客室の日本間には、テレビも冷蔵庫もありません。ダイニングルームでは、薪ストーブで暖をとり、朝食には近郊で採れた新鮮な野菜などの食品が並びます。

中川さん…「よく眠れた?」
外国人客…「イエス」
中川…「どのようにこの宿に決めたの?」
外国人客…「こぢんまりしていて、とても評判がいいので」

中川さんが、日本の暮らしを見つめ直したのは1970年。夫と1年間滞在したアメリカ・ウッドストックで、文明以前の自然な暮らしを愛するヒッピーたちに共感したといいます。

中川さん…「ほんとにオーガニックの発祥の地。そこはもうホントにみなさん環境を大事にする。 そこで暮らしたことが全部の原点になりましたから。日本でもそういう何かエネルギーを使わない暮らしっていうのが普通にありましたし、畑から採ってきたものをそこで食べるっていうのも普通だったしね」

帰国後、夫の印刷会社を手伝いながら2人の子どもを育てたあげた中川さん。多くの人に昔ながらの暮らしを味わってほしいと、旅館業を開始。2002年東京にオープンした「銀座吉水」は、イギリスの新聞社、テレグラフの「東京のホテルランキング」で2位にランクインし、海外からも高い評価を得ました。しかし、おととしの福島第一原発の事故を受け、顧客層だったヨーロッパからの客が激減。閉店を余儀なくされたのです。

中川さん…「こんなに世界に放射能ふりまいていて、まだそこに反省がないっていう国のあり方が私はわからないですね。だから『できるだけ電気使わない暮らししましょう』って、それしか言えないんですよ。理想としては、そういうものを使わない宿屋を作りたいと思ってますよ、薪でごはん炊いて、自家発電して電池切れしたらみんなで真っ暗の中で寝るとかね」

この日向かった先は、山口県の瀬戸内海に浮かぶ祝島です。人口500人に満たないこの小さな島に、理想の暮らしがあると中川さんはいいます。 祝島を訪れた目的は銀座吉水で取り引きしていた生産者に会うためです。もう一度島の食材を旅館で扱いたいと、たずねました。どの食材を、どんな人が作ったのか、島の人が中川さんに紹介します。

中川さん…「いや〜ひじきがおいしい。ねぇ、海の香りが。ここにあるものは、全部生産者も加工してる方もわかるという、こういうお食事を食べるって、ホントにこういう小さな地域でないと、なかなか難しくなっていますよね。」

しかし、このひじきを育む海を、30年以上もおびやかしている問題があります。

島の男性…「あの辺り」
中川さん…「ホントに真正面ね、これ」
島の男性…「直線距離で3.5キロぐらいです」
中川…「あら〜。たった3.5キロ」

中国電力、上関原子力発電所の建設予定地です。

中川さん…「こういうこと考えつくこと自体恐ろしいことですよね。ホントにそう思う。これ都会のためじゃないですか。ここのためじゃないですよね。現場が犠牲になって、経済が優先しているその図式で全部成り立っているでしょ」

島の男性…「別に原発も含めてそんなに電気使わなくたって豊かな生活できると思いません?僕ら今の生活で十分満足してんだけど。たかだか30年か40年しか稼働させない原発で、海の生態系を壊しちゃうと、もうそこで終わっちゃうじゃないですか。そういうこと発想すること自体が…無責任っていうかさ。次の世代に対して無責任っていうか」

1982年に浮上した上関原発の建設計画に対し、地元上関町では賛成派、反対派が対立、その中で祝島の人々は反対を貫いてきました。当時の祝島漁協は、中国電力から提示されたおよそ10億円の漁業保証金の受け取りを拒否しました。万が一事故が起きた場合、海が荒れて船を出せなければ、祝島の人は逃げることすらできないのです。

祝島に育ち、ひじきを生産する男性は…「うちらの海は、ここしかないんでね。だからここの海を守らにゃあ、このひじきも食べれんようなる。ひじきはよそでも採れるかもしれんけど、やっぱりうちらの海で採れたひじきを炊きたいし、食べていきたいですね」

上関原発の建設は、福島第一原発の事故のあとも、撤回されていません。

中川さん…「私は『命』って言う所にね、たった1回しかもらえない命じゃない?企業も人もそれをなぜこんなに大切にしないのか?っていう、そこだけなんですよね。だから、3月11日のあと急に放射能が騒がれていますけど、じゃあそれ以前の農薬やら、もう防腐剤やら、化学肥料やらってものは、じゃあどうなの?って。だからわっか市でもそういうことを共有したいと思います。何気なく。何か運動のようなことをしていくんじゃなくて、日常の中で何気なくね。」

「毎日の食や暮らしを見つめ直してほしい」。わっか市を通じて、中川さんの思いは少しずつ広がっています。

買い物客は…「イベントがきっかけで食べるようになって、ここの野菜でやっぱり体調ちがってくるので。味がちがうから子どもも喜ぶし」「もちろん割高なのはわかっているけど、でもやっぱり体にいいと思ったら、やっぱり子どもたちにね、安全でおいしいもの。おいしくないと子どもって食べないんですよ」

中川さん…「マイナスのことを言って来るんじゃなくて、プラス思考で変えてきたい。『こんな快適な暮らし方がありますよ』っていう中に、エネルギーに頼らない暮らしがあってもいいんじゃないかってことを暮らしから落とし込みたい」


2013年5月14日放送
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