IRデータバンク第14回目のインタビューは、中小企業の活性化をビジネスとして展開する株式会社ベンチャー・リンクの松本信彦社長の登場です。【2007年9月28日実施実施】



――ベンチャー・リンクが創業されるまでの経緯をお教えください。

 ベンチャー・リンクが作られた時はまだ入社前の大学生であり、大学を卒業して新卒入社でこのベンチャー・リンクグループに入り、15年経って社長になったというスタイルですので、そういう意味では私は創業のメンバーではありません。

もともとベンチャー・リンクは経営コンサルティング会社、日本LCAの新規事業子会社として作られました。きっかけはいくつかあるのですが、いちばん大きなことは、コンサルティング会社が事業を実践するということです。

コンサルタントというのは人にアドバイスをするのであり、自分で事業をするわけではありません。ですから、「自分で事業をせずに人に教えられるのか」という疑問があるわけです。自分で実際に事業をして、成功させて、初めてそれをお伝えする、あるいはお教えするという方がはるかに説得力があります。
それが、コンサルティング会社が事業としてベンチャー・リンクをスタートさせた理由です。さらに、株式上場のコンサルティングをするのであれば、「自分たちも上場を経験してみよう」という観点で、「設立して5年で店頭公開をするぞ」という意気込みで昭和61年に始めました。

今のジャスダックが店頭公開市場として機能しはじめたのが昭和58年であり、これにより日本でも店頭市場というものができました。それまでは、日本でいう上場とは「立派な会社でなければ上場できない」といったものでした。それが中小企業でも上場できる門戸が開かれたのです。それを見た弊社の創業者の小林忠嗣は「ようやく日本にもベンチャー市場ができた」と思い、できたからにはなんとしてでも上場してみようと考え、はじめから上場するつもりの新規事業として作ったのがベンチャー・リンクです。

ベンチャー・リンクは、今では当たり前となりましたが、ベンチャーキャピタルからお金を集めて回ったり、日本生命さんや東京海上さんなどの企業から出資を得たりしてスタートしていますので、今のベンチャー企業の作り方の先駆けのような形で出来た会社です。最初から、「コンサルティング会社が事業をする」「事業としてやるからには短期間で上場を目指す」ということを狙って作った会社でもあるのです。

ここまでは経済的な角度から説明いたしましたが、内側の理念的なことで申し上げれば、親会社の日本LCAという会社は、それよりもさらに22年前の昭和39年、ちょうど東京オリンピックの年に生まれました。当時の時代環境というのは高度経済成長期で、中小企業がモノを安く作ればどんどん売れていくという、そういう時代に製造業のコンサルタントとして日本LCAという会社はできました。

中小の製造業の支援をするという志で作られた日本LCAですが、コンサルティング会社を上手に運営しようとするとジレンマが生じます。
良いコンサルティングができるコンサルタントを採用して育成しようと思うと、勉強してちゃんとした大学を出た人となりますので、当然、給料が高くなります。その給料の高い人が中小企業のコンサルティングをするわけですから、企業からもある程度のお金をもらわなければなりません。ところが中小企業には支払い能力に限界があります。

このジレンマを解消するために、いい方法はないかと考えたのです。
そこで考えついたのが今で言うところのB to B、つまりいろいろな企業と企業を結びつけることによってこの課題は解決するのではないかということです。取引先や販路を拡大し、新しい商品との出会いの場を設けられるようなネットワークを作ろうではないか、と。

そして、このネットワークを全国の地方銀行や信用金庫に展開しました。地銀や信金というのは、地域の企業を育成しなければならない立場ですから、タイアップが可能でした。これにより各地域の地銀や信金の渉外の方が当社のレポートをお客さまのところに持って行くことで役に立ち、また取引先の拡大も図れるわけです。このネットワークへの加入は月々4,000円の会員制とし、会員に対しては何でも答え、どんな取引先にも紹介し、あるいは新規事業のアイデアを提供するのです。

そういう発想で新規事業を作る、これがベンチャー・リンクのスタートでした。中小企業の社長にとってなくてはならないいろいろな情報をローコストで提供できるということ、つまりコンサルティングのディスカウンターです。月4,000円というローコストで何でも答える。しかもインターネットがなかった時代にB to Bを実現するという事業を始めたのです。
そういう意味では、経済的にはベンチャー企業のはしりのようなことを行い、理念的には中小企業をいかにしてサポートできるか、という志を持って作られた会社です。


――御社のビジョンやビジネスモデルについて教えてください。

 われわれのビジョンは、日本中の中小企業の方々に対して、5年後10年後に本業にできるような新しい事業を次々と生み出していくことです。それを、できればフランチャイズという形で作り出していきたいと思っています。いろいろなビジネスを生み出していって、そこにさまざまな情報や商品を提供していく、というビジョンで経営しています。

ご存知いただいていると思いますが、「サンマルク」とか「ガリバー」、あるいは焼肉の「牛角」とか「高田屋」、また中古ゴルフの「ゴルフパートナー」や宅配寿司の「銀のさら」といった、数え上げれば30以上になるのですが、このようにいろいろなフランチャイズを作ってきました。

でもこれは過去のことです。これからの5年後10年後を見据えた時、中小企業が新規事業として、本当に何を選べばいいのか、ということをわれわれが頭脳となって研究し、今後成長する事業分野を見出していく。ビジネスの種を見つけてきて、磨き上げて、事業化して、みなさんにお伝えしていく。お伝えするだけではなく、それが本当にうまくいくまで伴走者として一緒に走りながら、選手兼監督のような感じで導いていく。それをわれわれのビジネススタイルとして確立してきました。

このような活動によって、日本中にさまざまな雇用を生み出していくことができます。ビジネスが増えると雇用が増えます。そして、雇用が増えると経済がよくなります。経済がよくなればみんなが明るくなります。その原点を作っていこうというのがわれわれのビジョンです。

私がこの会社に入るとき、グループの説明会に行きました。そこで会社案内を開くと、1ページ目に「中小企業の活性化こそが日本の自由主義社会を発展させる」と書いてあり、衝撃を受けました。
いまはそれを地でやっているのです。日本中の中小企業に元気になってもらい、活性化してもらって、実際にこれで成長できると思えるビジネスを次から次へと情報提供することでより元気になってもらう。それによって地域に雇用と活力を生み出していく。これがわれわれのビジネスです。