@ihayato 人に対して誠実であろうとすることは、すごく難しい。謝った情報やその時の人間関係の状況で、相手のために正直にいったことが、実は間違い、ウソを教えていることもありますよ。あなたのノマド礼賛が時に行き過ぎて社会悪に見えます。
— 沙菜子(さなこ)さん (@36sanako) 2013年5月16日
「なたのノマド礼賛が時に行き過ぎて社会悪に見えます」というメッセージを頂きました。晒すようであれですが、そんなに悪意はありません(怒ってもいませんよ)。この手の「社会悪」批判はしばしばいただきますので、改めて書いてみます。
イケダハヤトを信じるな
まず、この手の批判に違和感を覚えるのは、発言の前提として「イケダハヤトの言葉に煽動されて人生を失敗する弱者たちが存在する」という理解があることです。
論点①は、「そもそもそんな弱者いるのか?いるとしたらどう振る舞えばいいのか?」という話。
ちなみに、ぼくはそんな「弱者」に、今まで出会ったことがありません。ぼくのブログにたどり着く時点でそれなりの情報リテラシーがあるのではないでしょうか(読者の大半は東京在住で、20〜30代の大人です)。
とはいえ、世の中にはそういう人も存在するかと思いまして、最近は努めて「ぼくの意見はあくまで個人の意見に過ぎないし、責任は取らない」と宣言しています。
この記事自体もそうです。「参考にするのはいいけれど、ぼくの言葉なんて信じるな。信じられても困る」と、ぼくは読者に伝えているのです。
こういう態度を「無責任だ」「プロ失格だ」と罵る方もいるのですけれど、むしろプロだからこそ、自分の無責任性を強調すべきなのです。だって、事実、責任なんて取りきれるわけがないんですから。むしろ「俺の言葉を信じろ」なんていうライターは傲慢ですし、確実に裏がありますよ。
死にさえしなければ、失敗なんて取り返しがきく
論点②は、「失敗って悪いことなの」?
ぼくのことを「社会悪」だの「ハーメルンの笛吹き」だのdisってくる心配性の人たちは、失敗に対する感覚が狭すぎるように感じます。
そもそも、ぼくは失敗を悪いことだと思っていません。「失敗したらどうするんだ!?」となじられても「いや、どんどん失敗すればいいんじゃね?」と返します。
たとえぼくのブログを読んで「よっしゃー、学生だけどイケダハヤトさんの言うことを信じてノマドになるぜ!」というバカな若者がノマドにチャレンジし、失敗してフリーターになったとしても、それはそれでいいんじゃないでしょうか。失敗することで彼は多くのものを得るはずですから。この程度なら、いくらでも取り返すことができますよ。
人生における憂慮すべき失敗なぞ、「自殺する」くらいのものです。これだけは取り返しがつきません。ゆえに、とりあえず「自殺だけはいけない」とぼくはみなさんに強く伝えます。もしも死にたくなったら、メールをください。ぼくのできる範囲で、支援団体などをご紹介をさせていただきます。
というわけで、ぼくは無責任です。そして、死にさえしなければ、どんどん失敗すればいいと思います。そんな価値観で情報発信をしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
事実を語るために「無責任」と書いてますが、どうしようもなく困ったら、ダメもとで連絡をください(nubonba@gmail.com)。場合によっては、助けになれるかもしれません。
要するに、自分のアタマで考えよう、ということです。
そんじゃーね!