皆様、GWはいかがお過ごしだったでしょうか。
私は特段の何かはなく、どこかに旅行に行くとかもせず、空から女の子が降ってくるみたいな珍事に遭遇したりもしませんでした。私事から離れた時節柄の話題をブログで書こうとして途中でやめたことくらい。
こういったことはまた別の日に。
予め申し上げておきます。
これからお話しすることは、『これまでと同じく蒲焼を使っての鰻の話』です。たとえは個人的に現在、美味しい鰻を食べたいから浮かんだだけで、鰻でないと都合が悪くなるわけではありません。念のため。
どういうことかといえば、蒲焼なので頭も尻尾(尾鰭)もありません。故に本来の姿は想像しづらいでしょう。泳ぐ姿や生態などなおのこと。それでも、これは間違いなく鰻です、ということです。
読解とは別のこのことを分かって頂けている方はちゃんといるので、別にわざわざ断らなくてもいいかなとも思ったのですが、そうではない方から、的外れな論評や中傷をされるのは意外に面白くありませんので、触れることにしました。
この点のご理解お願いします。
さて、ネット上で騒動が起こっている件について、早々に知らせて頂いていたりもしたのですが、私がこのことに多少でも触れたのはそれなりに月日が経ってからでした。
現時点に至っても、落着に至る気配なく続いているみたいですね……。
あくまで、なんとなーくではありますが、情報なり認識なりがどういう感じで中では移ろっているのかが、妙に実感が伴って推察できるのはなんともはや……。
おかげで概要しか触れておらずとも、時に言わずにはいられない気持ちにもなりました。そういった発言が、また不可解な勘違いを招き起こすことになったらしく、それについては、率直に申し上げれば、うへえ、でしかないのですが、まあこれはさておいて。
といっても、疑惑とされる事柄で、少なくとも私から申し上げられる直接的で具体的な何かはありません。
なんといっても、「私のことは他人に聞いた方が早いですよ」って言ってしまう人間ですので。その上で作家としてとなると、本来なら初期の段階で知らされて当然の当たり前の事柄について、それこそ戦略に関わる重大事でさえも、弊害や不都合が出てきた段階になってやっと知らされた、といったことは度々でした。逆ギレのオプションもついたりしました。
それでいながら実は、件の騒動と、私と小山さんとのごたごたは、無関係ではないどころか密接に関係あったりするのです。
事情説明でさらりとした形でしか触れてませんが、話の過程で私は小山さんにある事柄について意見を伝えていました。それは不正や不法、契約とは関係ないことですが、一個人に留まらない事柄です。
背景には、以下のようなものがありました。
・かつて編集側がそれで盛大な失敗をし、しかも、対応策でも失敗し、このどちらの段階でも、私が最大の被害をくらった。
・対応策の過程で図らずも得られた個別要因。
・他からもこの種の声は編集部へ上がっていると思ったこと。
これらは全て触れてますが、ただ何もかも明け透けには、さすがに小山さんにも伝えたりしておりません。
理由(動機)はともあれ、
「現状のままでは、いずれ大きな不測の事態を招く可能性がある。
その場合は、『作家』と『出版社』にリスクが及ぶ。
またそうなると、編集側にもそのリスクや責任とどう向き合うかの問題が出てくる」
こういったことが考えられたからです。
ただ、これを伝えた際も、後にも、(「こうしろ」といった)要求ではなく「あくまで意見として伝えます」とは明言しています。
それで結果、どうなったかといえば、小山さんから「信頼関係喪失の理由」にされただけでした……。
「電撃文庫編集部の編集者は、他の編集部にはない能力と仕事意識(責任感)があるから現状どころかそれをなお拡張させたとしても、プラスにはなっても、問題になどならない。そこに対して、懸念(疑念)を向けるのは、電撃文庫編集部ならびにAMW社との信頼関係を損なう行為だ!」
実際にこういった発言こそされておりませんが、信頼関係喪失の理由を告げられた際の言葉や、電撃編集部としての方針から示された小山さんの論理はこれにどれほども外れておりません。
それでですが、現在、起こっていることを考えるに……。
………。
……。
余計なことと思いながらも、それでも私がその事柄に関しての意見を小山さんに伝えたのは、作家と編集というより、作家と出版社にとって長期的にためになると思ってのことでした。
意見が取り上げられないだけなら、こちらは仕方ないと思うしかありません。
ところが、「そういう事態を招く可能性がある」と意見をしたら「信頼関係を損なう行為だ」と編集部の部長から断罪された上での現状なわけです。
そうなると、
「懸念を伝えた人間を強権ふるって処断するよりも、小山さんは部長としてもっと優先して取り組むべきことがあったんじゃないの?」
ぐらいはさすがに言いたくなるわけです。
それと同時に虚しさもあります。
意見そのものについて私は伝えた時点でも相応の確信がありましたが、伝えた行為は心底、後悔しています。
動機そのものは本当に双方にとって有益だと思ってやった結果がこれなんですから。
今までだってそんなことまずやってこなかったのだから、らしくないことなんてやっぱりするものではないのでしょう。
それにしても、三、四年後ならいざ知らず、一年もしないうちにこんな慨嘆を覚えるとは思いませなんだ。
潮目を読むのはそれだけ下手ということでしょうか。